夢小説 | ナノ











「狛ッッ!!!!!!!」


オフィスのドアが大変な音を立てて開けられた。ようだった。というのもここ数日の連休で膨れに膨れ上がった客数に対応して駅員の数を増員していたが為に手付かずのまま締切間近になった、詰みあがった書類とファイルの向こう側でその出来事は起こったので実際どうだったかはよく分からない。だが音からして蝶番のネジが歪んだかもしれない。

何だって言うんだ一体。迷惑極まりない。オフィスでくらい静かにしないか。
一言注意しようと思い顔を上げたがたったいま呼ばれたのは、はて自分の名前ではなかっただろうか。
嫌な予感を頭によぎらせつつもそちらを見やる。オフィスのドアを壊さんばかりに飛び込んできたのは現在勤務中のはずの上司、我らがサブウェイマスターの片割れクダリだった、可笑しいな俺の目の錯覚だろうか。
駆け込んできた彼は必死に呼吸を整えようとしている。詰みあがった書類に隠れるようにして俺は今日の電車運行予定の確認をする。大した意味はないだろう、クダリとて俺のオフィス席の場所くらい知っているのだから。背中に同僚達の困惑の視線を感じながら指でたどる今日の日付。思った通り今日はダブルトレインは運休なんかしていない。ということは飛び込んできたあいつは勤務中の筈で何故かそれをサボタージュしてきたことになる。

サボタージュ。その単語を反芻すると背中に嫌な汗が伝う。何かしただろうか、記憶にないのだが。バトルを吹っ掛けに行くのは日常茶飯事だし年上であるということを盾に上司である彼らに敬語を使わないのももはや通常運転と化してきていて今更すぎる。むしろそれをあいつが気にするだろうか、ノボリならともかくあいつが。それはないな流石に。
だがしかしどうみてもこの状況をクダリが俺に用があって此処に来ているとしか取れず、しかも向こうが勤務中であるというのは少々問題である。クダリが仕事をサボタージュしているだけならまだしもこのままでは俺まで責任を問われかねない。一駅員である身にとってこれ以上の残業と減給だけは洒落にもならない。ましてやこの書類の束に追われている中で。

立ち上がると視線はさらに集中し、音に釣られたのか顔を上げたクダリが此方を見て狛と呟いた。
早足で近づきクダリを捕まえると何か言いたげな風だが今はもうそんな場合じゃない。「ちょっと俺休憩してくるな」オフィスのドアを閉めずるずると引っ張り歩き出す。
「狛、」
腕の中でクダリがもがくが離すわけにはいかずそのままずるずると歩き続ける。
一刻も早くこの場を離れたい、そう、できれば小言のうるさい上司とかこいつの片割れが見つけに来る前に。

「ボク、狛に聞きたいこと、あるっ」
「ああ、後でな。」
「後じゃダメ!」「でもお前仕事さぼってきただろう。」
う、小さく呻き黙る様子を見るあたりやはり仕事をさぼっているらしい。ダブルトレインにサブウェイマスターへの挑戦権を獲得した者が居ないことを祈るしかない。こんな日ばかりは各トレインに乗る同僚達が挑戦者をこてんぱんに蹴散らしてくれることを祈るしかない。
「とりあえず休憩室にでも…」
行くぞ、最後まで言葉を発する前に力強くクダリが腕をすり抜ける。
通路に立ちふさがるクダリ。だめここでいい、主張するその目が何処となく充血しているような気がする。

「あのね狛」
クダリが大きく息を吸って吐いた。
「ギアステーションやめるの、ほんと?」


「は、」
「だって!ボクそういう話聞いた!だから…」
「聞いた?」
突拍子もない話すぎて困惑する。だが少なからず俺の記憶にある範疇では辞表を出した覚えもないしそもそんな話を誰かにしただろうか。
もし小言のうるさい上司が人件費削除の為に駅員ひいては俺を切るというのなら話は変わってくるがギアステーションがそこまで赤字運営だなんて話は聞いたこともない。むしろバトルトレインの効果も相まって黒字万々歳のはずである。
「狛、聞いてる?」「あ、」
だからね、だからね。繰り返すクダリはどうやら思案中に何か必死に訴えていたらしい。

「これからボク狛に残業手伝ってもらったりしないよ!」
意を決したかのように吐き出された言葉に思わず意識が遠くなる。意味がわからない。残業、そういえば良く付き合わされたな、と思う。特に終電運行勤務の日にオフィスに運行記録を書きに来るとクダリがノボリに小言言われながら書類に目を通し作成していることは多かった。

「それに、えっと。えっとちょっと待ってね。あ、仕事場の机整理整頓するよ!」
「あれをか」
「うんそれに、その、えっと休憩室も散らかさないし、他には」
「分かった。分かったからクダリ落ち着け。」

