夢を見る聖女の話

身近にあった本をぶつけるだけぶつけて近くには勝手なページが開かれて下向きになった本しか部屋にはなかった。
投げた一冊が部屋の隅にあった机にぶつかると昔書いていた原稿にぶつかったらしく、本の上に折り重なった紙の束。
いつかカウフマンに渡すために用意していたものだ。
石のように重い足を無理やり支えて立つとよろめきながら原稿を拾い集める。
さっきの激情がうそみたいに落ち着いていて、それを冷静に順番を揃えながら集める自分に自嘲の笑いをもらした。

その内容を見るのは懐かしいとなぜか思ってしまった。
タイトルはまだ決まっていないけど、それはある少女が回りの人間から聖女といわれるまでの話。
普通の家庭に生まれて、一定の年まで普通の少女と暮らしていた少女が戦争に巻き込まれて両親と引き離されてある神殿に預けられて治癒の力を手に入れる。
修行を積んだ少女はいつしか旅に出て人々に無償で治癒を施し、旅の最中でどんな大きな怪我と遭遇しようが戦争の傷跡を知ろうが、両親の真実、死を知ろうがまるで太陽のような輝きを忘れずに生き、そんな少女を見た人間はいつしか戦争を忘れて、希望を見出して生きていくそして少女はいつからか、聖女として周りの人間を支え、支えられていくというとっても、とってもありきたりなお話だった。


あぁ、近くに聖女の鏡ともいえるエステルがいたっけ。
でも私はそんな聖女とは違った。
両親も最初からどこにもいないし、顔も覚えていない。
他人に何かしてあげられる優しい人間でもない、そう私は他人に疑惑を持って生きているから。

「っ……」

私はすごく汚い人間だと思った。
誰かを疑って自分を隠して生きていくことしか知らなかった。
でもドンや天を射る矢の人たちはそんな私でも何も聞かずに受け入れて支えてくれた。
それが一瞬にして崩れるとどうだろうか、こんなにも脆くなった。

あふれ出す涙が止まらなくて原稿の上に落ちた。
それは大きな粒となってインクを滲ましていく。
泣いたのなんて本当にしばらくぶりだ。
最初、ドンと会ったころは回りが信じられなくてただ泣いて、泣いて、ただ泣いていたのが思い出のひとつになっていたのに。


すでに滲んでしまって読めなくなった一枚、滲んだインクを指でなぞる。
その指でいじる黒を見て、ガスファロストで自分を取り込んだ黒い影を思い出した。
それはどこまでも常闇で先が見えなかった、一人で助けを呼ぼうとしても声が出なくて、死んだのではないかと錯覚した深い闇の淵。

「うぁ…っあ……」

思い出しただけで怖くて、それがまたいつ自分に降りかかってくる不安。

そう、そのときも今みたく一人だったのだから。


「おー。汚い部屋だな」
「……?」

自分を両腕で抱いて、再び涙を流したとき突然の来訪者はやってきた。
薄暗い光が逆行となって部屋に影が伸びた。
黒い長髪が揺れて、部屋に侵入した人物はいつもの軽口でそういった。

「ユーリ、何しにきたの?」

その声は震えていた。
怖いものを見るよな感覚だった。
ゆっくりと振り向くと、ユーリは腰に手を当てて惨状と成り果てた部屋をきょろきょろと見渡していた。

「さぁ、散歩ついでによってみた」
「帰って」

即答した。
もちろん彼がそんな冷やかしのつもりで来たわけじゃない。
私にはないのだ、彼らに合わせる顔も。
今、笑える強さも。

ユーリはそんなことお構いなしで、部屋の隅にあったソファに体を埋めた。
もう一度「帰って」と訴えかけようと声を絞るが、それは音にならない。

「お前、やっぱり泣いてたんだな」

そうだ、泣いていたんだ。
それの何が悪い、だから一人にして欲しかった。

「お前、魔導器はいいのか」
「……バルボスの亡骸もガスファロストの中も散々探してもらった。でも見つからなかった。ガスファロストにはラゴウの部下もいたようだしたぶんラゴウの持ち逃げだと思う」
「じゃあそのラゴウのとこにいきゃいいだろ」
「いくら帝国とギルドのわだかまりが解けたって一ギルドの人間の証言とか通るかな……それに隠蔽でもされたら、ね」

今の私はえらく現実的だった。
調子がいいときはもう少し無茶な考えを貫くときだってあるけど、いくらユーリが提案したってすべて棄却できる自身だけはあった。
私が立ち上がり、部屋の隅に向かう。
そしてユーリと向き合って、彼の顔を見下ろしていた。
ユーリの突き刺さるような鋭い視線がとても痛かった。
しばらくの沈黙の後にユーリが不意に言葉を漏らした。

「お前、記憶ないんだってな」
「……?なんでそれを」

それは予想だにしない一言だった。
私は散々ふざけて言ったが今のユーリは冗談半分で口にしたわけではない。
唇は微かに青くさめて私の動揺を表していた。

「ドンから聞いた。心配してたぜ?あのじいさん」
「相変わらず口が軽いなぁ……」
「本当に何も覚えてなかったんだってな。よく今まで普通にできたな」
「……この2年頑張ったからね。最初は相手の言ってることしか分からなくて文字を書くことから覚えたんだよ。次に人の名前、物の名前ってね」
「そうか……」
「それより、私はドンと会ったときに傷を負っていたし。それを治すのも大変だったな」

