全部わかってたよ




※救いのない死ネタです。苦手な方はご注意ください。







「キラ」
幼い頃から、口癖のようにその名を呼んだ。
でも彼が振り向くことはない。
それが悲しくて、そっと手を伸ばした。
しかしそれも無駄に終わる。キラはそこから少しも動いていないのに、アスランには触れることができないのだ。
彼は確かにそこにいるのに。

「なぁ、お前は一体何を見ているんだ?」
アスランは窓辺に佇むキラに問いかける。
返事はない。当たり前だ。
本当はわかっているのだ。
今のアスランにはキラに話しかけることも触れることもできない存在であるということを。
彼はいわゆるこの世にいてはいけない存在――死者だった。

ずっとこの楽しい日々が続くのだと信じていた幼い頃。それはあっけなく戦火に阻まれた。戦場で再会したのはお互い、想像もしていなかった。あの日のことは今でも思い出すと胸が痛む。
話したいのに話せなくて、戦って、戦って、後悔して、互いに大切な人を失い本気で殺そうとしたこともある。
毎日が苦しくて、もどかしくて、悲しくて。
それらを乗り越えた先にやっと訪れた平和な日々。一緒に過ごした僅かな日常。幼少の頃と変わらないキラの姿に、アスランは口にしなかったけれど嬉しく思っていた。
まるで昔に戻ったかのようだった。デザートの桃を半分譲ってくれたこともあった。どんな小さなことでも鮮明に覚えているのに、この先、二人がそれを共有することはない。どんなに呟いてみてもそれはただの独り言だった。
今、何を言ったところで伝えられないのなら、もっともっと言葉にしておけばよかった。生きている限り、皆平等に訪れる死。いつかきっとが、すぐ近くに横たわっていたなど誰が想像するだろうか。悔やんだところで何もかも遅い。

「キラ……」
変わらず窓の外をじっと見つめるキラ。
もしかして誰かを待ってそうしているのだろうか。
(仮にそうだとしたら、それは俺だといいな……)
伝わらないと分かっていても流石に口にするには恥ずかしくて、想いは心に。
アスランはそっと目を閉じた。






昼をしばらく過ぎてから動いたキラの後ろを、アスランはついていく。執務室を出て階段を下りた先をまっすぐ進み、突き当たりの部屋に入る。そこは食堂だった。
すっかり昼食の時間帯を過ぎて室内は閑散としている。

「キラ」
どんなに呼んだところで反応はない。たまにタイミングよくキラが振り返ることもあったが、視線が交わることはない。やはり彼にはアスランのことが見えていないのだろう。
アスランはキラと向かい合うように席についた。出てきた一人分の食事に現実をつきつけられる。
いただくということは、命を繋ぐこと。死者に食事は必要ない。よって、もう一緒に食事をとることはできない。こんなときでも思い出すのは、ふとした日常だった。

「お前、俺の作ったオムライス、すごく好きだったよな」
元々はアスランの母が好きでよく作っていたオムライス。血のバレンタインから向こうめっきり作ることがなくなり、忘れかけていた。そこにきてキラが「たまにはアスランのごはんが食べたい」なんて言ったのだ。
アスランが作れる料理なんてそれくらいしかなかったから、まずくても知らないぞと言って作ってやれば、キラは喜んで食べてくれたな。
あんな笑顔を見せてくれるなら、何度だって……。

「作ってやりたいよ」
でも、もうそれも叶わない。







夜になり、アスランはベッドに潜り込んだ。
隣にはキラがすぅすぅと寝息を立てて眠っている。
いつもと変わらない光景に小さく息を吐いて、そっとキラの頭に手を伸ばした。けれどアスランにはやっぱり触れることができなくて、眉根を寄せた。
こんなに悲しいことがあるだろうか。
キラに触れたい。
その髪に、目に、唇に、全身を使って愛撫したい。でもできない。
アスランは伸ばした手を引っ込めて、頭から乱暴にシーツを被った。

(どうせ彼には気づかれないのだから、これくらいいいだろう)





「ごめんね、アスラン」

しばらくして。
すっと目を開いたキラは隣に眠る存在に向けて呟いた。
キラにもアスランの姿は見えていたし、声ももちろん聞こえていた。
それでも知らないふりをしたのは、自身が彼とは決して交わらない存在だから。ここで認めてしまえば、生と死がごっちゃになってしまう。