論点がズレにずれている気がして取り敢えず目の前で慌てふためくクダリを宥める。そもそも最初から分からないことだらけである。もし本当にクダリが残業手伝わせなかったり休憩室散らかさなかったりするのならば大歓迎だが。
「え、だって狛」
「兎に角落ち着け。何でそう言う話になったんだ?」
途端、クダリは黙り込んでしまった。俯き項垂れその表情は困却している。怒られると思っているのだろうか。それとも本当に俺が辞めると思って言葉に詰まっているのだろうか。
「クダリ」
その肩を叩き、零れそうになるため息をぐっと抑える。
「怒っているわけじゃない。怒る気も俺はない」
「……ほんと?」
「本当さ。だから話せ、な。」
できるだけ優しい声色で話しかけるとクダリは様子を窺うようにこちらを覗きこんでくる。誰が見ても果たしてこれが地下鉄最強のトレーナーに見えるだろうかと思うほどおずおずと喋り出すその様はいつも以上に小さく見えた。
「あのね、クラウドとカズマサが―」
クラウドとカズマサ。
それは同僚の名前だった。二人ともサブウェイのギアステーション勤務でありバトル好きでもある。特にクラウドはトレインのトレーナーとしても働いていることもあり親交は浅くない。
「ダブルトレイン、今日挑戦者全然来ない。だからボク休憩室で暇つぶそうと思って行った。そしたら二人が喋ってた。」

『ほー!したらばギアステーション辞めるんかー狛の奴』
『そうなんだよね。なんとなく聞いてみたんだけど僕もびっくりでさ』
『ま、狛らしいっちゃ狛らしい答えやなあ。わしらも根っからのバトル好きやけどあいつも相当なもんやし。』
『旅にでも出てチャンピオンでも目指すとか言い出しそうだよ』
『ああわかるわーそしたらさみしなるなあ』

「びっくりしちゃって、続きも詳しく聞かないでそのまま狛に聞きに来た。ねえ狛辞めちゃうの?旅に出る?」
―ああ、そういうことか。
突拍子もない話だがカズマサという狛を聞いてその突拍子もない話に一つ思い当たる節があった。カズマサの奴には今度書類押し付けてやろうと心に決めた。
「どうして?辞めないでよ、辞めないでいいじゃない。」
ああクラウドにも押しつけて良いかもしれない。

「辞めないさ」

押さえつけていたため息が安堵の物となってふうと自分の口からこぼれる。勘違いしているクダリもクダリだが勘違いするような話をしているあの二人にも今回の責任はあるはずである。尚更わけがわからないという表情を浮かべているクダリは半泣きだ。
「あのな。それは違うんだよクダリ」
「違う…何が。」
「この前カズマサに聞かれたんだ。俺がお前とノボリの二人に真剣勝負仕掛けているのは周知だろう。そのことについて『もしもサブウェイマスターに勝てたら狛はどうするの?』とな。もしもって所がカズマサらしいというか、味噌だよなあ。」
カズマサに悪気はなかったのだろうけれど、随分と刺さる言い方をしてくれるものだと思ったものだ。彼は少し天然なところがある。
「で、考えたんだが。もし一番強くなってしまったらもう自分より強い奴とはもう此処では戦えない。いつ来るかわからない挑戦者を待つ生活も多分俺じゃあ性に合わない。だからきっと此処を辞めて旅にでも出るのかもしれない、と。カズマサは多分その話をしていたんだよ。」
「じ、じゃあ」
「実際は駅員の仕事も満足しているし第一お前達に勝ててないからそんなことないのだろうけれど。」
そう、思ったより駅員として働くのは自分に合っていたと思う。電車自体嫌いではないし運行も苦だと思ったことはない。その上ここなら勤務予定さえ合えば好きなだけイッシュ中のいろんなトレーナーと戦えるのだ、旅に出てわざわざ此方から赴くまでもなくまた路銀を費やすこともなく。


勝ててない、ぽつりとクダリが呟いたのが耳に入った。
「わかった。」
「そうかそうか。それじゃあ仕事に」「だったらボク強くなる。」

「―は?」
「そうと決めたら特訓。休んでられない。」
踵を返し歩き出そうとするクダリを引きとめる。今日は厄日だ、何から何まで突拍子もなく理解に苦しむ。
「ちょ、おいクダリお前ちゃんと聞いてたのか」
「聞いてたよ!つまりボクとノボリが狛にいつまでも勝ってたら君はここに居る。そうでしょ?」

ちょっと待て肝心の後半聞いてないじゃないか。
わかったって何が分かったんだ。
どこかお前勘違いしているんじゃないか辞めるなんて言ってないぞ俺。
というかなんだその解釈は。
間違ってはいないけれどそういう解釈の仕方は何か違う。
言いたい言葉が次々と浮かんでくけれどどれ一つ口を衝いて出てこないのはあまりにクダリの解釈が端的かつ極端で唖然とするほかないからかもしれない。恐らくは今、自分は金魚のように口をパクパクさせていることだろう。
「だったら強くなる。もっと、もっともっと。」
「今よりずっとすごいバトルができるようになる。狛になんて負けない。絶対負けない!」
うっすら目元に浮かんだ涙を拭いビシっと俺を指差すクダリの表情はバトルに赴く直前のようなやる気に満ち溢れ、呆気に取られる俺をさて置き紡ぎだされる決意表明は肝心の当人を置き去りにしているような気がしてならない。
だから、辞める気はないんだって。そう言うのが何だかもうこのクダリに対しては意味がないような気がして。
「ボク、絶対狛打ち負かす!」

もう、何だって言うんだ一体。




地下鉄式持論に依る

(明確なのは)
(やっぱりクダリはさぼってたのかということ)
(それは俺の責任ではなさそうだということ)
(あ、書類)




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勘違いで必死なクダリさんのお話とてつどういんのお話。
でも27歳から旅はないと思う。
カズマサはよくビッグコートとリトルコートに出る駅員さん。
クラウドさんはサブウェイの関西弁の人。

「車両連結」は続きですがこちらよりも完全にべーこんれたす路線。
読まなくてもこちらだけで完結しているので。

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