理想と現実


「汚い手で僕に触るなよ!この下民が!」

顔色を変えたキュモールは床に芋虫のように丸くなった男をブーツの底で踏みつけていた。
蹲るのはカプワ・ノールで救ったあのティグルだった。
彼を救えば、凛々の明星が請け負った仕事を終えることが出来る。

「お金ならいくらでもあげる。ほら、働け、働けよ!」

体の芯が冷えていく、それは確かに怒りを感じていた。
今まで幾度となく帝国に虐げられる人間を見てきたけど、やはりこんなの、許される、許せるものではない。
その横で笑っているイエガーの気さえ知らない。

「よしなさい!」

掛け声とともに飛び出したのはエステルだった。
普段おとなしい彼女からはまったく創造も出来ないほどの怒りを露にして、とってかかりそうな勢いでキュモールに詰め寄った。
さっと血の気の引いたキュモール。
「ひ、姫様!?」と情けない声を上げる、足元で蹲っていた男はすりぬけるとエステルの近くに飛びこんだ。
それを見て「しかたねぇやつ」とユーリがため息を吐くと腰を上げた。
私たちがキュモールの前に姿を現すと、キュモールの口元が言葉を発せないくらいに引きつった。

「ゆ、ユーリ・ローウェル!どうしてここに!」

一瞬、私を見るとエステルがきっと目を吊り上げて

「あなたのような人に騎士を名乗る資格はありません!」

キュモールと対峙をした仲間たち。
エステルの強い言葉を募る。

「力で帝国の威信を示すようなやり方は間違っています!その武器を今すぐ捨てなさい!騙して連れてきた人々もすぐに解放するんです!」

キュモールの視線が泳いでいた。
エステルは帝国の皇帝候補の一人である。
キュモールがまことの臣下、騎士であるならばエステルの言葉に素直に従ったはずだ。
しかし、キュモールは一瞬イエガーを見た。
すると鬼の首を取ったかのように目を細め自身あり気に笑った。

「世間知らずの姫様が、どうせ行方不明って事になってるんだし、この場で消えてもらっていいかもね。理想ばっか語って胸糞悪いんだよ」
「騎士団長になろうだなんて妄想してるヤツが何をいってやがる」

「くっ」とうめき声をあげた。
すると成り行きを見守っていたイエガーに向けて声を上げる。

「イエガー。やっちゃいなよ!」

イエガーは何もいわず私たちとキュモールの前に立った。
ユーリたちもおのおの武器を抜くが、私はチャクラムを指に挟み、さらに前に立った。
じっとにらみつけるとイエガーは小さな声で目を細めて笑った。
それはまるで普段の挨拶を交わすような顔だった。

まるで三日月のように口を尖らせると、口元に手を当てて秘密にしてくれといわんばかりに。

そんな光景を見て、キュモールはあせったように名を呼ぶが、イエガーは微動だにしない。
そんな中に入ってきたのはキュモールの部下である紫の騎士。

「キュモール様!フレン隊です!フレン隊がこの街に」

血相を変えてこちらに向かってくる。
近いうちに着くと思っていたけど、まさかこんなに早いとは。

「フレンが……?」
「さっさと追い返しなさい!」

とキュモールが喚くが、騎士は首を横に振る。

「だめです!キャンプ地を調べさせろの一点張りで、押し切られそうです!」

八つ当たりのようにキュモールは自分の部下を蹴りつける。
すると沈黙を守っていたイエガーがはじめて口を開いた。
私たちに攻撃を仕掛けてくるわけでもなくはす向かいの物陰に向かって声を張った。

「ゴーシュ、ドロワット!」
「はい!イエガー様」
「やっと出番ですよ!」

と出てきたのはイエガーの部下である二つ編みの少女、短いスカートをなびかせる。
二人とも普通の少女なのに、動きが精錬されている。
彼女は私に気づくと「お久しぶり」と声をかけるが余計なことを言うな、といわんばかりに目を細める。
そして低い声で言う。

「ここはエスケープするのがベター、オーケー?」
「あいあいさ〜」

活発な少女が敬礼するようにポーズをすると、床に何か黒い弾を叩きつける。
小さな爆発音が響くともくもくと黒い煙幕が上がって視界を包む。
少女がたたきつけたのは煙幕筒だろう。
視界の先で、声と慌しい足音だけ響く。

「さぁ、こちらへ」
「逃げろ、逃げろ、すたこら逃げろ!」
「今度会ったら、ただじゃあおかないからね!」

と、なんとも悪役らしい置き土産を残して消えていく。

「早く追わないと!」

エステル手で視界を晴らしながら、走り出そうとするがカロルは先に止める。

「まって、街の人を助けるのが先じゃないの!?」
「で、でも」
「どうするの、追うの?追わないの?」

リタはただ興奮して考えられないエステルではなくユーリにたずねた。
追おうと思えばそれも出来るが、このまま、彼らをおいていくことは出来ない。
まだキュモールの部隊の残りがいるかもしれない。

そんなときに乗り込んできたのはフレン、とその部隊。
少人数であったが、すさまじい統率力を発揮するフレンの手によってキュモールの部隊は拘束されていく。
そんな中聞こえてきたのは「おとなしくしていろ」という強いフレンの声。

