宙の戒典


ジュディスに肩をつかまれたまま、ぼんやり宿屋を見上げていた。
私は半分魂が抜けていたと思う。
なぜならば

「無理だよなぁ……」
「大丈夫よ。もし途中で気絶するようなことがあっても運んでもらうから」
「それが怖いんだって……」

ジュディスの情けのない言葉。
私はもうへたれとか何を言われてもいいけど、どうしもこの場に留まりたかった。
ちょっと待った、この場にいないリタ。
彼女はもしかしたら、船を渡らずに、行くかもしれないしなんて思ったけど

「リタはどうするんです?」
「あの子にはあの子のやる事がある」
「そういう事だな」
「で、港から船だっけ?」

と、面倒そうだけどどこか上機嫌のリタが宿屋から姿を現したとき、私の淡い希望は絶望に代わる。

「え、それって…」
「お前も付いてくんのか?」
「えぇ」

当然でしょ?そんな言葉を返すかのようなリタの笑顔。
エステルはにっこりと仲間の再加入を喜ぶかのように会話を交わしている。

「残念、だったわね」

ジュディスが予期していたかのように笑って言うと、私は長いため息しか変えさなかった。
リタは本格的なエアルクレーネの調査に向かうらしいが、エアルクレーネはこの大陸だけではないのでデズエール大陸に一緒に向かうという。
そのほうが一人よりも道中は安全だというのがリタの言い分だが、砂漠行きをあれほど反対していたリタだ。
きっとエステルを放っておけない、そちらが本音だろう。


「騎士団長から依頼されてケーブモックの方は既に調査、報告済み。他のエアルクレーネは、どのみち旅して調べるつもりだったから」
「つまり、調査のために私たちを利用するって事かしら」
「まぁね、ヘリオードの時みたいに調査中、酷い目に遭わないとも限らないわけだし。一人よりもあんた達と一緒の方がとりあえず安心よね」
「相変わらず良い性格してるぜ」
「また一緒に旅できるんですね。私、嬉しいです」
「そ、そう…?あたしは別に…そ、それより、港に行くんじゃなかったの?」
「そうね、さっさと行きましょうか」

そんな会話を耳で流しながら、私は相変わらず解けない肩組みをされたまま、港の方角へと強制的に連衡されていった。





「あれって?」

結局、昨日ではデズエール大陸に渡れる船が見つからない。
そもそもカプワ・トリムからノードポリカまでは長い航海になるのでそれなりに大きな船が必要だし、海峡には魔物も出る。
護衛団と、長い航海にも耐えられる魔導器を積んだ船なんて定期便でしかないが、ラゴウの一件でこの辺りの定期便は手を引いたままの状態である。
そんな絶望的な中、船を探していた私たちの前に思いがけない人物が歩み寄ってきた。
優しい口調で彼は


「あ、皆さん、またお会いしましたね」
「次期皇帝候補がこんなとこで何やってんだ?」



それは評議会の人間を共につけた、エステルともう一人の皇帝候補、ヨーデルの姿だった。
彼は前にヘリオードでユーリの誤解を解いてくれた以来だろうか。
ユーリが皇族と話とは思えない口調で問い正すと(エステルもそうなんだけど)後ろの評議会の人間が乗り出してきそうだけど、穏やかに笑う彼より前には出てくることなくこちらを見守る。

「ドンと友好協定締結に関するやり取りを行っています」
「上手く行ってます?」

遠慮気味に口を挟んだのはエステルだった。
本来皇族の一人であるエステルも参加すべき話なのだろうけど、彼女は今それをすべて投げ出してここにいる。
怪訝そうに眉をひそめたヨーデル。

「それが……順調とは言えません」

その理由は容易に想像できた。
それを一番に口にしたのはレイヴンだった。

「だろうなぁ、ヘラクレスってデカ物のせいで、ユニオンは反帝国ブーム再燃中でしょ」
「ドンが帝国に提示した条件は対等な立場での協定だったしな」
「あんなのがあったら、対等とは言えないわね」

みんな勝手に言ってるけど、確かにドンもあんなものをダングレストに持ち込まれて、圧倒的な戦力と技術面の差を見せ付けられるなんて。
ヘラクレスを隠して同じ立場での協定を結びましょと話と話をされたってギルドの人間が信用するわけがない。

「えぇ…事前にヘラクレスの事を知っていれば止められたのですが…」
「次の皇帝候補が何も知らなかったのかよ」

ユーリの一言は棘がある。
ヨーデルは困ったように苦笑いを浮かべる。

「えぇ、今私には騎士団の指揮権限がありません」
「騎士団は皇帝にのみ、その行動をゆだね、報告の義務を持つ、です」
「なら、話は簡単だ。皇帝になれば良い」
「確かに、みんな口にしないから……思っていたけどずっと皇帝が不在って言うのもおかしいよね?」

ユーリが思ったことを率直に述べて、私が今まで口にしなかった疑問を述べると、皇帝候補の二人が口をつぐんだ。
表情が曇っており、皇族の中でいろいろと事情があるのだろう。

「それは……」
「私がそのつもりでも、今は皇位を継承できないのです。帝位継承には宙の戒典と言う皇帝の至宝が必要なのです。ところが、宙の戒典は十年前の人魔戦争のころから行方不明なのです」
「ふーん、次の皇帝が決まらないのにそういう事情があったのね」
「てっきり、無駄もめしているのかと思ってた」

私を含め、一般の人間ならそう思うだろう。
それか、皇帝候補がまだ年若いからとか。
宙の戒典は、昔ドンから話をきいたことがあるけど、国宝とも呼べる皇帝の象徴でもあるとか。

「……だからラゴウは宙の戒典を欲しがっていたのか……」
「そうなの……?」
「いや」
「……」

ユーリの独り言を拾うと彼は短く切ってそっぽを向いてしまう。
ラゴウが皇帝の証を求めていたなんて意外だったし、どこで聞いたかも問いただしたいと思ったけど、それはかなわない。

エステルは首をかしげて、ヨーデルに向き直る。

「それで、ヨーデル様はどうしてここに居るんですか?」
「今、ヘリオードに向かう所なんです」
「ここよりダングレストに近いからなぁ、その方がやり取りしやすいわな」

ヨーデルは皇帝としての権力を持たないけど、立派に仕事を果たしているんだなと思う。
業を煮やしたか、ヨーデルの後ろに控えていた男が耳打ちをする。

「えぇ、すみませんがここで失礼します」

小さくうなづいて、笑う。
そしてヨーデルは軽く会釈をすると促されたまま行ってしまう。
そんな彼の背中をじっと心配そうなまなざしで見ていたエステル。
声を掛けようと私が一歩踏み出したときだった。
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