「君は劉禅殿のお傍であの方をお守りしているんだよ、いいね霜霖?」 小さな子供に言い聞かせるように囁く。震えるその手を力強く握り返した。 明日にでも魏の大群が攻め込んでくるだろう。そしてきっと蜀は滅びる。そんなこときっと戦地へ赴く誰もが心の中では分かっていることだ。それでも行かねばならない。 「戦うことすらお許し下さらないのですね」 伏したままのその目からは涙が頬を伝いぽたりぽたりと彼女の服に跡をつくる。 魏軍率いる司馬昭は恐らく彼女を殺さないだろう。彼女は亡命した将の親族とは言え旧知の間柄なのだから。何より降伏した敵兵や敵将に対する彼の心の深さは異国のこの地まで響いていた。 「君は生き残るんだよ」 手を離し立ちあがる。 思い返せば嘘みたいに生き残り、護るべき人にも先立たれ、辛くも苦しくも生き延び続けてきた。でもそろそろいいだろう、何か一つのために馬鹿みたいにがむしゃらに命かけて例え散ることになろうとも。 只一つの心残りは。 「馬岱様、」 縋る様なその声を聞こえないふりをしてその場を後にする。ああもう、残していくことを恨んでくれてもいい、どうか君は。 ← ▲ → |