無感動なやいば

降り掛かってきた太刀の凶刃に己れの左腕をさしだしたのは何か素晴らしい策が思いついたわけでも逼迫したこの現状をどうにか打開する切欠を作ろうとしたわけでもない。なんとなく頭にその刃が当たっては困るなと思っただけなのであって。まさか差し出した腕がいとも簡単に骨と肉と皮を断ちその結合を失って呆気なく吹き飛び、綺麗に現れたその断面から待ちきれないとばかりに赤い液体が噴き出してくるとは陸奥守吉行にはまったく思ってもみなかったことであり、こうなることが予めわかっていたならそもそもの話どうにかしてそれ以前に起きていた敵部隊との攻防を一時的に諦めてその一振りをかわしただろう。そうしなかったから陸奥守の左肘から下は獲物の拳銃を手にしたまま戦場の中を三尺ほど飛んでいき、べちゃと粘着質な音を立てた。地面に落ち数回跳ねた後ぱたりと動かなくなる自分の腕とそれがかつてあった場所からぼたぼたとこぼれ落ちる真っ赤な自分の血液に頭の奥の何かが急激に沸き上がるような心地がした。

「わしに抜かせおったな……!」
一気に沸点へと到達した頭は簡単に理性を投げ出した。そうなってしまえば陸奥守吉行を止める者などもはやどこにもおらずどこか怒りにも似た獣のごとき感情に身を任せる他なかった。銃が使えない状況になれば普通にこの男は躊躇いもなく剣を抜くのだった。





「随分と派手に暴れたものだな」
そう声をかけられ自分を取り戻した時には既に自分の腕を切り飛ばした敵の太刀の姿はなく、ただ自分のものではない赤い水たまりの中に多くの死骸が溺れていた。右手で握っていた刀に付着した血液はひたひたとその刀身を伝い陸奥守の肩をじわりと変色させていく。忘れていた呼吸を取り戻せばむわん、と鉄臭さが鼻の中に溢れかえった。視界の右側が赤く見えるのは睫毛に血がこびり付いているのだとわかり、自分の身体を見回しては随分と返り血を浴びたようだと他人事のように考えた。それからその事実に頭の芯が再び熱を取り戻してくるのに気付き慌ててそれを打ち消そうと声のした方を伺えば多くの血を浴びその名の通り本来の姿を取り戻した鶴丸国永が自分の刀と足を使って死体の数を数えているところだった。鶴丸は陸奥守の顔色を見て一瞬瞠目したが驚いたなと一言いう頃には既にいつも通りの飄々とした顔に戻った。

「なんて顔してるんだ」
「そがに酷い顔しちょるかの」
「ひどいなんてもんじゃないぞ、餌に飢えた獣みたいな顔してる。俺もつられちまいそうだ」
「……あ、にゃあ、すまん」

慌てて左手で自分の顔を隠そうとしたがその感覚がない。それがあるはずの場所に視線をやれば左肘から下が虚であった。そういえば先ほど吹っ飛ばされたのだと徐々にその前後の記憶を取り戻しながら陸奥守は自分の右手を探した。五尺程先で骨喰藤四郎が自分の膝下の汚れを払っているのが見える。さらに先には馬に乗っているのもやっとという状態の燭台切光忠が見えた。二人は戦場を引き返すつもりのようであるのでさらに注意深く見渡せば二人と鶴丸は見るからにどこかしらに傷を負っていてそれぞれが率いていた兵士たちも戦場で無惨に散ってしまったのかほとんど残っていなかった。そこまで観察してからようやっと自分たちは命からがら勝利を収めることができたのだと気づくのだった。そうしていま自分がこうしていられること、そして自画を取り戻せた安堵に陸奥守は深く息を吐いた。

「見ての通り敵部隊は撃破したが、こちらの被害も甚大でな、珍しく乗り気なところ悪いが今日はここで一度本丸に引き返そう。向こうに和泉守がいる。足をやられたようで動けないらしいから連れてきてくれ」
「ああ、わかった」

