澄明の刻晶

「どこまで行ったんだ?」

私は首を横に傾けた。
こうなったらやけだ、もう忘れるんだ、ここは船の上じゃない、ただちょっと揺れて、周りが暗くて、少しぼろい……船の上か。
ユーリはカロルを回収して、フィエルティア号に戻ろうということになった、今の揺れで何かあったかもしれないし、残してきたカウフマンは護衛の最中だというのに幽霊船探索をするだなんてあまりいい顔をしなかったし。
しかし、カロルはどこまで隠れてしまったのだろうか、船内は複雑に入り組んでいて分かりにくいし、今の揺れで立て付けが悪くなって扉が開かなくなった部屋もいくつかあるらしい。

一応声を掛けて回っているけど、気配一つないし、ラピードも渋い顔をするので部屋には居ないのだろう。

「声がするね」
「だな」

大きな柱を挟んで向こう側。
人の声が響いてくる、それは女性のもので、かなり甲高い声。
一人ではないらしい、

「まさか、本物の幽霊が出てきたかって……何やってるんだ」
「ゆーりぃ!」

扉の隅の物陰に隠れているカロルを発見した。
ものすごい勢いでユーリに抱きついて、縋るカロルを見てよほど怖い思いをしたのだと哀れに思う。

「ひ、人の声が。お化けが、お化けが」
「落ち着け」

頭を撫でながらカロルをなだめ、ユーリは再び扉に視線を移す。
私は空けようとドアノブをまわすがかちゃかちゃと音だけが空回りする。

「んー。こうなったら実力行使だね。どいてユーリ」
「お前、何する気なんだよ」

私は扉の前に立ち手をかざす。

「ちょ、そんな事したら向こう側が」
「別にいいじゃない?お化けなんでしょ」

その決め付けはなんだろうと思うけどこの場に私たち以外の人間が居るはずない。
本当のことを言うと開かない扉をいちいち迂回して遠回りしているのがいやなだけ。

「貫け雷、サンダースピア!」

私の手に収束した雷が扉を吹っ飛ばす。
粉々になった破片は当然、扉の向こう側に散る、が。

「きゃああ」
「あ、れ?」

破片、埃と一緒の舞う向こう側には刃物の銀色が大きな木片を打ち落としていく。
一緒に響くのは聞き覚えのある少女の悲鳴。

「エステル?」
「いきなりなにすんのよ!」

と、私の胸倉めがけて突っ込んできたのはリタだった。
私の襟をつかんでぐいぐいと振り回すリタ。
その勢いはすさまじく私が間違えて攻撃してしまったこと意外でもストレスを溜めていたんじゃないか。
私の足元をすり抜けたのはパティだった。
彼女はぱたぱた音を立てて後ろで唖然とした顔で様子を見守っていたユーリに飛びつく。

「ユーリに会いにきたのじゃ」

腰に抱きつき、背に縋って色目を使うパティ。
目をぱちぱちさせている。
前々から思っていたけど、パティはユーリに気があるんだよね。
ユーリが相手にしているかは別だけど、積極的なパティを私はただ苦笑いで見守るしか出来ないけど。

後ろからわらわらと出てくるエステル、ジュディス、リタ、レイヴン。
やっと会えたと口々に言うところを見ると、心配して私たちを探しに来てくれたのだろうか。

「無事でよかったわ」
「外は大変なことになっていたりする?」
「マストが大変なことになっているみたいだけど」

自分で聞いておいてジュディスの一言に眩暈がした。
マストが折れるとは何か不吉なものの前触れに違いない、沈没とか、沈没とか沈没とか。
私はみんなを押しのいて救助隊(勝手に命名)が来た方向の扉に向かうと。

「開かない……」

「え!」とエステルが駆けつけ、二人で力ずくでドアノブを回すがドアを押しても引いてもまるで向こう側で押さえられているかのようだった。
リタがふざけないでよと叫んでいるけど叫びたいのはこっちの方だ。

「こりゃ、先に進むしかないようだな」
「はぁ」

まだ未開の上階へと続く階段を見上げ、私は本日10回目のため息をついた。




「あー」
「ひぃ」

私たちが最終的にたどり着いたのは船長室だった。
ここにも身長ほど大きな鏡があって、入り口から覗いた私たちの姿を映す。
カロルが後ろから部屋を覗きこむと小さな悲鳴を上げた。
悲鳴の原因は奥の壁に凭れ掛かった骸。
白骨と化した人であったものだった。

「私、入りたくないわ」

断固として拒むリタをそっとしておいて私たちは部屋の中へと足を進める。
骸骨が私たちをじっと熱い視線で見つめている気もするけど敢えて言及しないでおこう。
ユーリの視線が部屋の中央にある机の上に目をやった。
おもむろに手に取ったのは古いノートだった。

