Clap
「別れてくれないか」
恋人のトシから告げられた静かに告げられた終わりの言葉。高校生の頃からずっと付き合っていて、お互いにもう社会人になったからいつかは結婚できるかな、なんて考えも浮かび始めていたのに唐突なその言葉に理解が追い付くと自然に涙が込み上げてきた。
「別れたく…ないよぉ」
ボロボロと涙を流すけど、私を見つめる彼の目にはもう決心したのだと揺らぐことのない光が映っていて、既にそれは決定事項なのだろう。
分かってる、泣いたってもう結果が変わることはないって。トシはそういう人だから。
それでも私はどうしても伝えたいの。別れたくない、貴方の事がまだ好きなのって。
「…悪い」
逸らされた視線がもう私に向けられることはない。
その大きな手のひらに触れることもできない。
分かってるのに抑えきれない思いが熱い雫となって溢れて止まらなくて、もうひきつった喉から貴方の名前を呼ぶことも出来なくてただただしゃくりあげるばかりで余計に貴方を困らせてしまう。
トシは自分から別れを告げたくせに瞳を僅かに揺らめかせてもう一度「本当にすまない」と謝ってくれた。
付き合いが長いから分かる…というよりは私の願望なのかもしれないけど、フラれる理由は浮気とかではなくトシの何かどうしようもない都合があるのだろうと思う。
だから…いつか問題が解決したときにはまた笑い会えるように…なんて高望みはしないけどせめて少しでも潔く、後腐れなくサヨナラをしたいと思って必死で喉に力を込めて
「なら、もう一度だけ…名前を呼んで?」
絞り出した最後の願い。
トシは一瞬目を見開いたけども優しく微笑んで、今まで聞いたどの言葉よりも優しく、大切そうに呟いてくれた。
「なまえ」
それが私たちの最後。
私と別れた後にトシが事故で両親を亡くした従兄弟の女の子を引き取ったのだと知ったのは数ヵ月後、高校時代の同級生から聞いてのことだった。
そっか、責任感の強いトシはその子をみるために別れを告げたんだ。
でもそれなら一言くらい相談してくれても良かったんじゃない?とか思ってしまうのはわがままなのかな。
…いずれにせよ、もう別れてしまった私には手の届かない世界の話。
その子を思いすぎてトシ自身の事を我慢し過ぎていなければ良いな、と祈りに似た願いを頭の中に浮かべつつ私は自分の道を歩き出す事を決めた。
一人になってから寂しさを打ち消すように仕事に打ち込み、気がつけば女の身で課長職にまで上り詰めていた、ある年の事。
「同窓会…」
ダイレクトメールで届いていたのは高校の同窓会の手紙で。
忘年会も兼ねて飲みをするという内容で、予定は忙しい12月とはいえ第一週の土曜日だったのでこれならなんとか調整利くかな、と出席を決めた。
卒業からもう干支が1周ちょっとするほどの月日が経ってもう三十路を越えて、久々に会えば皆も大分様変わりしているだろう。
皆が今何しているのか気になるし、楽しみだなぁ。
なんて考えながら迎えた同窓会。
普段のオフィスカジュアルな格好ではなく清楚なパステルピンクのニットワンピースをメインにした格好で会場となる居酒屋に向かう。
「あっ菊ちゃん、久しぶりー!」
居酒屋に入るなり高校時代の友達を見つければまるで時が戻ったように普段ならしないようなはしゃぎ方になってしまうけど、これはしょうがないと思うの。
「なまえは変わらないね」
「菊ちゃんも相変わらず美人だね」
他愛もない話をしながらお座敷の部屋へと案内されて懐かしい顔ぶれの中に入っていけば皆から色々声をかけられる。
「私は聖徳太子じゃないから!一人ずつ話してー!」
笑いながらガヤガヤしていると先ほど私達が入ってきた襖が開いてそちらを見た瞬間私の耳からざわざわとした騒音が一気に遠退いた。
「…トシ」
どうして?従兄弟の子を置いてトシが来るわけないと思っていた。
なのになんで貴方は来ちゃうの?
別れてから初めて見るトシはあの頃より少しも大人びて変わらず整った顔をしていた。