「窓の外を見ていたのはね、きみと目を合わせると縋ってしまいそうだったからだよ」

キラは突然、語りだした。
それはすべて、応じることができなかった彼の問いに対するこたえ。
キラはその実、アスランの呼びかけに何度も何度も振り返りそうになっていた。
あまりにも普通に時に切なく問いかけるから、ついうっかり返事をしそうになったこともある。
そのくらいアスランがキラの名前を呼ぶのは日常と化していた。
でもこたえてしまったら、彼に未練を残させてしまう。
だからキラは心を鬼にして無視していた。
それを懺悔するように、こうして彼が眠った深夜にキラは返事をするのだ。

「それからね。きみの作ったオムライス、本当に美味しかった」
久しぶりだからまずくったって文句言うなよ、なんて言ったアスランは結局、プロ級のきれいなオムライスを作った。
つややかにきらめくふわふわトロトロのオムライス。中身はキラの味覚にあわせてケチャップライスにしてくれた。どこまでもキラに甘いアスラン。

「オムライスにケチャップで絵を描こうとしたら、ケチャップライスなのにまだかけるのか! ってきみ驚いてたよね。だから僕はきみの分のオムライスにトリィを描いてあげたら、おかえしだって言ってトリィを描いてくれたけど……あれはなかった」
キラはくすくすと笑う。
アスランは器用なくせに壊滅的な描画センスなのだ。
ひとしきり笑ったあとで、鼻がツンと痛んだ。

「もっと、食べたかったよ……」
キラの声が掠れる。
彼の瞳から溢れるものを拭える人は、ここにいない。







アスランが目覚めると、キラは隣にいなかった。

「アイツ、もう起きたのか……?」

別に珍しいことではない、とアスランは言いきかせる。
それにしては虫のしらせのような胸騒ぎがして、アスランは慌てて身支度を整えると、彼がいつもよくいる部屋――アスランの執務室に飛び込んだ。
しかし探し人はいなくて、勢いを殺さないままあちこち探し回った。食堂、寝室、物置から空き部屋まで。もしかして入れ違ったのではないかと思い、執務室に戻ってみたが、誰もいなかった。

だが、机上に見慣れぬノートが置いてあった。
アスランは目を見開いてそれに駆け寄ると、座るのももどかしいと立ったまま、ページを開く。
そこには決してきれいとは言いがたいけれど、懐かしい文字が並んでいた。


アスランに守ってほしいこと

その1、ちゃんと仕事はすること。きみを必要としている人はたくさんいるんだからね!

その2、ごはんもきちんと食べること。僕が毎回、食堂にきみを連れて行く気持ち、ちょっとは考えてよ。

その3、残酷な願いだけれど……僕の分まで生きて。ていうか後を追ってきたら許さないんだからね!


――書きたいことはたくさんあるけれど、僕だってあんまり煩いのは嫌いだからこの辺にしておくね。 バイバイ、アスラン――


こんなことがあるのだろうか。アスランは信じられない気持ちで何度も何度もそれを読み返した。
そして不意にこれまで無意識に堪えていたものが、濁流となって押し寄せてくるのを自覚した。

本当にわかっていたのだ。
生きているアスランには死んだキラに話しかけることも触れることもできないということを。
夢の中でしか、キラとはちゃんと話せないということも知っていた。
けれど、自分を疎かにしてもまだ、彼と一緒にいたかったのだ。だって、やっと分かり合えるようになったのだから。

「二階級特進するには早すぎるだろお前。その服、全然似合ってないぞ」

きみってほんと僕には失礼だよね、とキラは口を尖らせる姿が容易に浮かび、アスランは眉根を寄せて小さく微笑む。
その拍子に、堪えていた涙が一滴こぼれた。


彼がアスランの前に姿を現すことは、きっともうないだろう。
キラの気持ちを知ってしまったから、こんな姿になってまで心配してくれた彼を知ってしまったから――アスランは食事を放棄することも後を追うこともできない。
身をもって教えてくれた。
生きている者と死んでいる者は交わることはないのだ。否、交わってはいけないのだ。
これ以上、アスランが未練を募らせることによって彼を引き留めるのは間違っている。



でも。

それでも。

「俺は、お前と一緒ならなんだってよかったんだ……」

この日アスランは彼を亡くしてから初めて、人目も憚らず泣いた。




END


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