"このシリーズ"から更に20年後っぽい。爺雄と爺也。




ぺらり。ぺらり、ぺらり。
幾年にも渡って書き綴られてきた自分の日記の最後のページ。捲り上げると、相変わらず笑えるほど蚯蚓の張ったような汚い字が大きな文字で書き綴られている。内容は至って普通だ。下らなくもないが、殆ど意味のない事ではあった。けれど、俺にとっては最高の思い出。一ページ、一ページ。また捲る事に溢れてくる思い出に、俺は文字をなぞりながら目を細めて、最後のページを心の中で朗読を始める。3月24日。晴れ。今日は臨也と約束していた釣りに行った。晴れたおかげで海は穏やかだったが、収穫はゼロ。あいつが下手な所為だ。餌がグロテスクで触れないとか抜かしやがるし、普通に散歩で済ませて置けばよかった。だけど、すごく楽しかった。あいつも楽しそうに笑っていた。あいつの横顔が綺麗で、俺はそれだけで満足だ。ついでに、今日の海での写真を撮ったのを貼って置く。写真写りだけはまずまず。明日は、あいつと買い物に行く約束をした。明日が楽しみだ。
其処まで書かれた昨日の日記。その隣には一ページ豪快に使われて貼られた臨也の写真を指で触れるとその色白の肌を撫でた。静止しているその一瞬。見れば見るほど引き込まれるが、はやり本物の方がいいな(多少は憎たらしいが)、と僅かに顔を上げる。忙しなく前後に動く椅子に腰掛け、家具か何かの雑誌を読む臨也の姿。ギィギィ、と木製の其れが軋む音だけが響いていたが、不思議と音は気にならなかった。そして、再び視線を日記の一ページに戻す。もう一ページ、ぺらり、と捲った次のページには何も書かれていない白紙が広がっていた。老眼で見えにくくなった目を細めながらベッドサイドのスタンドに置かれた老眼鏡と万年筆を手に取る。慣れた手つきで老眼鏡を掛けるとぺろり、とペン先を舐め上げて、白紙のページをゆったり、と綴った。

3月25日。曇りのち晴れ。今日は臨也と近所のスーパーに買い物に行った。俺はほぼ荷物持ちみたいなもんだったが、行く途中に桜の木が咲いてて、綺麗だった。臨也も綺麗だと笑っていた。落ちてた花びらを一応貼って置く。今日の夕食は俺の好きな筑前煮。あいつの筑前煮は最高だ。明日も食いたいと言ったら臨也は残り物食べてよと笑った。しょうがねえから残り物で我慢する。明日は、花見に行こう。臨也には内緒だ。明日あいつに言って驚かせてやろう、と思う。

