「しかし間に合ってよかった」

「え?」

「あの日から、君と帰りたいと思っていたんだ」



そんなことでもいけしゃあしゃあと言えるのは家のためなのでしょうか、さっきまで綺麗だった笑顔が、瞳だけ笑っていないものに変わって、この関係に反対だってことが丸分かりですよ。
私も、
振り絞って出た言葉に拓人さんの瞳が和らいで、居た堪れなく複雑な気持ち、お願いどうか、その日が来るまでお慕いさせてくださいませ、きっと家さえあれば財力さえあればいいのでしょう、そうでしょう、だけど、そう、つまり何が言いたいかって、私は貴方に惚れ込んでいるのです、どうか捨てないで、政略結婚として婚約者になって一週間、貴方の誕生日から一週間、ずっとそう考えてきました。

拓人さんはとてもお優しい、私がお嫌いでしょうに御側に置かせていただける。
一週間まともな会話すらしていないのにこの扱いは、きっと、ご両親が海外に暮らしていてそのためこちらのことを任された神童財閥の誇りにかけてなのだと思います、時折ご両親に、神童家というものに、嫉妬に似たものを感じます。
愛されている貴方の家族の、その一員になりたいのです。



「拓人さん」

「どうした?」

「あの、少しだけお話を受け入れて欲しいのです」

「変な奴だな、なんだって話して欲しいよ」

「お願いします、学校では、どんなアクションも起こさないでくださいませ」

「…え?」

「私を見かけたとしても、ほかの殿方とお話していたとしても、お願いです、わざとらしいアクションは必要ないのです」



貴方のために、提案させていただきました、これからのお互いの学園生活を。
ずっと言いたかった、一週間まともにお会いしていないから言えなかったのだけれど、それもきっと拓人さんがご自分の心の整理をなさりたいからだと思ったらホッとして、今この言葉をお伝えすることが出来ました。
勿論、私は貴方をお慕いしております、とも言いたかったけれど、それはどんだ重荷ですもの、極力迷惑という迷惑をおかけしたくないのです。

お願いします、もう一度呟いてそっと拓人さんの手に触れる、震えを抑えているつもりでもきっと伝わってしまっていることでしょう、それにすら申し訳なく思ってしまう。
抱かれたままであった拓人さんの右腕がそっと離れて、私の頭にのっかるのを感じた、不思議に思って拓人さんの顔を覗き込んでみると、それはもう想定内の笑顔で、



「…ああ、そうしよう」



と、言われたのです。
それだけで十分、私を地獄に突き落とせます、私が貴方を好きでも、わかりきっていた貴方の気持ちに、切なくなる。

拓人さん、貴方が好きです、貴方の笑顔、貴方の仕草、貴方のピアノ、貴方のサッカー、貴方がいるから全て好きになるのです。
まるで、その方が助かるよ、とでも言うように安堵する拓人さんも、素敵、好き、私までほころびますもの。

私からは殆どスキンシップはしないけれども、拓人さんは私を気遣って触れてきて下さります、すっかり甘い雰囲気になるけれど、そろそろ時間も良い頃で、車が水の音を上げて止まりました。
しかしまだ扉が開くことはありません、お互いの意識を確認するまでお邪魔としてはいれないのが下の者たちなのです、そう、そういう決まりなのです。
紫苑…、
拓人さんの言葉を合図に微笑むと、一瞬で拓人さんの表情が曇ります、そう私たちの関係はうわべだけのもの、当たり前にそれ以上をする必要などないのです。
どうしたんですか?
貴方の寂し気で罪悪感にとらわれている表情を見ていたくない、私はわざと目を伏せて下を向き、彼の冷え切った手を撫でる、そして暫くの沈黙が流れ外の騒がしい雨の音とそれを弾く車の走る音だけが響き渡る、早く言って欲しい言葉に、不安が隠せない。

自分の家の前だろうと当たり前に思ってから何も言わないた拓人さんに思い切り顔を向けてみると、彼も驚いて顔を見合わあせてくださいました。
一生懸命笑顔で見つめると、ぎこちない笑顔に変わる拓人さん、それでもいいの、笑って欲しい。



