走る、走る、走る。
只ひたすら走る。
見えない先を目を凝らして進み歪んだ床に躓きこけそうになりながら走る。
それなのに、それなのに、それなのに。

「Darling?鬼ごっこかい?良いね、楽しいね」

すぐそこに居るかの様に聞こえてくる奴の声に喉がひくつく。
後ろを振り向いて確認する勇気など無い。
前だけを見て俺は走る。

「お転婆な君も素敵だね」

足の多く生えた虫が全身を這うような感覚が俺を襲った。
服の上から心臓に手を当てて握ればドッドッドッと早く脈打つのがハッキリと分かる。
角を曲がったすぐの部屋へと入り死角となる場所を探す。
目に付いた大きなクローゼットに近付き裏側を確認すれば俺が入れそうな隙間が出来ており身体を無理に捻じ込む。
ガリリ、ザリ…と音を立てて服とコンクリートが摩擦する。
走った所為で乱れた息を整え気配を殺す。
そうすれば音がよりリアルになり奴の靴を鳴らす音が鼓膜を震わせた。

「今度は隠れん坊かいDarling?早く君を見付けて抱き締めたいよ!」

優しい言葉遣いとは裏腹に手に持ったナイフで壁を滑る音に俺の恐怖心が駆り立てられる。
聞こえてしまうんじゃないかと思う位に鼓動する心臓。
両手で口を塞いで抑えても漏れてしまいそうになる荒い呼吸に収まらない身体の震え。
ザリ、と奴が部屋へと入った足音が聞こえた。
俺の事を「Darling――」と呼ぶ気持ちの悪い甘い猫撫で声がすぐ其処にあると分かった瞬間身体が小さく跳ねてしまった。

「どうして逃げるんだ?俺が嫌いなのか?俺はこんなにも君の事を愛しているのにDarling。何処にいる?何処に、何処に何処に何処に何処に何処に何処に何処に何処に何処に……」

俺を探す声が小さくなっていき……消えた。
どうやら俺がここに居ないと思い部屋から出ていった様だ。
これでまた生き延びれたと安心し隙間から出ようとした―――瞬間、黒いボロボロのグローブを嵌めた大きな手が俺の二の腕を掴み外へと引っ張った。

「っ―――ぐぁ、!!」
「見付けたDarling。こんな所に居たのか。楽しかったかい?俺は楽しくなかったなぁ…」
「ひっ…!や、やめ…来るな!あっちへ、行けぇ……!!!」
「さっき新しいドレスが浮かび上がったんだ。Darlingの肌の色と同じ真っ白な美しいドレスだ。きっと気に入るよ…さぁ、俺達の家―Home―へ帰ろう」
「!? 離せ!!はなっ―――ぅぶ、っ!」

俺に馬乗りになった奴は何が嬉しいのか不気味な笑顔を浮かべる。
抵抗する俺の顔を一発、そしてもう一発殴ると奴は悲しそうに顔を歪めささくれたった血濡れの手で顔を挟んだ。

「愛してるよ。俺の子供を産んでくれ」

そう言って奴はニッコリと笑うと皮膚がただれて赤い肉が見える顔面を俺に近付けキスをした。
凄く不快で気持ち悪くて吐き気がしたが――アタタカ、カッタ。