2つめの名前
それはまるで本の中の主人公になったような感覚だった。
私は生まれたての赤ん坊のようにあたりの状況を読み込めずにただ風景を頭に取り入れていた。
私が生まれたのは、ある宿屋のベッドの上だった。
しかし、私が生まれたのは年の予想でいうと15くらいだった。
体を動かそうとすると全身に感電したような痛みが走り、また喉が焼け付くように痛かった。
「やっとお目覚め?」
「?」
私の視界に現れたは3人の男女だった。
それが人だということも知ったのはずっとずっと後だった。
「あなた、名前は?」
最初に私の顔を覗き込んで、そう聞いたのは赤いふちのメガネに燃えるような紅蓮の髪の女性だった。その後ろのには長い白髪を蓄え、年に似合わない筋肉が映える老人とまだ若い、鼻筋と直角に赤い線を入れた金の髪の青年だった。
「おめぇ、ほんと運がよかったよな。おい、聴いてるのか?」
「……?」
言葉は大体意味が理解できたけど、それが正しいのかも分からない。
「ねぇ、あなた。そんな傷でどうしたの?誰かに襲われたとか。ただ事じゃないわよね」
「?」
「おい、何かしゃべったらどうだ?一応こっちは恩人だぜ?」
「ハリー。てめぇは余計なこといってるんじゃねぇ」
「わ……」
分からない、分からない。
何が起きたか、分からなくて私は彼らの問いかけにただ、首を振ることしかできなかった。
「あなたまさか」
「変なところでも打ったのか?」
私は呆然としながら薄いシーツをめくって自分の体を確認すると、体中包帯で巻かれて自分の肌色すら理解できない。
打った?というのとこの全身に渡る怪我。
分からない、ことだらけだったんだ。
「記憶喪失ってこと?」
「まさか。そんな馬鹿な話があるか」
「ねぇ。もう一回聞くわ。あなたの名前は?」
女性が真剣は瞳で私の瞳をさした。
体中、何も動かなかったが私は精一杯、言った。
「わ……から……ない」
そう答えたら胸から急になにかせりあがってきて、何かとても苦しくて、悲しくて。
頬に冷たい涙が一筋伝わった。
その時、私の頭も体も心も
真っ白だったんだ。
しばらく時間が必要だった。
私がゾフェル氷刃海という場所に傷だらけで倒れていて、あの老人の部下に拾われて応急処置を施されたと言う。
私はまる本の中の物語を読み解くようにその話に耳を傾けていた。
なぜが彼らの言ってる言葉が分かっていてもそれに返す言葉か見つからなくてただ相槌を返していた。
「あなた、相当やばいことに首を突っ込んでいたんじゃないの?」
「おいおい、どう見たってただの餓鬼だろ」
「でも、ハリー見て御覧なさい。この魔導器。相当な価値のあるものよ」
カウフマンと先ほど紹介された女性は私の唯一の所持品であった、耳につながった青白い魔核の魔導器を手に取る。
どこからか、ルーペを取り出し、品定めするかの用にそれをじっと眺めていた。
「これ、ゲライオス文明の文字だわ。ちょっと待って。……ティアルエル?古代の女神の名前ね」
「名前、それでいいんじゃねぇか?」
「わ、たし?」
「いいんじゃいかしら。ね」
「う、ん」
私は押されるままに頷いた。
でも後から考えたら、その名前気に入っていたんだと思う。
彼らがいなくなってからずっと私に与えられた新しい名前を何回も何回も反復していた。
「おい、ティアルエル。何寝てるんだよ」
「んゆー……」
額に刺すような痛みが走って私の意識が覚醒した。
思わず額を押さえて、瞳をゆっくりと開ければそこに深紫の瞳と交差した。
「ユーリ……?」
「おう、起きたか?」
壁に寄りかかってふて寝……昼寝をしていた私を起こしたのは、剣を肩でかけ余裕の笑みを浮かべたユーリだった。
「なんでここにいるの……」
