(あ…)
サッカー棟から教室へ向かう途中、下駄箱で紫苑を見かけた、よかった、どうやら笑顔は消えていないようだ。 一瞬目が合ってしまい、どうしようかとも思ったが、幸いにも周りには誰もいない、がやがやとして対して目を向けられているわけではない、霧野は女子に囲まれているし、倉間達も面白可笑しく朝練の出来事を話しているし、俺は数回周りを見てから、愛しい婚約者に笑顔で軽く手を振った。 怒られるか、嫌われるか、思うことがいろいろあったが、彼女も察して笑顔で手を振り返してくれる。 やはり俺は、幸せだ。
すぐに目線を戻して霧野を救出し、倉間達と共に教室へと向かう。 真逆の教室に向かう紫苑が気になるが、これを耐えなければいけないと思うと、正直、やっていける気がしない。 彼女と出会う前までは忙しくて気になどしていなかった、しかし暫くしてサッカーを取り戻し平穏になり、そして一週間前の彼女と出会った瞬間に、俺はどうも彼女のことばかり考えてしまうようだ。 ましてや今同じ家にいて、そして甘い、とも言えるかはわからない生活を送り、朝の見送りをもらう毎日が目の前に来て、俺は、彼女の条件である我慢をすることができるのだろうか。 自信がない、もしかしたら嫉妬をして彼女を連れ去ってしまうかもしれない。 この感情が錯覚でないのならきっとしてしまうだろう、情けない。
はぁ。 今日何度目の溜息なんだろうな、霧野は慣れたような扱いをしてくるし、倉間も浜野も慣れたようで、少しばかり友人を恨んでしまう。
「神童、何度も言うが、相談があるなら乗るぞ?」
「そうそう、あんまため息ついてっと幸せ逃げるよー?」
霧野も流石にまいっている、浜野が態とらしく乗っかかってきて、ホームルームまで暇を持て余す俺はたまたま近い席に集まった霧野達に、ゆっくりと、誰なのかを悟られないように、それも婚約者と言えないものだからソフトに、言葉を選んで口を開いた。
「好きな人が、できたんだ」
だけどそれが本当に恋なのかがわからない。 言えば四人は面白がって昨日の早上がりした俺の話をし始める、…嗚呼、これだから話したくないんだ。 不機嫌であることがわかったのか四人のはしゃぎっぷりが終わって、霧野たちが顔を見合わせこほん、と咳を一つされる。 じとりと見つめると、勿論代表は俺、とでもいいたげな表情で霧野が前のめりに俺と向かい合う。 だからそういう行動を控えろ、勘違いされてしまうだろう。 幸いにもここに婚約者はいない、本当に幸いにもな。
なぁ神童、その子はどんな子なんだ? 霧野が質問を始めた、これは小狡い、俺はバレないように必死になって言葉を紡ぐしかないだろう。 しかし、そうだな、どんな子だと言われればどちらかというと可愛くて天然、だな。 少し気恥ずかしくなりながらそういうとこいつらも恥ずかしくなってきたのか頬を染め始めた、おいやめろのろけているんじゃないんだ真剣なんだ。 じゃあさ、その子とは仲いいのか? 次の質問に言葉が出ない、仲がいいのだろうか、いや、きっとこれから仲良くしてもらいたいという彼女の父の提案で一緒に暮らすようになったんだ、これからだろう、というわけで。 仲は、まだあまりそれ程よくは、ない。 全員で暗いオーラを出し切ってしまう、どんよりする空気を終わらせたいと思って次だ!なんて言ってしまう俺に霧野は驚きつつも続けてくれた。 ここ一番大事、その子のどういうところが好きなんだ? 顔が熱くなるのを感じた。
「し、神童!おま、顔真っ赤だぞ!」
「霧野〜それは直球だって〜」
「ばっかお前これ大事だろ、霧野は間違ってねえよ」
「あわわこんな神童くん初めて見ましたよ〜!」
思わず、顔を伏せる。 まだまだならないチャイムに来ない先生、これほど朝の空き時間を長く感じたことはない。 紫苑は何をしているだろうか、なんてこんな時まで考えてしまう。
どういう、ところが。 そうだ、まだあって間もないのに俺は彼女のどういうところが好きなんだろう。 がやがやと男子がうるさい中、教室の一角で五人で話している姿は周りから見れば怪しく、カーテンを揺らす風にまで馬鹿にされているようで、どちらに恥ずかしさを感じているのかがわからなくなる。
どこか、か。 でも俺は彼女を一目見たときから好きで、今どこかと言われれば、俺には無いところが、好きなんだろうな。 軽やかで優しくて、凛とした所謂大和撫子で、だけど綺麗で触れるのが惜しいぐらい、俺にはできないことをやってのけ、俺にないものを持っている、そこに惹かれたのだろう。
淡々と短く、誰だろうとも悟られることはない言葉で言うと、相手からの言葉が無くなった。 不思議に思い顔をあげると、四人が恥ずかしそうに顔を隠していた。 全員して俺と同じような状態で、俺は更に恥ずかしくなり、それを見れば一層顔が熱くなる。 俺は今、何を言ったのだろう、言ってしまえば後半から覚えていない、きっと紫苑をベタベタに褒めたのには違いない、この反応を見る限りだが。
「相当惚れ込んでるな…」
「なんかこっちまで恥ずかしい…」
「すげえ…それ完璧恋だろ…」
「あ、そうだな、簡単に言おう」
「まだあるんですか!?」
綺麗で触れるのが勿体なくてだけど傍に置いておきたい、その子の全てに魅了されている、それも
と舞っている錯覚を起こす彼女は、
そうだな、まるで蝶々(てふてふ)の様なんだ。
(お前なぁ、その生き生きした顔やめろ!) (いや聞いてきたのはそっちだろ!) (本当に好きなんですね…) (いいことじゃね?頑張れよ神童!) (神童も大人になったな…)
だからやめろ霧野、誤解がうまれたらどうするんだ!
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