陸奥守の反応を伺うと、お前たち本丸に帰るまでが出陣だ、最後まで気を抜くな、と鶴丸が数少ない兵士に声を掛ける。応、と帰ってきた声は力強かったがどことなく淋しげである。後ろから名前を呼ばれ振り向くと腹部を怪我したらしい骨喰がこれを、と陸奥守に差し出した。それはまさに先程までくっついていた陸奥守自身の左腕だった。その手は今でもしっかりと陸奥守の拳銃を握っている。

「手入れするにも元の部分があった方が良いだろう」
「ああ、恩に着るぜよ」
「構わない」

骨喰は小さく首を振ると先に行くと歩き出した。小柄な身体は怪我をしているものの健脚そのものであっという間に陸奥守に見せた背中は小さくなっていく。馬に乗り乗り手を見失った馬を引き連れながら光忠がお先にと声をかけて通り過ぎていくと戦場はとたんにそれまでの喧騒が嘘のように静まり返り一陣の風が戦場の塵を運んでいく音だけが聞こえてきた。その向こうに小さくうごめく山が見え、浅葱の羽織が風にあおられてはためいていた。陸奥守はそれに向かって歩き始める。あらゆるものが動くのをやめた中で動けるものといえば相場は限られている。自分の右手に抱えた左腕から獲物を取り上げて懐に入れた。獲物を失っても陸奥守の左腕はずしんと中身が詰まっている。ついている時はそれを感じることはないのに外れるとその重みがわかるとは不思議なものだと身体を得てから陸奥守は毎度このように驚いてきたのである。




「和泉守、生きちょるか」
和泉守兼定は自身が倒したのであろう敵将の死骸に背中を預けていた。右腿に大きな裂傷があり傷口から肉をのぞかせている。袴はその際に出たのであろう血液で色が変わっていて黒く変色していた。自分の声に反応して顔を上げた和泉守はああと頷いた。

「このとおり意識ははっきりしてるし出血もそれほどねえ、どう見たって軽傷なんだが歩けねえ。手貸してくれ」

というという顔を見て陸奥守ははっとした。和泉守の瞳には色こそ涼やかであるがその奥で何か熱いものが揺らめいていたからだ。先ほどの鶴丸の言葉を思い出した。なんちゅう顔しよる、自分の事は棚にあげて忘れかけていた熱を呼び戻すその自虐的で煽情的な表情がすごく憎らしい。自分も今同じ顔をしているのだ、と気づいたのはその時になってからだ。自分の血を見て逆上するというのは戦場ではよくあることで、陸奥守は未だにその恍惚とした状態と現実の狭間にいる。どうにかして再び我を忘れる事態は避けたいなどと考えながら何も言わず近寄ってくる陸奥守の腕を見て和泉守はその表情を引きつらせた。

「お前、腕……」
「うっかり吹っ飛ばしてしもうたやき。けんど、おまんに肩かすぐらいはできるぜよ」
「痛くねえの?」
「おん?……ああ、死ぬほど痛いぜよ。痛くて痛くて死にそうじゃ」
「ぶっ……」

陸奥守の芝居がかった仕草にわざとらしいな、と笑った和泉守が両腕を陸奥守の首裏に回す。ぐ、と引き寄せられれば自然と和泉守の顔が近づいて来たのでただそのまま唇を合わせた。角度を変え何度か乾いた唇が触れ合った後にお互いの舌を絡め合う。口の中にたまった血の塊や砂を舌を使って相手の口に送り込んだと思ったら逆に与えられる。互いの咥内に溜まった鉄の味を擦り付け合うような接吻だった。ふと閉じていた瞼を上げれば同じく爛々と輝く瞳がかち合い悪戯がばれた子供のように歪んだ。こちらも随分と逆上せているな、と陸奥守は思った。恐らくは左腿を斬られたせいなのだろうと陸奥守は思いそれから和泉守の背中に左手を回すと鼻にかかった声が上がる。不思議に思って背中を撫でまわしてみると尖った石の様なものや欠けた刃があちこちに刺さっている。浅葱の羽織の中は汗をかいた時のようにじっとりと湿っていた。鋭利なその先端に触れて陸奥守の左手も少しではあるが出血した。傷口を無遠慮に撫で回す陸奥守の腕が動く度に和泉守がん、と短く声を上げる。一つ、手ごろな破片をつまんで引き抜いてみると小さき果実を潰すような音がして大きな声を上げた和泉守が反射でおおきく仰け反った。喉仏の浮き上がった細い首筋は黒い衣服で覆われているがその中には雪原を思い起こさせるような白く細長い首筋があるのを陸奥守は知っている。

