(name change) 季節は、春を迎えていた。 桜は咲き誇り、そよ風に乗ってはゆらゆらとさ迷って、散っていく。そんな様を美術室から眺めている彼女の横顔を、俺は静かに見つめていた。ああ、なんて綺麗なんだろう。瞬きをする度に震える睫毛にじっと見惚れていると、不意に、彼女が俺の方へ向き直った。 「ごめんね、前向いてた方がいいよね?」 「そうだね、桜より俺のことを見てほしいんだけど」 「ふふ、見惚れちゃうよ」 「構わないよ?」 そう返せば、名前は声を上げて笑った。そのくしゃっとした笑顔を、白いキャンバスに描いていく。一色では表現出来ない彼女の柔らかさを、何度も塗り重ねて、本物に近づけていく。 その時、ピンと張ったままの名前の背中越しに、室内が橙色に染まりつつあることに気が付いた。どうやら、もうそんな時間らしい。 俺はなるべく早く仕上げられるように、と作業のスピードを早める。明日の卒業式のために、下校時間はいつもより早めになっていたはずだから。 「卒業式の前日なのに絵を描くなんて幸村くんらしいね」 「卒業する前に、今日の内に仕上げたかったんだ。この絵だけは、どうしても」 「どんな絵なの?」 「それは出来上がってからのお楽しみ」 「気になるなあ……あ、明日といえば、幸村くんは誕生日に何が欲しい?」 明日、つまりは3月5日。自分の誕生日に卒業式だなんて、神様は俺を祝ってくれるつもりゼロなんだろうか。そんな不満も少し感じていたけれど、彼女が誕生日を覚えてくれていたということによって、そんな不満はすっかり吹き飛んでしまった。 「欲しいものか…、名前がくれる物なら何でも嬉しいよ」 「またそんな、お手本みたいな答え?」 「しょうがないだろ?それが、本音さ」 「…もう、幸村くんってば」 困ったように、でもどこか嬉しそうに笑っている彼女の姿を、キャンバスの中に描いた姿と見比べる。うん、我ながら良い出来だ。 最後の確認をしてから、側にあった机に筆を置くと、ぐるりとひっくり返して、名前に見えるように抱える。途端に名前は目を輝かせて「すごい」とか「嬉しい」とか、半ば興奮したように言葉を紡いでいく。彼女がまじまじと絵を見つめている間に、俺はもう一度細筆を取ると、キャンバスの裏の隅に文字を綴った。 「よし、タイトルまで付けたよ」 「何なに?テニス部のマネージャー、とか?」 「全然違う」 「僕のマネージャー?」 「あ、ちょっと惜しい」 「僕の友達、とか!」 「ダメだね名前は。センスが無いよ」 一生懸命頭を悩ませている姿は可愛いけどね、と微笑んでから、俺はキャンバスを裏返す。 そうすれば、名前の大きな瞳はさらに大きく見開かれて、揺れる。 しかし俺の心は、揺るがなかった。俺の決意はここに、このキャンバスに、はっきりと表明していたから。 「僕の…最、愛…?」 「そう、最愛。」 『僕の、最愛』と記したキャンバスには、夕陽の橙色に溶けてしまいそうなくらい柔らかくて、あたたかい笑顔を浮かべる名前を描いた。 出会いはクラスメート、部活を支えるマネージャー、そして、俺が三年間想い続けた彼女の笑顔を。 「三年間、ずっと君だけを見てきた」 キャンバスを立てかけると、中心に描いた彼女の後ろを彩る橙色と、本物の橙色がつながって、まるで絵の中の世界に入り込んでしまったようだった。 そんなもう一人の彼女に微笑みかけてから、俺は、本物の彼女に向き直る。 「それを、その想いを、最後に形にしたかったんだ」 そして、窓から差し込む夕陽の色に染まった白い手を引き寄せると、自分の腕の中に名前を閉じ込める。 「名前、君が好きだ」 教室いっぱいを染め上げた橙色が、じわりじわりと迫る闇に滲んでいく。その中で、俺の言葉に頷いた彼女が流した涙だけは、闇に染まることはなく、きらきらと光っていたのだった。 君を染める、橙と最愛 (やはり描くことは難しい、だって君は、あまりにも愛おしすぎるから) -------------------- 20100305 神の子降誕祭2010様に提出させていただきました。 「夕陽が沈む」ということがお題だったのですが…なんだか活かしきれていない気がします。でも個人的には、夕暮れの教室っていうシチュエーションが大好きなので、書いていて楽しかったです。 幸村さんお誕生日おめでとう! |