「お、いいところにきた」

煙幕で姿が見えなかったけど、それは確かにフレンの声だった。
ユーリが指差していうと、向こうは「ユーリか」と驚いたような声を上げた。

ユーリはディグルに

「悪いが最後まで面倒見れなくなった。あとは自分で家まで帰ってくれ」
「は、はい。ありがとうございます!」

そう、フレンが来たということはこの場を打開できるというものでもあるけどこの場に留まれば面倒なことが起きる。
下手をすれば私も一緒に拘束されかねない事態なのだ。
ジュディスが「追うのね?」と聞くとユーリは「あぁ」と頷く。

「ああ、もうここはフレンが片付けてくれるだろうしな。カロルそれでいいか?」
「そうだね。エステルが今にでも言っちゃいそうだもん」
「すみません、カロル」
「もう!追うことになったならさっさと行こ!」

走り出したリタ。
私もこのままイエガーに逃げられては納得いかない。
フレンが後ろで「ユーリ!」と名前を呼ぶが、彼は止まらない。

「フレン!ここの後始末は任せた!」
「エステリーゼ様!やはり、あなたにこんな危険な旅は……!」

フレンの途切れ途切れの声はそこまでしか届かない。
ユーリもエステルも止まることはなかった。



森の中をずいぶん走ったと思う。
キュモールとイエガーの姿は見当たらない。
ラピードが鼻を利かせながら先頭を走るが、だんだんとペースも落ちてきた。
どうやら完全に見失っているらしい。
リタは不機嫌そうに舌をうち、エステルも落胆の色を見せている。

不意にカロルが辺りを見渡してぽつりと言葉を落とす。

「ここはその辺りなんだろ」
「たぶん、トリム港の方だと思うよ」

何も考えず追ってきたわけじゃない、一応進路の確認は取っていた。

「なら、ヘイオードに戻るよりこのまま港に行ったほうがよさそうだな」
「え?」

エステルがぽかんと口を開けて目を見開いた。
「キュモールはどうするんです?」と食いつく。

「エステル。いいにくいんだけど、港に向かったって事はもう船でどこかに出てしまったのかも知れない。海路を特定するのはまず無理だよ」

私がエステルをいさめるが、それでも彼女はあきらめない。
そんな中、ジュディスがつめたい視線と声をエステルに送った。

「フェローに会うことがあなたの目的だと思っていたけど?」
「それは……」
「あなたの駄々っ子に付き合うギルドだったかしら?凛々の明星は」

エステルはっと仲間に向き合った。
淡々といったジュディス、何もいわないユーリ、肩を落とすカロル。じっとエステルを見るラピード。
私はなんといったらいいか分からなくて視線を泳がしていた。
ジュディスの言うとおりだった、凛々の明星が請け負った仕事はエステルをフェローに会わせること。
そして、ティグルを救うことだった。
キュモールはその中にいたに過ぎない、その目標を失い、ティグルが救われた今はエステルをフェローに会わせるのがギルドの仕事だ。
目先のことでギルドがいちいちぶれていては何もならない。

「ご、ごめんなさい。わたし、そんなつもりじゃ」

分かっている、この場にいる誰だってキュモールのことは許せない。
だからってこのまま追い続けるのも私たちは正義のヒーローじゃあるまいし、現実的でもない。
沈黙が重すぎて言葉も出てこない。

「ま、落ち着けってことだな」

一番最初に口を開いたユーリは笑って言った。

「それにフレンが来たならあいつに任せときゃ間違いないさ」
「ユーリ」
「ちょっと!」

今まで黙って見ていたリタはついに耐え切れなくなったのか、強い剣幕でこちらを一瞥した。

「フェローって何?凛々の明星?説明して」
「あー」

それはと私が口を開きかけたとき
「そうそう説明して欲しいわ」と第三者の声が響いた。
こちらにゆっくりと歩み寄ってくるのは中年のおじさんで、いつものとおり飄々と何を考えているか分からない。
ギルド天を射る矢の幹部のレイヴンだった。

「ちょ、ちょっと何よ!あんた」

レイヴンは確か、ダングレストでいつの間にか消息不明になっていたはず。
声をかけようと考えたけどわざわざそれをするまでの間柄じゃないし、と私はそのままスルーしてきたけど。
リタの問いかけにおどけて答えたレイヴン。

「なんだよ、天才魔導少女。もう忘れちゃったの?レイヴン様だよ」
「何よあんた」
「だからレイヴン様」

リタの獲物を見る獣のような瞳。
相変わらずそれはすごい迫力で、普通の人間なら泣いて逃げ出しそうだが、レイヴンはただ口をすぼめて不機嫌そうに「本当に怖いがきんちょだこと」と漏らす。
ユーリが腰に手を当ててたずねる。

「んで、おっさん。こんなところで何してるんだよ?」
「お前さんたちが元気すぎるからおっさん、こんなところまで来るはめになったんだよ」
「何の話だよ?」
「あー……」

いやな予感が頭をよぎった、察しがいいねといわんばかりに私を見て笑ったレイヴン。

「まぁ、その話は道中おいおいと、とりあえずトリム港にいこうや。おっさん、腹へって」

確かにこのままこの場所に留まっていても仕方ないし、と先頭を仕切るレイヴンの後に続くことにした。




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