「痛いか?」
「いや、よくわかんねえ、でもなんか…すげぇ」
「おん?」

顔を上気させ息を荒らげた和泉守が陸奥守の肩にもたれ掛かる。荒い息遣いを整えることもせず小声でイキそうだ、耳元で囁いた。今度は陸奥守が笑いをこらえる番だった。おんしなぁ、と強めに頭を叩いた。せっかく持て余す熱を忘れようとしていたのに、なんだか自分の試みが無駄になったような気がしてなんとも言えない腹ただしさがあったが、肉の覗いた和泉守の太腿を見て、瓦礫の埋まった背中の感触を思い出してどうでも良くなった。生理現象とかいうやつだろとあっけらかんと言う和泉守が首から腕を離して立ち上がったがそのままひっくり返る。

「自分が怪我しおるの忘れちゅうが」
「怪我人笑うのとか最悪だろォ、陸奥おぶってけよ」

馬鹿みたいに笑いながら再び立ち上がる素振りを見せた和泉守に笑いながら肩を貸す。右腕に絡まる長い腕を引き上げ、ぼろ雑巾を引きずるように歩きながらこれだから戦はよくないんじゃ、と陸奥守は思った。


傷を負った際に感じる熱のようなものや皮膚が裂かれ肉が割れ、骨の折れる感覚や体を斬られたり槍が身体を貫いた時の感覚が「痛み」という類のものだと知ったのは戦場に出て間もなくのことであった。身体のあちらこちらに様々な傷を負った自分たちを見て主が手入れの度に「痛い」と口にするので器を持つものは怪我をしたり、血を流したりしたら「痛み」を感じるものなのだと簡単に理解できた。傷自体は主が刀本体の手入れを行い時間がたてば忽ち元に戻るが、それでも多くの血液が流れれば意識は朦朧とするし、手負いの部分を動かそうと思ってもその部分はまるでいうことを聞かない上に怪我の具合によっては治るまでかなりの時間の安静を強要されるために自分たちはできるだけ戦場で怪我を負わないように気を付けるのだ。それだけ気を使っても運が悪ければ敵に斬られるしさらに運が悪ければ訳も分からぬまま意識をなくし瀕死の重傷を負うことだってある。さらに運が悪ければ手の施しようもなく刀剣を破壊されることもあるのだ。
だからこそ彼らは戦に出る度に生きるか死ぬかの選択を余儀なくされ、傷を負い自らの流れる血を見て逆上してしまうのだ。人の形を得て生活していくうえで必要のない闘争本能が目を覚まし何の思考も意思も持たない獣に変化する。そうして理性を捨てて刀を振るっていたのが先ほどの陸奥守自身である。
理性を失い身体の赴くままに敵を倒した後は妙に身体が逆上せ上り興奮する。身体の奥底でふつふつと溶岩のように煮えたぎるそれを鎮めなければ自分の知らない自分自身にそのまま身体を乗っ取られてしまいそうになるのである。戦をすれば傷を負うし、下手をすれば死ぬ。死なないにしても自分の理性を失うあの瞬間が来るのだなどとあらゆることを考えて陸奥守はやはり戦はよくないと考えるのだった。


