部屋中にガンガンに付けられたエアコンの風にカーテンが靡く。同時に作動させている加湿器によって放出される目には見えない水蒸気が、部屋中を潤していた。本当であれば、鳥の囀りでも聞こえれば最高だけど、それもこの高層マンションでは叶わないし、第一、分厚いガラスに阻まれて、外で唸る風の音すらもこの部屋には届かない。到底、御伽噺のよう、とはお世辞にも言えない光景ではある。しかし、しかし、だ。俺にはそんな事はどうでもいい。何時までも鳴らない目覚まし時計と、カーテンから漏れる優しいとは言えない激しい朝日の日差し。それから温もりを蓄えたふかふかのベッドとそして、シズちゃんが淹れてくれたインスタントコーヒーの匂いさえあれば、それは俺にとって最高のプレゼントへと変わる。文句なんて一つも出るわけがない。
鼻先を掠める匂いに無意識にぴくり、と身体が反応する。もう条件反射のような其れは浮上させた意識を覚醒させるかのように目蓋を震わせた。カーテンみたいに仕切られているはずの視界の先には僅かに白んだ闇が見える。目を開けたら絶対眩しい。俺の部屋のインテリアや配置を覚醒しきっていない頭の中で想像して、その光景を想像すると、眉間に皺が寄った。本能的に目蓋を持ち上げることを嫌がる身体に鞭を打って、ぐしぐし、と目を擦る。此処まで一連の動作を繰り返して、ああ、またか、と、無意識に深呼吸のような溜息を吐き出して、温もりを残すブランケットに包まってつま先をぴん、と伸ばした。


朝起きたら、シズちゃんが月島になってました。


「いざ、臨也さん、起きて、ください」
ずしり。その声が聞こえてすぐ、全身が潰されるように重みを感じて、声も出ないくらい息が詰まる。なにこれ重い。と思っても、外を確かめるに身動き一つ取れなくて、俺は、ああ、今日はあいつが来たのか、と悟りを開いたように一瞬、無心になった。完全に下敷きにされている。これは間違いない。そして、こんな行動取るようなお子様脳を持って、其れで居て俺より体重の重い人間。昨日と一昨日の事を思えばすぐに答えに行き着いてしまうのが悲しいところだ。”月島”最近シズちゃんちに居たやつだけど、俺はあんまり関わった事が無い。関わっても碌なことがないだろうと直感で分かったからだ。だって!だってだよ!あのお馬鹿なサイケとの会話なんて殆ど噛みあわなくて意味不明だし、それなのに、本人達は仲良しだとかなんとか言って、また意味の分からない会話を始めたりするような人間が。俺と気が合うと思う?思わないね。絶対合う訳が無いんだよ。それじゃなくても、俺はサイケだけで手一杯だって言うのに。もう一人なんて絶対ごめんだ。それなのに、もう一度聞こえる「臨也さん」と俺を呼ぶ声は一向に消える気配を見せない。本当なら君に、「臨也さん」なんて呼ばれる筋合いは無いんだけどね!でも、もうどうしようもないし、これはもう、観念するしかない。ない、よな?俺の詰まったままの呼吸を取り戻すためにも。必要最低限の観念だ。と言い聞かせるように、俺は俺をまるでソファーか何かの下敷きにした彼の腰を思いっきり振りかぶって、ぶっ叩いた。
いたい、とのんびり、としたまるで痛く無さそうな声が聞こえた拍子に、俺の上から重みが消える。しめた、とばかりに、即座に被ったブランケットの中から這い出て、逃げるようにベッドから転げ落ちると、三度、臨也さん、と呟く声が聞こえて、肩がぎくり、と揺れた。しかし、俺は断固として聞こえないフリ。これはサイケによって学んだ事だ。一度口を聞けば必ず次の言葉が出てくる。其れもこいつらのような頭に妖精を飼ってるようなヤツは突拍子も無いような事を言いかねないからね。と、俺は月島を見えない存在として扱い、床にくたり、と投げ捨てられたシャツを勢い良く拾い上げて、腕を通す。その後も永遠と聞こえる声に多少は申し訳ないな、とは思ったけれど、あとは時間の問題だろう、と腹を括って、決め込んだ無視を懸命に決行した。
俺は懸命だった。本当に死ぬ気(は言い過ぎかも知れないけど)で無視したよ。だが、それもすぐに破られる事になるなんてね。もうやだ。妖精の考えてる事は分からない。いや、一生掛かったって分かりたくもないんだけどさ。まさかこのタイミングで押し倒されるとは。大体の事を把握出来る要領のいい俺でさえ、把握できなかった。
「……あの、月、島、くん?」
「俺、おれ今日、臨也さんと、なか、仲良くする為にきたんです。だからあっち行ったらだめです、」
俺を見下ろす彼の顔は真剣その物。言葉遣いだけは何とも頭の悪そうな感じではあるけどれど、其れを抜かせば、きらり、と光る金色の髪の毛も、瞳の色も、力加減の知らない腕が俺の身体をぎゅうぎゅうと抱きしめるのも、全部シズちゃんそっくりだ。まあ、似てるからといって俺の心は彼に揺らいだりするわけではないのだけど。なんだろう。この人間じゃなくて犬と会話してるような感じ。あっちに行ったらだめです、再び同じ事を呟く唇が、此処まで来ると何故か和むというか。彼の扱い方が見えたというか。ともかく、ああ、何か憎めないなあ、と思ってしまったところで、俺の負けが確定したと言うことだ。
「分かったから、あっちには行かないから、」
とりあえず、落ち着こうか。と覆いかぶさる頭をわしゃわしゃ、と撫でてやる。指に通る細い糸は本当に大型犬の毛並みのように手触りがよくてすぐに掌に馴染んだ。そうする事で、彼の頭がすりすり、と子供のように掌に擦り寄ってくる。ほんと動物だなあ。などと改めて関心すると、突如顔を上げた彼が、ふふ、と笑った。臨也さん、やさしい、と片言の幼児みたいな言葉で伝えてくる彼の笑顔がきゅん、と心臓を打つ。あ、やばい、可愛い。咄嗟に思ったその言葉は、悔しいかな、本心である。シズちゃんじゃ絶対こんな風に、俺の事を優しいなんて言ってくれないし、そもそもこうして、笑う事もあまり多いほうじゃない。別にシズちゃんが笑ってくれないから嫌だとかそういうわけじゃないけれど。それでもやっぱり笑ってくれるっていうのはこんなにもきゅん、としてしまうもので。俺はああ、もう、と独り言みたいに呟いた言葉と一緒に、再びぐしゃぐしゃに金髪を撫でた。これからどうしてやろうか。どうして、彼の言う"仲良く"親睦を深めてやろうか。俺はそんな事を思いながら、ほんのちょっぴりのシズちゃんへの謝罪と、これから育むのであろう月島君への友情のキスを、さらり、と揺れる金色の上から額に落とした。

でも誤解しないでね。俺はシズちゃん一筋なので。






恋する朝 〜月島の場合〜









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