「かくかくしかじかでな。さ、早く行くぞ」
「どこにさ……」
「爺さんの依頼だ。やるべきことやって来いってさ」
目をごしごしとこするとやっと状況が頭に入ってくる。
やっと状況が頭の中に入ってきた。
ユーリはおそらく、ドンによって牢から出されてよく分からないが依頼をされた、と。
「私もいくの?」
「あぁ、お前のことじいさんによろしくされてな」
「はぁぁぁぁ……」
また余計な事を。
深すぎるため息をつくと、ユーリは剣の紐を手に巻きなおすと私も杖をついて立ち上がる。
ドンがはじめから言っていた。
この戦争はあくまでフェイクに過ぎない、と。
もちろんフレンが戻ってこなければ本当に戦争は始まってしまう。
今思うと、これはドンとそしてヨーデルも巻き込んで起こしたうそなんじゃないか、と。
バルボス、ラゴウはきっとこのギルドの街のどこかでことの成り行きを見守っているに違いない。
「なるほど、ね」
「どうだ?行く気になったか」
「ううん、本当はあまり気が進まないのだけど」
と、笑って言ってみせると苦笑いを返すユーリ。
私たちはユニオンを出、街に降りると迎えたのは人の波だった。
武装したギルドの人間が広場に集まっている。
「どけ」「ドンのお通りだ」「早くしろ」と口々に聞こえてくる。
「っと」
「あぶねぇ」
通り過ぎる男の肩が当たりそうになって、ユーリが私の手を引いて回避させる。
何も言わず走っていく見慣れたギルドの面々。
「あのじじい。バカおびき出すためにマジで戦争するつもりか」
「かもね。案外まんざらじゃなかったりするかもよ」
『俺らを見下し、侮辱した帝国のくそ野郎どもに重い知らせてやろうじゃねぇか』
と広場のほうから拡声器も使わずにすんでいるドンの大声が響いた。
「ね?」
それに燃え上がるギルドの人間にもあきれ返って頭痛がするのだろう。
頭を抱えながら「だな」と答えるユーリ。
そんな私たちの名前を呼んだ、見慣れた人物が二人。
「ユーリ!エル!」
「どこ行ってたんだよ!」
エステルとカロルが走りながらこちらに寄ってきて聞いた。
カロルの問いに「ちょっと野暮用でな」と言葉を濁す。
そりゃ、エステルの前で堂々と脱獄のお手伝いをしていましたなんて答えたらそれこそ説教が飛んでくるに違いない。
「もう、そんなことより大変なんだよ」
「みりゃ分かるって」
「そうじゃなくて。見たんだよ!」
「見たって、何を!」
ユーリがカロルの肩を叩いて落ち着かせながら問うと、「紅い絆傭兵団!」と答えるカロル。
ユーリの目が鋭く光った。
それを探すために降りてきていきなり飛び込んできた吉報。
まさに棚から牡丹餅って状況に私の心ははしゃいでいた。
「バルボスの姿はありませんでしたが」
「リタとラピードが今、後からつけてるから」
ユーリが広場の方にいるだろう、ドンを見て小さくつぶやいた。
「ドンの狙い通りってか」
「え?」
「こっちの話だよ。カロルどこに行った」
「東の方にある酒場だよ」
「んー……」
「知ってるのか」
「たぶん、紅い絆傭兵団が拠点として使ってるところだけど。早くリタと合流しようか?」
「だな」
と言ってもいい方法は見つからず。とりあえずリタとラピードと合流しようということで私たちは東にある宿屋に向かって走っていった。
「エルは今まで何をしてたんです?」
「怪我人の手当てとか、ちょっと整理とかをね」
「んや、こいつサボってたぞ」
「ユーリー…?」
走りながら答えるとユーリが仲を割って入ってくる。
確かにところどころ寝ていたけどそれは本当に寝ている間もなかっただけで。
そういえば私が少し睡眠をとるたびにユーリが現れてことごとく睡眠の邪魔をしていった。
まさか確信犯じゃないかと思ってきた。