正義の重み
「なんなのよ!あいつは!で、こいつは何者よ!」
ラゴウが去ったのち、だんだんと床を踏みつけ向けることの出来ない怒りを発散するリタ。
そして矛先はただそこにいたヨーデルに向かう。
「ちっとは落ち着け」
「この方は……」
フレンはそう言い掛けたが、エステリーゼとフレンは見合うと
「この方は次期皇帝候補のヨーデル殿下です」
引き継いだのはエステルだった。
次期皇帝候補のヨーデルは笑ってこちらに会釈をする、
今、帝国の頂点である、皇帝はある事情で不在でありこの二人、エステルとヨーデルどちらかが皇位を継ぐかで評議会と騎士団は揺れている。
この二人は私たちにとって雲の上のような人物であり、こうやってため口で話すのも恐れ多いことなのだ。
「へ?またまたエステルは……ってあれ?」
と、カロルは笑ったが、誰もこの中で沈黙を破ろうとする人間はいなかった。
もちろんフレンだってこんな場で冗談を言えるような性格でもないし、エステルもそれは一緒。
私は初めから知っていたし、ユーリもフレンたちの態度で薄々只者ではないと感じていたのだろう。
「あくまで候補の一人ですよ」
そう笑うヨーデルはただの愛想のいい、少年にしか見えない。
カロルはまだ信じがたいのだろう。
さらに一押しするフレンの一言。
「本当なんだ。先代皇帝の甥御に当たられるヨーデル殿下だ」
「殿下ともあろうお方が執政官ごときに捕まる事情を俺は聞いてみたいね。……市民には聞かせられない事情ってわけか」
「あ、それは」
本当にユーリは勘が鋭い。
それ以上は機密で何も答えられない3人。
「エステルがここまで来たのも、エルお前がフレンに協力したのも何か関係してんだな」
それは確信だった。
私は肯定の意味で深く頷いた。
しかし、それ以上は今の段階では語れない。
「ま、好きにすればいいさ。目の前で困っている連中を放っておく帝国のごたごたに興味はねぇ」
「……そうやって帝国に背を向けて何か変わったか?人々が安心して生活を送るには帝国の定めた法が必要だ」
この場にいたフレンだけが口を開いた。
いや、フレンでなければいけなかったと思う。
「けど、その法が今はラゴウを許してるんだろ」
不条理すぎる世の中だった。
人を殺し、他者を貶めるラゴウがのうのうと生き残り
そのラゴウが弱者と呼ぶ市民が今一瞬の生すらもあやふまれる状況に立たされる。
今回の一件でそれは容認されたことになるのだから。
「だから、それを変えるために僕たちは騎士になった。下から吠えているだけでは何も変えられないから。手柄を立てて信頼を勝ち取り、帝国を内部から是正する。そうだったろユーリ」
ただの市民ではこの帝国の実情は変えられない。
ユーリのようにただ、自分の目の届く範囲の人間を守ることくらいしか。
そんなことユーリが一番よく分かっていただろうに。
「だから、出世のためにガキが魔物の餌にされんのを黙ってみていろってか?下町の連中が厳しい取立てにあってんのを見過ごすのかよ。それが出来ないからオレは騎士団を辞めたんだぞ」
本当はフレンだってユーリと同じ立場に立たされたら目の前の人間を助けようとするだろう。
それが出来ないのはユーリは立場という茨に締め付けられているから。
私から見てもフレンのその鎧と、立場という重しは彼にはずいぶん重いものだと思う。
ただ、ユーリの責任感と良心も同じくらいの重さなのだろうに。
「知ってるよ。けど、やめて何か変わったか?」
まるで喧嘩にでも発展しそうな二人。
声がだんだん大きく、掠れている。
「騎士団に入る前と何か変わったのか?」
その問いには答えなかった。
いや答えられなかったユーリはそのまま部屋を出て行ってしまった。
彼がまとった影はあまりにも黒く、深く見えた。
「フレン?」
「……またやってしまった。僕はただユーリに前に進んでほしいだけなのに。いつまでもくすぶっていないで」
「それユーリに騎士団に戻ってほしいって事じゃなくて?」
「それは……」
私がフレンに問うと、それはと言いよどんだフレン。
それなりのエゴがあるのだろう。
「人が変わるきっかけはその人によって違うのよ。そしてその人が強くなるきっかけもね。フレンは確かに騎士団に入ることによって強さを得たかも知れないわ。それは耐える強さ。それはユーリにも必要かもしれないけど。私はユーリがそれを得て何かが変わるとは思わない。そして当人が変わるきっかけを手に入れるのは本人の自由。それを口うるさく言うのはおせっかいというものだわ」