「航海日記、かな?」

首をかしげ、聞くと「あぁ」と答える。
ぱらぱらとめくるけどどうやら読めずに居るらしく、私か彼の手からノートを預かる。

「あ、アスール暦、232年。ブルエールの月、13」

カタコトだけど日記の冒頭を読み上げる。

「アスール暦もブルエールの月も帝国が出来る前の暦ですね」
「なんで千年前の話が」

出てくるんだろ、と言葉を漏らすと
続きを読んでくれと仲間は言う。

「船が漂着して40日と5日、水も食料もついに尽きた。船員も次々と飢えに倒れる。しかし私がまだ逝けない」

淡々と読み上げる。
エステルが口元を押さえ、顔を真っ青にしているのが目に入った。

「ヨームゲンの街に澄明の刻晶(クリアシエル)を届けなければ。魔物を退ける力を持つ透明の刻晶があれな街は助かる」

続く文字はかすれていて、どこか切ない。

「澄明の刻晶を例の紅の小箱に収めた。ユイファンに貰った大切な箱だ。
彼女にもう少しで会える。
みんなも救える」

そこでこの話は終わっていた。
私は静かに航海日記を閉じ、息をついた。「でも、結局この人は街に帰れず、ここで亡くなってしまわれたんですね」

そうエステルの言うとおり、この航海日記が事実とするならば、彼らはそのヨームゲンの街に着いたのだろうか。
答えはおそらくノー。
この海を漂う幽霊船と、どこか儚げな夢とここに存在していた人が物語っていた。
エステルが目を伏せていると「千年以上も前の話よ」とリタはいつもの調子ではなくとても言葉を選んで言った。
そう、ずっとずっと昔の話なのだから心を痛めてもどうあがいても救いようのない話なんだから感傷に浸っていても仕方ない。

「そんな長い間、この船は広い海をさ迷っておったのじゃな。寂しいのう……」
「もしかして私たちに気づいてほしかったのかもね」

一連の駆動魔導器が壊れたことも、マストが折れたことも偶然なんかじゃなくて私たちをここに引き寄せるためだったのかも。
幽霊が本当にいるとするならば。

「僕、ヨームゲンなんて街、聞いたことないなぁ……」

うん、うんと仲間がうなづくなかで私が唯一、

「どこかで聞いたことあるような」

と何かを胸でつっかえることがあった。
ヨームゲン、どこかで聞いたことがあったような、ないような。
レイヴンに「どこでよ」と聞かれるけど答えは出ない。
どんな街かもどこで知ったかも具体的な返事は沸いてこないから。
きっと何かの本でたまたま似たような単語を見たのかも知れないと曖昧な返事しか返せなかった。
ユーリが顔をしかめ、「澄明の刻晶ってのは?」といい、部屋を目配せする。
そう、この日記の彼がいう透明の刻晶というものをよく知らない。
リタも首を横に振るということはきっと千年も前のものなのだろうけど……

「何か大切そうに抱えているわよ」

ジュディスが沈黙を破った。
そう、部屋の住人である骸骨が体を丸めているがその膝には唐草模様の綺麗な装飾がされた紅色をした小箱だった。
まるで何かから守るように両手で抱えたそれに一同の視線が集まる。

「お、おっさん。取ってよ」
「い、いやだっての。何をいいだすのよ」

一同の顔色が真っ青になったのは私の気のせいだろうか。
確かに航海日記には紅色の小箱につめたとあったけど、これがそうなのだろうか。

「いい歳しておっさんは怖がりなのじゃ」
「そういうパティちゃんはどうなのよ」
「子供と張り合うなよ。いい歳して」

というみんなも押し付けあいをしているじゃないか。
こうなったらと私が決意したところ、すでに小箱はジュディスの手によって掬い出されていた。
「はい」と笑顔で差し出す姿を見るとさすがジュディス、怖いものなしなんだと尊敬する。
しかし、小箱には骸骨の左腕がまだついているじゃないか。

「うひゃあ。ジュディスちゃん大胆だね」
「ジュディ、手」
「あら」

仕方ないので、私がその骨を取って、元の体に戻す。
しかし、ただ元に置いておくだけでは、私までたたられるような気がする。
だからって接着剤の類で戻すわけにもいかないかと私は隣に安置しておいた。

ジュディスはレイヴンこ小箱を手渡すと、彼は恐る恐る箱を開けようとするが、

「あれ、開かないぞ」

と力をこめる。
よくよく見ると、小さな鍵穴がある。
無理にあけようとすれば壊れてしまいそうなので、私がレイヴンを止めようとしたときだった。

「あああああ、あれ……!」

がたん、とカロルが床に腰をつけて、部屋にあった鏡の先を指差している。鏡の向こうには、部屋に居るはずのない、巨大な剣を携えた巨大な体格(といったら変だけど)の骸骨の姿をした魔物だった。
その禍々しい情念と姿に背筋がぞっとした。
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