まるで本の中の出来事を語るように私は天井を見つめて淡々と口にしていた。
2年前、私はまるで赤ん坊のような状態でこの世界に落とされた。
人の、言葉も、そして世界も分からない状態でいることが辛かった。
命にかかわる傷を負った私を拾ってくれたのは天を射る矢の人間だった。
ゾフェル刃氷海に捨てられていた私を拾ってくれた。
何かよくないことに巻き込まれているんじゃないかと守ってくれたし面倒を見てくれた。
カウフマンも私が字の練習で書いた物語を評価して作家として世界に名前を売ってくれて、誰も私を知らなかったという不安を晴らしてくれたのだから。
だからこそ、独りになってしまった私に何が出来るのだろう、考えれば考えるほど分からなくなるし

「辛かったな」
「……っ」

ユーリのいうとおり私は辛かった。
ドンにはいえなかったけど本当はまだ、いやこれからもずっとギルドに置いて欲しいと泣きつきたかった。
それはぜったいに許されないと分かっていたからこそ、辛くて、その場にいたくなかった。
だから逃げたんだ。
どうせ、誰にも私のことは信じてもらえないから独りで記憶を探して生きていこうと決めたんだ。
見つかったら昔話のように笑えることが出来るだろうから。
昔、両親もいたのかも知れない、だからこそ分かるんだ。
私があの魔導器をとても大切にしていたんだろうって。

「つら、かった」

誰にも言っても信じてもらえない、私が記憶がないことも両親も兄弟もいないことが。

「いやだった……」

独りになることが、まるで自分が世界に捨てられたようで。

「何かずるいね」

私の中で何かが緩んだ。
涙腺が壊れたようでとめどなく涙があふれてきた。
もうどうすることも出来なくて両手で覆うしかなかった。

怖い、本当は怖い。
自分でも誰だか分からないのに、ガスファロストで何かに体を乗っ取られて自由が利かなかった。紅の絆傭兵団の人間を痛めつけた自分が。

ただ、幼い子供のように泣くしか出来なかった私をユーリは立ち上がって私を抱きしめてくれた。支えを手に入れた私の体はまるで待っていたかの用に彼の背中に手を回して涙を隠すように彼の胸に顔をうずめた。

「本当はやだっ…っ……。独りになるのも、自分じゃない誰かが話しかけてくるのも。いやな夢見るのも」
「あぁ……」
「誰かを傷つけたり、傷つくのだってもう嫌なんだよ……う……」
「エル。約束してやるから。泣くな」
「……?」
「今度お前が何かに取りつかれることがあっても俺がぶん殴ってでも止めてやる」
「……」

涙で混じった声で私は息を漏らした。
それは少し笑っていたのかも知れない。
でも、その力強い声に私は救われていたんだ。
彼から伝わる体温が今独りではないと感じさせてくれたんだ。

「ユーリ、」
「何だ?」
「……わたし、痛いの……嫌だって言ったのに」
「あぁ、そうだったな。ぶん殴るはないよな」

と、いつもの笑みで言ったユーリに私は思わずつられてぎこちなく笑った。

「ユーリ」
「ん?」
「私ね……」

また顔をしたに向けた。
それ以上は何もいえなかった。
自分でも分からないユーリへの感情をうまく言葉にすることが出来なかったから。
あぁ、私は作家の面目丸つぶれだな。



「つめた……」
「ちっとは落ち着いたか」

私がソファでぼーっ荒れた部屋を見ていると目元にぬれたタオルが投げ込まれる。
ぴたっと顔に張り付いたタオルは確かに泣きすぎで火照った目元に当てると気持ちよかった。
そのまま私は深呼吸をすると今度は私を見下ろしているユーリを見上げた。

「ありがとね」
「何が?」
「様子見に来てくれたんでしょ?」
「まぁ、それだけじゃないけどな」
「?」
「お前、これからどうすんだ?」
「わたし、かぁ。とりあえずしばらくはダングレストにいれないから整理と用意が済んだら街を出るつもり。世界を回ってみようかなって」
「ほぉ」
「一応作家だし……いろいろと見て記録したいんだ。ラゴウのこともその中で追うつもり。下手に手をだしたらまた帝国とギルドの間で問題になりかねないしね」

そう、仮にもギルドの人間だったのだから。
時間はまた沢山あるんだし。

「ユーリはどうするんだっけ?」
「いったろ。カロル先生とギルド作るんだって」
「あー。ヘイオードで言ってたね。本格的に作る気になったの?」
「まぁな」
「やりたいこと見つかったんだ」
「そんなところだな。お前も世界を回ってりゃいつか自分のこと見つかるんじゃねぇか」

とぐりぐりと頭を撫で回すユーリに「子ども扱いしないで」と手を払うと「悪かったな」と悪びれる様子もないユーリ。

「お前さ、一緒にいくか?」
「え?」
「ギルド、フリーなんだろ?いま」
「何、勧誘してるの?」
「ま、そんなところだな」
「悪いけどいまはそんな気分じゃないんだ」
「だろうな」
「ごめんね」

と苦笑いをすると、いまさらになって汚れた部屋を見渡すとひどいなって思う。
私は本を拾おうとすると、指先に痛みが走って指から落ちる。

「大丈夫か?」
「うん」
「豆だらけだな」

そう、ガスファロストで剣を持って大暴れしたらしく手にはなれないことをしたせいか、豆だらけで意識してものを持たないとこんな結果になってしまう。

「私、剣なんて使えないのにね。参ったな」
「まぁな。んじゃ長居するとエステルたちも押しかけてくるだろうし、そろそろ行くわ」
「私もあとで行くね」

「あぁ」と短く返事を返すユーリ。
どんなものでも受け止めてくれる、ユーリ。
私はそんなユーリの背中が好きだった。





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