夢小説 | ナノ


「なあなあコマ!聞いてくれよ!俺、今年の対人格闘術の成績すっげぇいいんだぜ!もしかしたら今期トップになれるかもしれないんだ」
「そうなの?凄い子わあ、そんな優秀な成績を残せるだなんて。きっと才能があるのね。卒業したあとが今からすごく楽しみだわ」
「そ、そうか?へへ…有難うコマ。」
「有難うだなんて…ああ、エレンはいい子ね。当然の事を述べたまでなのに謙遜しちゃって。礼儀正しくてちゃんとしているわ。貴方なら卒業した後も絶対うまくやっていけるはずよ。いいえ、やっていけるわ。」
「なんだか照れ臭いな…でも、俺頑張るからな!じゃあそろそろ行くよ。じゃあなコマ!」
「ええ、それじゃあねエレン。」




「ちょっと甘やかし過ぎなんじゃないの、コマ」
「なんのこと?」

会議も終了し同僚達が続々と席を立つ中、狛は同僚ハンジに呼び止められる。今日の会議は次の遠征に向けてであった。が、現在の壁外遠征はその目的の殆どが兵站の構築を図る事でありこうして集められるのも話し合いというよりは今回は何処何処まで行って荷台を下して帰ってくるという程度の確認と報告程度であり、決まり切った確認事項の羅列に狛やハンジをはじめとする会議の出席者全員が内心退屈していた。少しでも早く息抜きをと外へ急ぐ他の同僚達には狛とハンジの会話は耳にも入ってこない。
やがて全ての同僚達が会議室をあとにした後、ハンジは重いため息をついた。

「あの訓練兵のこと」
「訓練兵。ああ、エレンの事?」
「さあ、名前なんて知らないけど」

机に腰を掛け正面から狛を見やるが彼女は平時と変わらない様子で此方を見ていた。ただ、エレン、そう訓練兵の名を呟いた瞬間目が輝いたようである。

「あんなに甘やかしていたら兵士として使い物にならなくなっちゃうよ?彼がどの兵団に所属するかは知らないけれど、どんなに成績が良くても甘やかされて育った子が上手くやっていける程どの兵団も温くなんてないんだから」

唯一つを除いては、とハンジは思う。それは上位成績のものだけが入団を許される憲兵団。王直属の兵団で市民を統制し治安維持に努めるのが主な任務である。そう言えば聞こえこそ宜しいが実際には聞く噂によれば市民の税で遊び呆けているらしい。市民受けも良いとはお世辞にも言えない。
そんな、調査兵団に身を置くハンジからすればぬるま湯の様な兵団ならば甘やかされてもまあそれなりに使い物になるだろう。ただそんな憲兵団には居るには、その少年が成績優秀ならば、の話だが。


「そうね」
頷いた様だがそこに狛の意思は感じられなかった。納得しているようにも反省しているようにも、ましてや憤慨している様にも見えない。ただ平時と変わらぬ様子で笑みを浮かべている。
それがなんとも奇妙に思えたハンジが次の言葉を述べようとしたその時、彼女が口を開いた。

「飼い殺しって知ってる?」
「は」
「懐柔してべとべとに甘やかして過剰で傲慢な矜持を抱かせて一方的でけれども相手に受け止められるような愛を送り続けて、世間的に使い物にならなくするの。私さあ」

エレンが可愛くて可愛くて仕方ないのよね。

なんてことはない、好きな料理の話をするかのようにごくごく自然と彼女はそれを口にする。ゆっくり伏せられた瞼の向こうでその訓練兵を思い描いているのだろうか、その顔は穏やかで優しく母性に満ち溢れている。それがどうにも言葉と一致せず既にすっかり人が居なくなった会議室に微妙な不協和音をもたらしていた。
鬼子母神、500人の子の母でありながら他人の子をさらってはくらってしまう怪物――ハンジは昔絵本で読んだ昔話の一説にあるそれを思い出していた。穏やかで優しい母親の様な顔の裏には恐ろしい本性が隠れている気がしてならなかった。

「だから何処にも行かないでほしい。本当は毎日私の隣にいてほしいし一緒に暮らしたいけど、それは我慢ってことで。でも何処かへ勝手に行って欲しくは無いし私の知らない所で死なれたりした日にはきっと発狂するわ。
――だからその前に私が、世間的にね。」
「それで、満足するの?コマ、貴女相手の気持ちも考えずにそんなこと。」
「だから懐柔しているの。ううんそれだけじゃなく私は彼が大好きだから懐いてくれると嬉しいっていうのもあるけれど。
そうね、満足はすると思うわ。それも飛びきりの満足を。」

狂っている。人の事は言えないと思いつつハンジはそう思わざるを得なかった。狛にとってそのエレンなる訓練兵がどの程度の大切な物かだなんてハンジには計り知れなかったがそれでも狂っていると思った。世間一般的に見てもそうだろう。愛する者の活躍を―例え死の危険があったとしても―応援するというのならともかく、愛するが故にその者の才能を無下にし自分のそばにいさせたいだなんて。

呆気に取られるハンジに狛は笑いかけた。外から鐘の音が聞こえる。日は少しばかり傾いているようだった。ああ、そうだと何かに気付いた様な彼女は外へと歩を進め、そして思い出したようにハンジを振り返った。

「ごめんねハンジ。もう、行かなきゃ」
「あ、ああ。私こそ引き留めてごめん。ところで、何処に?」
「今日もエレンが来るの。」

エレン、満面の笑みで狛は笑う。その笑顔にハンジは背筋にうすら寒い物を感じた。それは恐怖ではない。腐ってパンパンに膨れ上がった死体の裂け目から湧き漏れだす蛆を見た時の様な、嫌悪感。胃の中がむずむずとかゆいような戻してしまいそうになる程の不快感。

「褒められたくて毎日私の所に来るのね。お母さんに褒めてもらいたいみたいなそんな子供心で。私からすれば甘い餌を与えてる感じよ」

良い意味でね、そう呟いた彼女はハンジの様子には何も気づいていない。既に彼女の眼には今日も飛びついてくるあの若い訓練兵の姿が浮かんでいるのであろう。何もない中をうっとりと見ていた。彼は今日もただ牙を抜かれるということをきっと知らない。
「後はじわじわと私の腕の中で殺すだけ」

達成感と期待感を隠さず顔に浮かべ狛はハンジに軽く手を振って去っていく。
残されたハンジは彼女が出ていった扉を暫くぼうっと見つめていた。いつの間にか堅く握っていたこぶしは汗でじとりと湿っていた。




「コマ遅かったなー」
「ごめんね、エレン。会議が長引いちゃって」
「会議って、今度の遠征のか?なら仕方ないか」
「うふふ、有難う。エレンもその内参加する事になるのかしらね。エレンは優秀だからきっとすぐにそれなりのポジションに付く事を強いられるでしょうね」
「そうなったら楽しみだよな!くーっ俺も早く調査兵団に入って壁の外の世界へ行ってみたい!」
「もうすぐよ、もうすぐ。ね、エレン」




温くて甘いジュースはいかが

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