初期北 | ナノ


ヤスくんはとても優しい。
まるでぬるま湯に使っているような、拘束されているわけでもないのにそこから動けなくなってしまうような、そんな暖かな優しさ。
思えば私は一目見たときから彼のことを好きになっていたのかもしれない。
彼との出会いは高校を卒業する間近、なんのヘンテツも無い道でのコトだった。
その日はとても良く晴れた空で寒空に澄んだ青が広がっていてとてもキレイだったからちょっと遠出して山の上にある丘に行こうとバスを乗り継ぎ目的地まで歩いていたとき私の横を勢い良く風が走り抜けていった。
あまりに一瞬の出来事にだったせいで暫く何が起きたのか良くわからなかったけれど小さくなるソレは良く見れば普通の自転車とは少しだけ違う形をしているのが見えた。
あの自転車が見えなくなって数十分、お世辞にも大きいとは言えない歩幅で山道を登り目的の丘まで辿り着けばとてもキレイな景色が眼前に広がる。

「キレイ!ハコネはこんなにキレイな町なのね」

内陸国の私の産まれた国は低地で比較的山よりも湖が多い。
自然こそ多いし一部以外はどちらからと言えば温暖な気候だけど日本のように四季は無いしこんなに町と空が見渡せる丘も無い。
だからこそこんなにキレイな景色を丘の上で見ることが出来ることに私は感動していた。
高校2年のヤヤ中途半端な時期に日本に来てまだまだ知らないことだらけのこの島国は私にとってまだ未知の領域が多くてとても楽しい。
さっき見た自転車のことをすっかり忘れていた私はぽつりと置かれたベンチに座って家からお昼にと作って持ってきたサンドイッチを食べ始める。
風は少しだけ冷たいけれどキレイな景色を見ながら食べるご飯はおいしくて次のサンドイッチを手に取ろうとしたとき後ろから延びてきた手がサンドイッチを掴んで持っていってしまった。

「エッ!?」

慌てて振り向くとそこにはすごくぴったりした服を着ていて私の身長だと見上げないと顔を伺うことが出来ないくらい背の高い細身の男の人がいた。
2、3口くらいでサンドイッチを食べてしまうと暫くモゴモゴと動かしていた口を開いた。

「中々おいしいンじゃナァイ?」
「エッ、あ、アリガトウございます・・・?」
「あっはァ、なんで疑問系なワケェ?ていうかさっき歩いて登ってたでしょォ」
「エ、エエ・・・?あのときの自転車の人?」
「ウン。因みにあれはロードバイクネ」
「ロードバイク・・・なんだかとっても速いのね、びっくりしちゃった」
「見たこと無いのォ?」

良く見れば下睫毛の長い切れ長の目を細めてクスクスと笑う男の人はなんだか男の人じゃないみたいにキレイだ。
その人は隣に座るともうひとつサンドイッチを掴んで口に含んでこちらを見た。

「この辺じゃ見ない顔だけどォ?」
「ア、私江ノ島の方に住んでるの。あんまり旅行とかできないから今日はちょっとおでかけ」
「ソォ、江ノ島からじゃ結構遠くなかったァ?」
「そんなことなかったよ、電車とかバスの移動すごく楽しいもん」
「ヘェ・・・気になってたんだけどさァ、日本人じゃないよネ」
「ウン、私ベラルーシの生まれなの。日本には1年くらい前に来たばっかりだからあんまり良くわからないの」

「フゥン・・・」と聞いてきたわりにとても興味無さそうな声を漏らしてから長い下睫毛の目を楽しそうにキュッと細めて彼は私の方を見た。

「ネェ、名前、なんて言うのォ?」
「ア・・・笹身てば、あなたは?」
「俺ェ?俺は荒北靖朋だヨ、好きに呼んでいいよォ」
「ウン、エット・・・じゃあ、ヨロシクねヤス、くん・・・」
「ハァイ、ヨロシクネェ、ささみチャン」

ササミ?鶏肉?
呼ばれた名前にイマイチピンと来なくて不思議そうにしているのを感じたのかヤスくんは「笹身だからァ、ささみチャンでショ?」と一言。
アア、と納得してそれから頷くとヤスくんは満足そうに笑って私の頭を撫でてくる。
ママよりもちょっとだけ荒くてそれでもとても優しい手付きがなんだか気持ちいい。