其処まで書いて、ペン先を日記帳から離す。少しだけ滲んだ、インクを擦らないように、開いたままの其れをベッドサイドにおいて万年筆の蓋を閉めた。と、その時。ねえ。少し高めの声が俺を呼び止め、同時にばさり、と紙の束がベッドに投げられた。拉げた雑誌が無残にもページを折り曲げられて転がっている。物を粗末にしてんじゃねえ。思わず口から出た言葉に、臨也ははいはい、すいませんねー、と憎たらしく声を上げた。いつ来たんだこいつ。まったく持って気配に気付かなかった。あれだけ忙しなく椅子動かしてやがったのに、やっぱ歳か。難聴なのか俺は。突きつけられた事実に、はあ、溜息を吐き出す。しかし、臨也はそんな俺を気にする事無く、俺の隣に一人分空いたベッドに潜り込むと、再び拉げた雑誌を広げた。ぺらぺら、と読んでると言うよりは、ただ捲ってるだけに近い行動をぼんやり、と見つめる。すると、臨也は再び、ねえ、シズちゃん、と控えめに声を上げ、雑誌から顔を上げた。なんだよ。そう返した言葉に、臨也は息を詰まらせる。おい、大丈夫かよ。細っこい背中をよしよし、と撫でてやり、もう一度だけ、なんだよ、と言葉を促すように顔を覗き込めば、臨也はあのね、と語り始めた。
「シズちゃんさ、俺がもし、明日からシズちゃんの事覚えてなかったらどうする?今まで普通に暮らしてて、突然俺がシズちゃんの事を忘れるの。そしたらやっぱり、俺はいらなくなる、よね、」
何の脈絡もない途方もない話。だが、当の本人は、皺の増えた顔を少しだけ歪めて、両手の納められている雑誌を強く握り締めている。何必死になってんだ、こいつ。馬鹿だな。心の中ではそう思ったが、茶化すわけにも行かない表情に、そっとあやすように身体を抱いてやる。急に何だか分かんねえけど、こいつにも弱いとこくらいはある事は知ってる。もう幾つも其れを見てきた。こう言う一面を見せてくれる喜ばなきゃいけねえんだよな、こいつの場合は、な。
急激に込み上げる愛しさに、白髪の混じった揺蕩う黒髪にちゅ、と唇を付けて、臨也、と耳元で囁く。うん、と返事をした臨也の顔は黒髪で見えなくなってしまっていたが、それでも俺は口付けを止めずに、体温を分け与えるように、身体を抱き締めた。今にも骨が飛び出して来そうな程細く、骨と皮膚しかないしかない身体は抱き締めると少し痛い。だけど、その身体は間違いなく脈を打ち俺に温もりを伝えていて、益々愛しく思えた。俺はやっぱり、こいつが好きなんだな。たまらなく、好きだ。幾ら歳とってよぼよぼで、不細工になっても、俺の身体が、心臓が全部臨也を必要としてる。臨也は俺の事を忘れたら、なんて言ったけど、忘れたとしても、どうでもいい。俺が好きであれば、それでいいんだ。ずっと離さないと、決めた。もうずっとずっと前に、そう決めて寄り添ってきた。だから、答えは最初から一つしかない。俺から、逃げられると思うんじゃねえよ。
「てめえが忘れたら、俺がまた惚れさせてやる。つうか、寧ろ絶対忘れられないようなセックスして、思い出させてやるよ、俺が。だから、」
心配すんなよ。そう言って俺が笑うと臨也は、歳考えなよ、エロクソじじい、と泣いてるような笑ってるような顔して、声を震わせた。そして、シズちゃん、と子供のように、胸に顔を埋めて、ぎゅうぎゅう、と抱き締められる。何をしてるのか、此処からでは臨也の背中しか見えなかったが多分、臨也は泣いてるんだと思う。だが顔は見ていない。こいつはプライドがつえーから。余計な事して殴られたくない。そんな事を思いながら、よしよし、と髪を撫でて、寝かしつけるようにあやす。もう、23時を回ってる。じじいの寝る時間はとっくに過ぎてるし、寝るか。思い立って直ぐに、臨也の頭を枕にそっと納めて、電気を消した。スタンドライトだけが、うつら、うつらとする臨也の表情を照らす。目蓋が重いのか、ゆったり、と瞬きをされるその表情は子供のようで思わず笑いそうになった。可愛いな、まじで。この歳でこんなにこいつが愛しいと思うとは思わなかった。握られた手で頬っぺたを撫でながら、そっと唇に口付けを落とす。相変わらず柔らかな唇の感触に、何度か吸い付くようにキスをして、唇を離すと、臨也はもう眠っていた。買い物で疲れたのだろう。桜見たときも一人ではしゃいでたしな。年甲斐もなく、この桜吹雪が〜とか何とか馬鹿みたいなことやってたし。ほんと、馬鹿だなこいつ。なんて思い出し笑いしながら、俺も腰掛けていたベッドに潜り込み、くしゃり、と歪んだ、ブランケットを臨也の肩まで引き寄せた。ふあ、と漏れる欠伸。だが、もう一仕事、と開きっぱなしだった日記帳を手に取り、俺は最後に一綴りだけ、ペンを走らせた。
『……――――――。』
そして、書き終わった日記を閉じ、万年筆の蓋を閉める。カチリ。その音が鳴ったのを確認してから、掛けていた老眼鏡と一緒にベッドサイドに置いた。隣には、臨也の寝顔。少し疲れが浮き出た表情にちゅ、ともう一度だけ接吻けをして、明日は昼まで寝かせておいてやろう、とそう決めて、俺はスタンドの電気を消した。目を閉じて、途端に、吸い込まれるような睡魔に、身を任せる。その前に、おやすみ、臨也。呟くと、何故だか少し、愛しくて、泣きたくなった。


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