前に、前に
立ち止まらないで、先に進む。
とてもとても苦しくて口の中が苦い。
次の日の早朝。
自宅からダングレストの出入り口の橋に向かっているとよく見る紫色の背中。
それは振り向くと親しげに「よ!」なんて声を掛けるから私はなるべく距離を置き、やり過ごそうとすると「それはないっしょ」レイヴンは私を追ってくる。
走って逃げてやろうかとも思ったけど、それでもついてきそうだから私は立ち止まる。
「なに?」
「そんな冷たく言わなくたっていいんじゃないー?泣いちゃおうかなぁ。もう」
泣けばいいじゃない、そう思ったけどあえて口にせず、レイヴンをじっと見ると腰の刀に手を当て、大きなため息をつく。
「そーいや。ハリーが探してたよ」
「なんで?」
「何でも、ここに残って手伝って欲しいんだってよ。これからユニオンは大変そうだしねぇ」
「……」
まるで他人事で話すレイヴンに心底あきれた。
レイヴンはギルドユニオンの幹部でドンの右腕であり、レイヴンの一言はユニオンへの影響力は強い。
それなのに、こんな場所にいるということは。
「おっさんさー。正直な話、そういうの嫌いなんだよね。上のじじいから文句言われるのもさ」
「……」
「まぁさ。こういうのは若いやつに任しておきゃいいんだよ」
「ハリーがそれをできるかな……」
「エルちゃんさ。少しはハリーのこと、信じてやっていいんでない?」
「……私を探しているっていうのも大体は予想はついてるよね?」
「そりゃあ……まぁね」
ドンが亡くなって、私はユニオンの間では亡霊となった。
だからこそ、助けて欲しいというのが本音だろう。
できればレイヴンつきで。
「まぁ、私もレイヴンと同じ気持ち。邪魔ものは去るってね。ここにいるのもおこがましい。それにやることもあるし」
「……」
「私も自分が一番かわいいからね。レイヴン」
私の旅の目的はギルドの仕事をしているわけじゃない。
作家としてでもなく、ワタシとして自分の記憶を探すたびだ。
ワタシは自分の記憶にまだ手を伸ばした程度なのだ。
そして、今の言葉はレイヴンに向けた言葉。
つかみどころのない、ユニオンに籍を置くつもりも、私達に本心を明かすわけでもない彼に。
「エルちゃん、こっわいなー」
「……ドンの言葉。私からもお願いしたいな」
「イエガーのことね。みんな無責任によく言ってくれるわ」
「頼りにされているんじゃないの?」
これこそ私が無責任に言い、歩き出すとぶつぶつと独り言を言いながらついてくるレイヴン。
私もレイヴンも本心を隠しているというのにこんなに違う。
「若いってすばらしいね」
「まったくだね……」
忘れろ、忘れろ、忘れろ。
ここが船の上だということを。
ユーリたちは朝早くからダングレストの近くにつけていたフィエルティア号から発つという。
レイヴンとともに凛々の明星のメンバーの皆さんより早く着いてしまった私たち。
普通に待っていればいいのにレイヴンが「驚かしてやろうぜ」なんていうから隠れてる羽目になった。
ユーリたちが着くとすぐに出発し、カロルが追ってくるなんてドラマティックなことがあってとても出づらい雰囲気になったりとか。
それをも恐れない芸人魂を持ったレイヴンと共に外に出た私まで仲間たちの冷たいまなざしを向けられた。
「おっさん、何してんだよ。相方までつれて」
「……ユーリ。それは断じて違うから」
「えー、おっさんがここにいちゃだめなの?」
と手を組んでかわいらしくおねだりをするレイヴン。
私は口元を引きつらせ、他の仲間に乗ることにする。
「ドンが亡くなったあと大変だって……」
「んー。いろいろ面倒だから逃げてきちゃった」
「右に同じく……」
控えめに手を上げるとカロルが私たちに詰め寄り、眉を吊り上げる。
「ドンに世話になったんでしょ?悲しくないの?」
「ああ、悲しくて悲しくて喉が渇くくらい泣いて……もう一滴も涙は出ない」
「……」
悲しくないわけがない。
でもユーリの言葉を借りるなら私は
決めたんだ。
無言を決めた私に絡みづらいのか、疑惑の矛先は全部レイヴンへと向く。
「全然そんな風に見えないんだけど」
「さすがのおっさんもドンの最期の言葉は無視できないってことだろ」
「ん、んなわけないっつーの。俺には重荷だって。あっちはあっちで後に残ったやつがきっちりやってくれるって」
「ま、そういうことにしておいてやるよ」
素直じゃないもの同士がぶつかるとこうなるのか。
「ったく、最近の若人は怖いわ」
と私とユーリを見比べながらいう。
リタの冷ややかな視線とぽかんとレイヴンを見上げる3人。
私が大きく息をつきながら壁に手を当て、みなのところにたどり着くとパティが私のコートを引っ張り微笑む。
「大勢の方が賑やかでいいのじゃ」
「これは賑やかじゃなくてうるさいって言うのよ。前にも言ったでしょ?」
「じゃあ、再開を祝してお昼の紅茶パーティって所かな」
「あんた、ここが船の上だって忘れないことね」
「今忘れようとしていたのに……」
それは船の上に……ってこととか、ドンのこと、そしてこれから向かうジュディスのこと。
パティが私を舵のほうへ案内するというが、それを丁寧にお断りさせていただく。
エステルが「デズエール大陸に出発ですね」と何気なく言うと、カロルが首を傾げ「なんでデズエールなの?」と問う。
「いい勘してるんじゃないの。察しのとおり、テムザ山はコゴールの北にある。あそこにゃ、確かクリティア族の街があったしな」
「なんでそんなこと、知ってるのよ」
「少年少女の倍は生きていると、人生いろいろあんのよ」
「なにそれ」
レイヴンの博識をリタは腑に落ちないようだが、贅沢は言ってられない。
「ほれ、いくならいこうや」とエステルとリタの背中を押し、舵の方へと向かうレイヴン。
背をむくと、雲に隠れていた朝日が泣きはらした頬みたく真っ赤に染まっていた。
まるで、巨星の墜落を共に泣いていて、私は少し安堵した。
さて、私も船室に行こうかと考えたとき、不意に手を掴まれた、ユーリだ。
「なに?」
「お前、もう大丈夫なのかよ」
「あぁ……もう泣きすぎて一滴も涙が出ない」
「ドンって、本当にかわいそうなやつだな。薄情な部下ばっかもって」
と先ほどのレイヴンのように両手で顔を覆ってみせるとユーリは失笑し、言う。
でも、私は本当なのだ。
「自分のやりたいことをやる。前を向いて歩く……」
「なんだ?それ」
「家族が私に残してくれた言葉……かな」
「そうか……」
私はこの手に残った命の重みを忘れないだろう。
だからこそ。
今は前に進む。