「そう、だね」
「まぁ、要するに私はユーリとフレンには仲よくしてもらいたいかな。ぎすぎすしてられると何か居づらいし」
「アンタね。せっかくいいこと言ったのが台無しよ」
あーあとため息をついて言うリタ。
私だってそんな常に真剣に物事を言う性格じゃないし。
それに後者のほうが私の本音だったりするから。
「あなたはどうなさるんですか?」
ヨーデルは一部始終を黙って見守っていたエステルにそう問うた。
「行ってもいいでしょうか?ユーリとそしてエルと旅をしてみて変わった気がするんです。帝国とか、世界の景色が。それと私自身も……」
エステル自身の変化はエステル本人しか感じれない小さなものかも知れないけど、エステルが世界を知ってそれが帝国がよい方向に導かれるならば私は良いと思う。
「そうですか、わかりました。……少年」
「え?ぼ……僕?」
「ユーリに彼女を頼むと伝えてくれ」
「は、はい」
カロルに向かって改めて言うフレン。
そういえばフレンはカロルの名前も素性も知らないのだ。
ただ、ユーリと一緒に旅をしているだけでカロルを信用している。
「いいんですか?」
意外そうに聞き返したのはエステルだった。
当初のエステルの旅の最終目標はフレンと会って話をすることだった。
だからエステルもフレンと会った暁には帝都に帰る覚悟もそれなりにはしていたのだろう。
旅を続けることを簡単には容認されるとは思っていなかったのだろう。
「私がお守りしたのですが、今は任務で余力がありません。それに、ユーリの傍ならば私も安心できます」
「フレンは、ユーリを信頼しているのですね」
「えぇ」
この一室に入って初めてフレンは口元を綻ばせて笑った。
「話がまとまったところでそろそろ行かない?あいつ見失うわよ?」
リタはそういって挨拶もなしに部屋を出た(皇帝の前でその態度もどうかと思うけど)
エステルとカロルも軽く会釈をするとその後に続いた。
「さてと」
やっと、人がいなくなったところで私は息をついた。
私の仕事がこれで終わるのだ。
私はソファに腰をかけていたヨーデル殿下の前の机に密書を置いた。
「ちょっと濡れちゃいましたけど、中身は無事です」
「あなたには迷惑をかけましたね。えぇと」
「ティアルエルです。ギルドユニオン頭領、ドン・ホワイトホースからの伝言で『是非前向きに』的なことを言ってました」
「えぇ、もちろんです。ここまで本当にありがとうございました。返事はこちらから信用できる人間に送らせていただきますね」
「それは、いいんですけどね」
「ラゴウのことですか?」
はい、とうなずく。
ヨーデル殿下が一番ラゴウにされたことが大きいだろう。
危うく、もう少しで事故として処理されるところだったのだから。
「分かっています。僕からもラゴウの査問をするようにお願いしておきます」
「そうですか……」
「余計な詮索かもしれませんがあなたはこれからどちらへ?」
「ダングレストに帰って報告をと思うんですが、赤い絆傭兵団の動きも気になるのでそちらも追ってみようと思います」
ダングレストはギルドユニオンの本部であり、ギルドの街と呼ばれている、大きな街だ。
私たちが今居るこの大陸からずっと西にある。
「では、しばらくは彼らと一緒に行くんですね?」
「そういうことになると思います」
「ではエステリーゼをよろしくよろしくお願いしてもいいでしょうか?」
「はい、いいですよ」
そう笑って返すとヨーデル殿下もつられたように笑った。
ヨーデルはエステルよりもずっと大人だ。
それはエステルとは違い昔から外の世界と見つめあって勉強をしてきたおかげは見た目よりずっと精神的に大人だからか。
「僕からもユーリの事をお願いしていいかな?」
「普通、年上の人の面倒を押し付けるかな?」
フレンまでもその一言。
さっきはおせっかいと言ってしまったが、フレンは純粋にユーリの事を心配しているのかもしれない。
「そうだね」と苦笑いを浮かべるフレンに「いいよ」と短く返事をして、杖を手に取りバックを腰に下げた。
「あぁ、あと。赤眼の人に気をつけてね。フレン」
「分かっている」
そう、と目を細めてまた笑うと私は部屋を出た。
さて、ユーリを捜して少し喝を入れてあげないとな。