抱きしめてシリーズ。わんわん雄とにゃん也。人間じゃないです。




俺は春が一番好き。夏は暑すぎるし、秋と冬は寒くなる。それに比べて春は日照時間が長くなるし、日向ぼっこはぽかぽかして気持ちいい。たんぽぽやつくしの匂いも嫌いじゃないし、ひらひらって、舞い降りてくる桜の花びらは濡れない雨みたいで飛びつきたくなったりする。何だか、やっと冬が終わった!って大声で叫びたくなるようなそんな空気が、俺は好きだった。あ、でも嫌いなところもあると言えばある。強いて言うならだけど、急に降って来る雨とかまじ勘弁してほしい。其れと花粉ね。ほら、猫って敏感だし。くしゃみが止まんなくなるから。まあそれでも、あいつが元気になる事に比べたら、大した事じゃないんだけどね。俺にとって一番厄介なあいつ。あの平和島さん家のシズちゃん(犬)が、いつもより元気になるから。春はちょっぴり俺にとって厄介な季節だったりする。

何時もの塀を越えて、何時もの路地を曲がると、左側に見えるいつもの赤い屋根の家。その家の小さな庭にある彼専用の犬小屋が俺の嫌いなシズちゃんの棲家だった。いつも俺のこと目の敵にしてわんわんわんわんって五月蝿いくらいに吠えてくる彼。今日も絶対、俺を見るなり吠えてくるに違いない、と思いながらも、ちょっかいを出すのが嫌いではない俺は、踊るように運ぶ軽快な足取りを止める事は無かった。見えてきたいつもの赤い屋根を見上げながら、業と、にゃぁ、鳴き声を上げて、それでもこっそり、と気配を消し、忍者みたいに擦り寄った塀の隙間から雑草が生い茂る庭をちらり、と覗き込む。人間の気配がない事を確認して、おっきなドアや真っ白な壁に沿ってそうっと、庭に足を踏み入れると、がさり、と大袈裟なほど、雑草を掻き分ける音が響いた。今の時間帯、シズちゃんは寝てる。ていうかあいつは大体の時間寝てる。それに俺はシズちゃんの何か食ってる姿か、寝てる姿か俺に吠えまくってる姿しか見た事が無いから。今日だってきっと、そうだ、と壁の陰から庭を覗き、シズちゃんの姿を探す。そうして、再び、にゃぁ、と俺の存在を知らせるように咽喉を震わせて、小屋の前に飛び出した。
しかし、シズちゃんの姿は少しも見当たらない。ただ何時もの木で出来た小屋と、シズちゃんが愛用してる骨のおもちゃと、シズちゃんがいつも使ってる毛布が小屋から少しだけ食み出していて、本当にただそれだけで、なんだか拍子抜けだった。なんだ、つまんない。そう思いながら、ゆっくり、と近づいた小屋の前でぺたり、と座り込む。いつもシズちゃんが吠えてくるからこんなに近くで、しかもちゃんとシズちゃんの家、見たこと無かったけど、やっぱり狭そうだし、噛み跡だって沢山ある。中の毛布だって、ビリビリのぼろぼろだし、"シズオ"と豪快に描かれた標識も少しずれているけど。それでもシズちゃんの割には綺麗にしてるんだな、なんて思って、ゆらゆら、と無意識に尻尾を振りながら、もう少しだけ小屋に近づいた。ゆらり、と揺れる尻尾が忙しなく動いて、ぐずり、と好奇心を煽る。今ならシズちゃんは居ない。それなら、もう少し。あと少し。そう思うのも束の間、徐々に小屋と俺の距離が縮まって。みるみる俺を飲み込んでいく好奇心は最終的に俺の身体を見事にシズちゃんの小屋の中に収めていた。
適度に差し込む日差しが木目を照らす。中はシズちゃんの匂いが充満しているけれど、それほど居心地も悪くなく、温かい。何より、毛布の肌触りが最高だし、風通しもそれなりにいい。シズちゃんって結構いいところに住んでるだなあ、などと関心しながら、毛布の上にもふり、と腰を下ろして、尻尾で巻き込むようにして其れに包まった。
もふもふ、と顔を埋めて、絡みつくようにごろり、と寝転ぶ。染み付いたシズちゃんの匂いですら途轍もなく、きもちいいし、温度や湿度といい、中の雰囲気といい、シズちゃんには勿体無いくらいの空間は居れば居るほど、癖になった。あれ、なんかこのまま寝れるなあ。ていうか眠い。うとうと、と込み上げる睡魔が思考回路を奪っていく訳だが。俺はまだまともに考えられる段階で此処を立ち去るべきだったのだ、とこの後、後悔する事になる。本当に寝扱けてしまうなんて。本当にあり得ない。それも普通の犬とは違う、俺の天敵でもあるシズちゃんの小屋の中などという密室。そこからすでに連想できるだろうけれど、逃げ場が無い。という事はどういう事か、言わずとも分かるよね。俺は死ぬって事だ。正しくはシズちゃんに噛み殺されるって事だ。と気付いたのは、もう日が暮れ始めて、太陽が日差しを降り注いでいたあの時間から、三時間は優に越えた頃だろう、と言う時間帯だった。

