むくり。
物音で起きたわけでもなく、ただ浮上した意識のまま、突っ伏した身体を勢い良く起して、目の前のテーブルをぼんやり、と眺める。持ち上がらない目蓋を何度かゆっくりと瞬きを繰り返して、再び目を閉じれば、またこのまま眠れそうな気がした。しかし眠る気にはなれない。目の前には、眠った時と同じ光景のまま、食べかけのサンドイッチと、多少埃の掛かった珈琲。テレビは付いてなくて、変わったところと言えば、空が赤く染まり始めて夕方になったと言う事くらいだ。無意識に零れる溜息を堪えられない。だってさ、だって。俺の誕生日もあと七時間程しかないし、今日は誰にもおめでとうと言われてない。いつもなら鳴りっ放し(ではないけど)の携帯も一度もならない。これってさ、俺居なくてもいいって事じゃないの、なんて柄でもなく思ってしまう。別に世界中の人間に祝福されたいとは思ってないんだよ。もちろん俺は祝ってあげるけどね。それでも、一人でいい。シズちゃんだけでもいいから俺の誕生日祝って欲しかったよ。などと、言えるはずの無い言葉を飲み込みながら、うるっとして熱くなる、視界の先を掌で覆った。垂れる鼻水を、ずずっと吸い上げながら、手近にあったカップの底に余った冷たい珈琲を啜る。と、同時に聞き慣れた着信音が何処からともなく、鳴り響いて、俺は耳を欹てた。
刻まれるメロディはかなり遠くから聞こえるような気がする。うーんっと何処においたっけかなあ、と大きすぎる独り言を呟いて、ゆっくり、と椅子から立ち上がり、着信音が聞こえる方向であろう、寝室に向かって歩いた。いつもならシズちゃんがあの野性的な耳で、携帯鳴ってる、と教えてくれるから気が付かなかったけど。シズちゃんって地味に役に立ってたんだなあ、と改めて思う。ついでに、俺シズちゃん居ないと何も出来ないんだ、と実感させられるなんて。何か悔しくなって、鳴ってる携帯がなり終わってしまう前に、探し出してやると意気込んで寝室のデスクを漁った。十秒、二十秒。三十秒になるちょっと手前。読みかけの仕事の資料なんかの下に埋もれたきらりきらり、とメロディにあわせて光る携帯を発見して、賺さず開く。表示される名前はシズちゃん、ではなく、中学の頃からの腐れ縁である闇医者からであった。こんなときに。なんて思ったら、きっと新羅はまたぐだぐだと、俺も顔負けの口ぶりで文句を言ったりするのだろうけど。寂しいから出てやるか、と通話ボタンを押した。
「…何、」
「ああ、臨也かい?今君のマンションまで来てるんだよ!もう玄関の前だから開けて!」
もう来てしまってから電話をするのは新羅の悪い癖だ。しかも玄関の前だなんて。来るなら、もっと早く連絡して来い、といつもなら追い返してやるのだけど。今日は特別に、いいよ、なんて言ってしまったのはシズちゃんの所為である。しかも、ちょっと嬉しいなどと思ってるなどと新羅に知られたら、大笑いものだった。そんな心情を知られないようになるべく淡々と、待ってて、と呟き、切れない電話を片手に玄関まで早足で急ぐ。寝癖の付いた髪を手櫛で直して、覗き穴を覗き込めば、何故か覗き穴目線の新羅がにやにや、と佇んでいた。いつもの光景。こいつは変人だからこんな事は日常茶飯事だ、と気にも止めずに、閉められた鍵を開けてドアノブを捻れば、手ぶらの新羅が、やあ、と満面の笑みを浮かべて、笑った。まあ、期待はしてないよ。こいつが気を利かせてプレゼントを持ってくるとか、そういうのは今まで一度もなかったし。俺も、今はただ来てくれただけで嬉しいと思ってる事だし。今日は、VIP並みに持て成してやろうと、部屋に招き入れ、道を開けた瞬間。突然、ずい、と俺の前に現れた一際大きな影が、視界を塞ぐ。其れは、間違いなく新羅ではなくて、びくり、と肩が揺らすと、目の前に見た事の無い花が差し出された。
「……わりい、遅くなった。」
その声の主は、顔を見なくたって分かった。こんな事をするのは、彼しか、シズちゃんしか、居ない。そう分かった途端、新羅なんて、もはや空気だ。俺はもう何もかも全部忘れて、シズちゃんに思いっきり飛びつき、うお、と声を漏らした彼に、遅いよ、と呟いた。「わりい」と再び呟く唇に頬を擦り付けて、ほぼ一日ぶりであるシズちゃんの首筋に腕を回す。す、と吸い込んだ彼の匂いに全てが満たされて、もう今日は絶対離れてなんかやらない、と心の中で決め込んだ。新羅は追い返して、二人きりで、晩御飯を食べよう。何なら俺が作ってもいい。シズちゃんの好きなものいっぱい作って、たった二人で誰も邪魔されずに、過ごしてやろう、そう思った。
「……あのさ、臨也、静雄君。邪魔して悪いんだけど、…行列できてるよ」
しかし、人生なんて上手くいかないものだって事は俺が一番知ってる。俺の好きな人間は俺の思い通りにはなってくれないのだ。それが例え、俺の知人達だとしても、ね。シズちゃんの肩越しに、見える光景。新羅の隣には、顔を赤くしてるのであろう、あわあわ、と慌てふためいた運び屋の姿があるし。その隣には、帝人君や正臣君、ドタチンもあのオタクたちを引き連れている。津軽やサイケ達、サイモンまで、岡持ちを持って登場して、理解した時には、本気で泣きそうになった。いくら、鬼でも、これは追い返せない。心の底では邪魔だって思ってた、としても。皆がおめでとう、って言ってくれるなら。俺に"高級"なプレゼントを持って来てくれるなら。招き入れないわけにもいかずに、俺は抱きついたシズちゃんの身体を離れて、まったくもう、と呟き、大人しく全員を、広い広い部屋の中へと招き入れた。
シズちゃんから貰った色とりどりの花束を抱えて、わいわい、とリビングに消えていく、全員の背中に眺める。不思議と零れる笑みを、きりり、と引き締めて、俺の隣に寄り添った、シズちゃんを見上げた。おめでとうは?と催促してみる。すると、シズちゃんは、ぶは、と笑って、最高の言葉を言ってくれた。

「生まれてきてくれてありがとな、臨也。愛してんぞ」

もう、何も言う事無い。だってこれ以上最高の誕生日なんて無いでしょ。






恋する朝 〜平和島静雄の場合〜









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