仰げば黒雲、硝煙にのまれた空が滑るように重く、唸る。心の臓が警鐘の如く脈を打ち、まともな息さえままならない。この張り詰めた緊張感と辺りに漂う血の臭いで酷く眩暈がした
「チッ、斬っても斬っても湧いてくらァ」
背後で刃の交わる音が響き、次いで一度離れていた体温が再び背にぶつかる。これでも侍の端くれ、集中力を欠いたのはおそらく数秒。それなのに高杉の声に懐かしささえ覚えたのは何故だろう。そんな事を考えている隙にも、周りで蠢き絶えることのない殺気が現実を頭に叩き込んでくる
「…この状況でぼんやりたァ随分余裕じゃあねえか」
「ご、御免」
「まわりを見ろ、念仏なんざ唱えてる場合か」
「今更そんなもの唱えるつもりは、端からないよ」
どのみち終いは地獄行き。とは言え、勿論こんなところでおいそれとこの命をくれてやるつもりも毛頭ないが。気付けばぐるりと周りを囲む敵、ついには聴覚まで麻痺してきたのだろうか高杉と自分の荒い息遣い以外は何も聞こえない。しかし幸い、あの眩暈はおさまってきたようだ
「ああそうだ高杉、家に帰ったら一緒に酒でも呑もうか」
「ククッ…そうさな、たまにはてめえの下手くそな酌につき合ってやるのも悪くはねえ」
「あら、野郎の手酌酒よりは味があると思うけど?」
「そいつはどうだろうな」
とにかく約束だからね、と念を押し高杉の承諾を合図に互いの背を離れた。群がる敵に突っ込んで行きながら、刀を握り直す。最早ぐずぐずしている暇はない、アイツの気が変わってしまわぬ前に…まずは生きて、高杉のところまで
突き立てた楔081103 高杉/たかい