敵と斬り合ってその拍子に落馬した和泉守は背中から地面に落ちた。落馬の勢いと自分の重さの相乗効果で戦場に散らばっていた凶器の欠片の上に落ちれば和泉守の背中にはあらゆるところに穿った石や欠けた切先などがその皮膚を破り食い込んだ。慌てて立ち上がるもその隙に太腿を斬られた。そこから先はあまり記憶がなく気づいた時には敵を殲滅させて敵将の死骸に背中を預ける羽目になっていたのだ。本丸に戻ってきた陸奥守と和泉守を見るや、派手にやったもんだなと言った主はこれから先に帰ってきた仲間の手入れを始めるからその間に和泉守の背中の不純物を取っておくように言付けた。自分たちの汚れを落としたら好きに休んでいて構わない、と付け足し手ぬぐいや水の入った桶などの必要最低限の道具と共に手入れ部屋の隣にある空室に二人を押し込んだ。応急処置として腕の傷口に止血の包帯を巻いた陸奥守は我慢のきかない和泉守が同じく応急処置で固定された太腿を器用に身体に巻き付けて先ほどの痴態を思い出させようとするかのように絡ませた。興奮した精神状態を隠そうともしない和泉守が誘うように自ら装飾を外し始める。早くこれ取ってくれよと上半身に一糸纏わぬ和泉守が差し出した背中には数十ほどの破片が突き刺さっている。その中には半分ほど顔をのぞかせているものからほとんど中に入り込んでしまったいるものまであった。主から菜箸のような細長い箸を与えられた陸奥守は手始めに半分ほど残っていた破片をつまみ引っ張る。収縮した肉は破片を閉じ込めるべく固くなっておりなかなかそれを体外に持ち出すのを許さない。力任せに引っ張ればぐち、と言う音がして破片は抜けた。ぴしゃ、と和泉守の血が陸奥守の頬に飛んだ。

「いッ……あ、ああッ……」
反射から上がる声を和泉守は抑えようともしない。背中を襲う熱のような感覚をそのまま拾った和泉守は荒く息をつきながら陸奥守の次の一手を背中越しに見つめて待っている。普段の長く艶めいている黒髪は今は血と砂埃にまみれその輝きを潜めているが、顔の横に流して重力にさせるがままになったそれは柔らかく布のように見える。ひとつひとつ丁寧に背中の瓦礫を取っていくが、奥に入り込んでしまったものは半ば傷口を抉る様にして取り出さなくてはならずその度に和泉守を叫び声をあげ、敷いた布団を皺になるほど握り締め背中で起こる稲妻のような刺激に身体を震わせたた。それはさながら閨の時のそれのようだと思いながら陸奥守は血の噴き出した傷口を舐める。あふれる血液をいちいち拭うより早いのでこうしているが舐めとる血と皮膚の感触に頭が馬鹿になる心地がしていた。

おそらくある種の酩酊状態のようなものなのだろう。興奮した自身の神経はあらゆる刺激をも拾い丁寧に反応を示して見せる。破片がひとつひとつ取り除かれる度に上がる和泉守の声や震える背中も何もかもが陸奥守から取り戻しつつあった平穏を奪っていく。背中で息をし始めた和泉守が呼吸の合間にやばいやばいと呟いている。体の奥底にあり霧散させることができない滾りが身体の中に溜まっていくことがもはや恐ろしいのだ。

「これが最後じゃ」
「……ッ、あ、ッふぅ」

すべての破片を取り除いてから水で濡らした手ぬぐいで背中をそっと拭き取れば和泉守の背中がまるで破れた障子戸のように見えた。勝手に引くつく自身の身体を落ち着けるように息を吐く和泉守も積み重なった刺激を溜め続けた身体はその熱の放ち方を考えあぐねているようであった。わざと気がつかない振りをして手ぬぐいでで汚れた髪を拭いていく。髪の内側は汗でしっとりと濡れていた。先ほどと同じく袖をぐいと引かれた。それは先ほどとは少し違い力任せに引かれたせいで陸奥守は体勢を崩した。両手両足ががしりと固定され有無をいわさず和泉守の立ち上がったものが当たる。何とは言わずともその反応を見た和泉守が笑った。その少し馬鹿にしたような反応が気に食わない陸奥守が黙らせるように口を塞げば、待ちきれないとばかりに自分の舌を差し出され貪りついてくる。同じ餌に飛びつき食らいつく滑稽な獣のごとき自分たちの姿を見て笑わずにはいられない。結局燻ぶる熱をどうにかするには身体を暴くほかないのだ。愛する愛さないなどの二次的感情は置いておいて。


「わしもおんしも同じ穴の狢じゃ」
「は、何を今更」

好戦的に睨み返してくる目にさらに煽られて陸奥守は先刻までは黒い衣服に覆われた首筋に歯を立てた。陸奥守の左腕が治る頃にはこの噛み跡はすっかりなくなってしまうことを憂いながら尖った歯は簡単に皮膚を裂き肉に突き刺さる刃に変わった。

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