「私、もう帰らなくては」

「…その事なんだが、その、頼みがある」

「はい?」

「一緒に、暮らさないか」



目を、見開いた。
中学生であるのにも関わらず大人顔負けの女殺しの言葉をかけてくる拓人さんの見方が少し変わってしまうぐらいに唐突だったので、動揺することも慌てることもなく、ただ、見開いた目で見つめただけなのです。
そんな私に申し訳なさそうに表情が落ち込んでいて、訂正の入らないこの言葉は正しく本当に彼の気持ちなのだろうと思うと、正直、とても嬉しい。

けど、嗚呼そうだわ、私が学校での関係を無しにしたからの交換条件なんだわ。
関わりをなくせば表面上の婚約も無くなるかもしれない、私たちが不仲で連絡も無くなれば将来のことが無くなってしまうかもしれない。
彼は、そう、きっとこれが怖いのですね。
胸が締め付けられる、きゅっとして、ときめきや恋とは違う、辛く切ない締めつけに一筋の涙が流れ落ちます。
急展開すぎるの、何もかも、全部、唐突なの。

貴方が、愛おしいのです。



「…拓人さん」

「紫苑、」

「私、嬉しいです、拓人さん」

「っ、じゃあ…」

「その代わり、お願いします、学校では絶対に関わらないでください」

「ああ!」



安堵の溜息、とでも言うのでしょうか、安心しきったようにぎしりと背もたれの音を軋ませてリラックスをする拓人さんは、よかった…、と呟いた。
訳を聞けば本当は、私の父からの申し出らしく、断った場合には婚約も契約も無しだと言われていたらしいのです、嗚呼、まんまとはまってしまいました。
ねぇ拓人さん、貴方は、家のためならばこの婚約を受け入れるのですね、つまり私は貴方にとってただの道具に過ぎないのですね。

優しく微笑む拓人さんに小さく微笑んだあと、辛くてどうしようもない感情が生まれたものだからすぐに己のすぐ傍の扉を開き外へ出た、驚いたであろうお付と拓人さんが慌てて出てこようとするけれど、振り切って私は、雨に涙を委ねるしかなかったのです。

やるせない気持ちを、あの稲妻は、綺麗さっぱりかき消してくださいました。

急いで駆けつけてくださった関さんからタオルを受け取り、関さんは大きめの傘を私だけにさしてくださいます、もうひとりのお付の桜さんも駆けつけてくださる、なんてお優しいの二人共、ずっと小さい頃から私のお付であった関さんと桜さん、見た目は凄く若い青年男性の関さんと、中性的で男らしい女性の桜さん、なのに、これで二人共三十手前なのだから驚きです、なんて今は関係のないお話。

遠くで、拓人さんは私を見つめているだけでした。
淡い期待も、雨に溶ける。

一緒に暮らしてどうなるのでしょうか、私は貴方とうまくやっていけるのでしょうか、まだ中学生なのに、おかしい。
だけれど、これで少し仲良くなれるといいですね、拓人さん、お願いです何度も言わせてください。



「お嬢様、戻りましょう」

「…拓人さん、が、好きなんです」

「…わかっています、しかし今は戻りましょう」

「関、傘を」

「うん」



桜さんに傘がわたり、関さんにタオルを抑えられる、そんな二人に挟まれて戻った先には心配したような表情の拓人さん、少し笑ってしまう、喜怒哀楽が激しいというか、ころころと表情が変わるから可愛いというか、嗚呼、貴方と幸せになれる気がしないのです。







貴方の恋が冷めていると分かる。



(紫苑…!)
(ごめんなさい拓人さん、ちょっと、車酔いを)
(…そう、か)
(私は大丈夫です、それより、既に拓人さんの屋敷前だったのですね)
(あ、ああ…さ、早く入ろう、風邪をひいてしまうだろ)

なんて広いんだろう、拓人さんの屋敷は、パーティー以来だったけれど、こんなに広くて、私と拓人さんの距離を表されているようだわ。





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