夕方独特の、人間の餌の匂いが漂う。反応的にぴくり、と痙攣のように弾かれた身体が毛布の中で震えて、目が覚めた。掠める匂いにくんくん、と鼻を鳴らして、ぐしり、と目元を擦る。一瞬、此処が何処であるのか忘れるくらい心地がよかったその場所が、シズちゃんの住処である事を思い出すまでに、そう時間は掛からなかった。擦った掌を舐めて身体を起こす。鳴らした鼻先を掠める人間の餌の匂いに混ざった、例の匂いに、瞬時に身体が硬直した。やばい。そう思っても、もう逃げられない。だって、だって。俺の視界の先には、小屋の前でいつもみたいに自堕落に寝そべって、眠ってるシズちゃんの姿があった。死を悟って頭の中の、アドレナリンが出てる気がする。ピン、と立った尻尾が膨らんで、少しだけ荒くなった呼吸が唇から漏れる。一度冷静になろうと、大きく息を吐いて、試みても、ぐちゃぐちゃになった脳内ではまともな事、何一つ考える事は出来なかった。もし、もしもだよ。逃げられるとして、俺は小屋の外にそっと、出る。それからシズちゃんを起こさないように、シズちゃんの目の前を横切って、庭の外に出るわけだ。まず彼を横切る時点で、俺の上は決まってるけどね。彼の前を横切って、俺はご臨終。多分、腸引きずり出されて挙句の果てにあの野獣に食べられちゃうかも、なんて思って、血の気が引いた。
しかし、逆に言えば、結局俺はどうやったって逃げれない。それなら、潔くシズちゃんに食べられよう。他の野良犬とかに食べられるよりはマシだ、と言う極論に達し、ぎこちなくにゃぁ、と声を上げて、恐る恐る小屋から顔を覗かせる。すると、目の前で傍若無人に寝そべったシズちゃんの目蓋がゆっくり、と持ち上がって目が逢った。無意識に身体が硬直して、体中の毛が逆立つ。おっきな身体の癖に、静かに起き上がったシズちゃんは俺に飛び掛ってくるかと思えば、そうではなく、目の前の俺の顔をべろり、と舐めた。え、何。これ。あ、ああ、そうか。一思いじゃなくて甚振って殺そうってそういう事?そうだよね、俺への恨みなんていっぱいあるよね。俺が来るとシズちゃんが吠えるから、その所為で、シズちゃんがあの黒髪の人間に怒られたりとか。俺がシズちゃんのご飯取ったりとか。あと、あと、思い出せないけど、積もった恨みが沢山あるのだろうと思って、そのまま目を閉じる。さあ、噛み付くなり、抉るなり、してくれ!そう言うみたいに小屋の中で寝転んでお腹を見せる。けれど、シズちゃんは噛み付くどころか、毛繕いみたいに、べろべろ、と俺の身体中を舐めて「まだ寝んのか」と笑った。


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