「ささみチャンはカワイイね」
「・・・そうかな」
「カワイイよォ、無防備過ぎて俺心配になるヨ」
「んー・・・そんなことないと思うんだけどなぁ・・・」
「あは、本当に無防備じゃないなら俺にこうやって撫でられて無いよォ」
「そうかなぁ?」
「そうだよ、ところで高校どこォ?」

頭の上に置いていた手を退けるとヤスくんはやっぱりクスクスと楽しそうに笑う。
彼は笑顔の絶えない人なんだなぁ、そう思いながら彼のキレイな顔を見上げながら質問に答える。

「高校?高校は白百合学園、もう卒業しちゃうケドね」
「アア、女子高ネ。ま、もう二月だしねェ」
「ヤスくんは?」
「俺は箱根学園だヨ、ここ下ってしばらく行ったトコ」
「ハコネ学園?そこって有名なの?」
「それなりだと思うケド、なんでェ?」
「ん、クラスの子が言ってたと思って、エット・・・フ・・・フクナントカくんって人」
「アア、福富のことかなァ。鉄火面なんだけどさァ、意外とアイツ女にモテんの」
「多分その人。そんなにモテるの?」
「モテるモテる」

「その割りに女に興味無さそうなんだよォ?信じらんないよネェ」なんていたずらっ子みたいに笑うヤスくんに釣られて私まで笑ってしまう。
口では素直そうじゃないこと言ってるけどきっとそのフクトミって人のことが好きなんだ。
そうちょっとだけヤスくんのことを知ることが出来た気がしてうれしく思ってるとフイに高い電子音が鳴り響いた。

「ン、あ、ちょっとゴメンネ」

後ろのポケットから取り出した携帯を開くと画面をちらりと見て耳に充てる。
軽く相槌を打ちながら二、三言話すと直ぐに切ってまたポケットに仕舞いこんだ。

「悪りィケド俺そろそろ戻んなきゃねェわ」
「ア・・・そうなの?」
「ソォ、福富にいい加減戻れって言われちゃったからさァ。ゴメンネ?」
「ア、うんん、気にしないで。ア、でも・・・」
「ウン?ナァニィ?」
「あの・・・アドレス・・・ア・・・ん、やっぱりなんでもない・・・」

眉をハの字にして下げながら顔のちょっと下辺りで手を上げるヤスくんに連絡先を教えてもらおうと思ったけど初対面だしそもそも教えてもらえないかも・・・と思って言葉が小さくなっていく。
するとヤスくんはさっきしまった携帯をもう一度出してから口を開いた。

「・・・アドレス教えてって?いいヨォ、教えてアゲル」
「エッ!?アッ、本当・・・!?」
「ウソついてどうすんのォ?俺もここでバイバイは名残惜しいし?ほら、携帯貸してェ」
「ハ、ハイ・・・あの・・・」
「ンー?」
「・・・また、会える・・・?」
「・・・ささみチャンが呼んでくれるならいつでも会いに行くヨォ」

細長い指でいじっていた携帯をその一言と一緒にポンと渡される。
そしてもう一度頭をスルスルと撫でるとヤスくんは「またねェ」と行って側にあった自転車に跨がるとふわりと風を残して走り去ってしまった。
ぼんやりとその後ろ姿を見ながらヤスくんの手が置かれた頭に手を乗せてみると生温い彼の温度を残している気がした。






「・・・みチャン、ささみチャァン?」
「・・・・・・ヤスくん・・・?」
「寝てたァ?」
「ン・・・あのね、ヤスくんと初めて会ったときのこと思い出してた・・・」
「そっかァ」
「あのね・・・私ヤスくんにメール送るのすごく緊張したの・・・日本で初めて出来た男の子のお友達だったし何話したらイイのかなって・・・」
「知ってるゥ、ささみチャンの初メール超かわいかったからァ」
「なにそれ・・・ふふ・・・」

耳元でクスクス笑いながら繋がれた指をすりすりとなぞるヤスくんの表情はいつものちょっといやらしい感じの笑い方じゃなくてとても穏やかな柔らかい笑顔だった。

「ネェ、ヤスくん」
「ナァニー、てばチャァン」
「これからも私が呼んだらすぐ来てくれる?」
「アハ、当たり前じゃナァイ」

てばチャンが呼んでくれるならいつでも会いに行くヨォ。

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