プロポーズの日!
日差しが差し込むベランダ。シズちゃんの住むボロアパートのくせに、日当たりだけは良好なその場所で、俺は今日も家政婦みたいに洗濯物を干している。さっき洗濯機から持ってきたばかりの脱水済みのシズちゃんのパンツと俺のTシャツ。一緒に洗いたくない、と駄々を捏ねてはみたけど、「エコしやがれ」とあっさり切り捨てられて、一緒に洗ったそれらは絡み合うように、カゴの中で縒れていた。あー、もう。パンツと一緒とか絶対有り得ない。独りごちながら絡み合う其れを解いて持ち上げる。貧乏のわりにはこだわりでも有るのかトランクスしかない彼のパンツを恨みを込めて、皺を伸ばすと、パンパン、と耳に残る良い音がした。シズちゃんのパンツなんて皺があった所で何も変わらない。しかしながら、俺の性格上、完璧でなければいけない洗濯物たちをパンツ同様一つの皺も無く伸ばし上げて、一つずつ丁寧に、丁寧に、物干し竿へと掛けていく。一直線、交互に並ぶ、シズちゃんのパンツ。俺のTシャツ。シズちゃんのパンツ。俺のパンツ(スラックスの方)。そして、その他諸々。我ながら綺麗に出来た、とうっとり、溜息を吐き出して、不意に見えるこの場所からの風景を眺めれば、何となく、吐息が漏れた。実に、普通の風景だ。絶景とは言い難いが、それなりに綺麗に見える街並み。シズちゃんの部屋のくせに生意気な、なんて思う反面。この景色を俺はずっと見てても良いのかと許されている事に顔がニヤけた。俺とした事が、完全に浮かれている。それもこれも、全ての原因は俺の左手の薬指にあった。
きらり、きらり。左手の薬指に緩やかに光る其れは昨日、シズちゃんに貰ったものだ。多分俺の一ヶ月の収入にも満たない指輪だし、最初は「なにこれ」などと邪険にしてしまったけれど。ほんとは死ぬほど嬉しかったんだよね。俺このまま死ぬんじゃないかって、このまま死んでも良いって思うくらい、本と這う嬉しかったんだ。これは、俺が彼の隣に居ても良いって言う証。俺はもう、ずっとずっと、シズちゃんの隣に居て良いんだ。そう思えば思うほど、見つめた先にある其れは強く強く輝く。そうして、また俺はうっとり、と溜息を吐き出しながら思う。俺って、幸せすぎ、と。溜息を吐き出すと幸せは逃げるって言うけど。幾ら溜息を吐き出しても無くならないくらい、俺の幸せは溢れて溢れて、俺を満たしていた。そんな俺を反映しているみたいに、指輪はとてつも無く綺麗に光る。見れば見るほど、きらきら、きらきら、と。吸い込まれてしまいそうな程の輝きを俺はいつまでも飽きずに見つめていた。
「…………臨也、」
ゆらり。俺の背後で揺れた影に気付く間も無く、その声は突然、耳元で囁かれる。そして、意図も容易く引き寄せられた身体は、次の瞬間には、これまた容易く俺に指輪をくれた張本人の胸へと収まっていた。こんなに近くなるまで気付かなかったなんて。酷く驚いた俺の心臓はスーパーボール並みに跳ねて居て、息が詰まる。まったく。どうしてこうもシズちゃんは俺をびっくりさせるのが得意なのだろう。昨日の指輪にしろ、この優しくて泣きたくなるくらいの抱擁にしろ。これじゃあ俺が負けてる気分になるし、悔しい。俺だって、俺だって、シズちゃんのこと好きな気持ちは誰にも負けないのに。なんて考えて、ゆっくり、と抱き寄せられた胸に顔を埋めて、彼の匂いを肺いっぱいに吸い上げた。ああ、悔しい、悔しい悔しい。俺の事こんなに埋め尽くして、驚かせたシズちゃんが憎たらしくて、愛しい。俺をこんなにまでしたシズちゃんには報復が必要だ。そうでしょ?だって、俺ばっかりずるい。俺ばっかり心臓が、ぎゅってなるのはずるい。だから、俺はこの報復として、思いっきりシャツの隙間から見えていたお腹の肉を抓み上げて武力行使する。どうせ、シズちゃんは痛みを感じないのだろうけど、せめて、せめて。この熱が、シズちゃんに移りますように。俺はいい歳こいて、そんな乙女みたいな事を思って、シズちゃんの薄い皮膚を思いっきり抓み上げた。
いてえ、と呟かれる声はやっぱり鈍い。普通なら悶絶するほどの強さで抓って居るはずなのに、シズちゃんの鋼の肉体(笑)は必殺技でさえ通用する事無く、俺の腕と指先を疲れさせただけだった。つまんない。顔を埋めた胸でぼそり、と吐き出して、手を離す。するり、と背中に回す腕をシズちゃんのシャツごと掻き抱くように強く引き寄せて、シズちゃんのバカ、と頬を膨らませると、彼はぶ、と噴き出して笑った。可愛くねえぞ、と笑うシズちゃんの顔の方がよっぽど可愛い。かなりの色目ではあるが、堪らなく愛しくなる気持ちは留まるところを知らなくて、溢れ出しては俺を惚けさせた。
この幸せが憎い。しかし、絶対に手放してなるものか、と見ての通り、必死だったりする。俺の場合この幸せが無くなる、イコール死に直結しかねない程に重いのをシズちゃんは知ってる訳も無いのだろうけど。それでも、まあ、シズちゃんの表情を見てる限り、当分の間はそんな心配も要らなさそうだった。だって、だって、シズちゃんも十分惚けてる。信じられないくらい、だらしない表情。惜しげもなく俺の前で晒されてその顔は俺の笑いを引き出すと、思わず声になって零れ落ちた。なんだよ。と不機嫌そうな声で告げられる其れ。「別にー」と笑って誤魔化すように、シズちゃんの左手を握ると、彼はは益々眉間の皺を深めて、俺の左手を握り返した。かつり、とぶつかる指輪の音が微かに耳に付く。ああ、幸せの音だ。きっと俺にしか聞こえないその音は、どうしようもなく幸せを溢れさせて、次から次へとそこら中に撒き散らした。
「シズちゃん、俺、もう寂しくないよ」
ぎゅ、と握られる左手を持ち上げて、薬指に光る其れを見つめて笑う。この指輪はシズちゃんが俺にくれたものだ、とは言ったけど、半ば俺が催促したようなものなのだ。俺なりのプロポーズ。「結婚したい」とは直接言えなかった俺が苦し紛れに言った「左手が寂しい」の一言。まさか、本当にシズちゃんが指輪を買ってくるなんて思ってなかったけど。俺の左手はこの指輪が有る限り、永遠に寂しさを忘れ去るのだろうと思った。だから、これは、俺なりのプロポーズの返事である。ぶっきら棒に、これやるよ、と言ったシズちゃんへの精一杯のプロポーズ返し。彼は鈍感だから、ちゃんと伝わるか賭けなんだけどね。それでも、いつか伝わるその時まで。俺のこの溢れる幸せが、シズちゃんに病気みたいに移るまで。俺は君の隣に居てあげるから。
俺の左手、絶対に寂しくさせないでよ。ね、シズちゃん。
お砂糖で溶かして