雨水







「アスラーン!」
呼ばれて振り返れば、高校で仲良くなったニコルが走ってくるところだった。
立ち止まり、彼が追いつくのを待ってから、足並みを揃えて再び歩き出す。

「珍しいですね、アスランが朝から構内にいるなんて…」
ニコルの言葉に苦笑を浮かべる。
遅刻はしないし、起きようと思えば起きられるが、指摘された通り、俺は朝は苦手だ。
だから、前期は仕方なかったが、後期の授業は午後からになるよう緻密に計算して選択をしていた。


「昨日教授に仕事を頼まれてね。それを提出しに来たんだ」

「じゃあこれから帰るんですか?」
「ああ、今日は単位に必要な授業はないしそのつもりだ」
そうですか、と少し寂しそうに呟いてから、ニコルは何かに気がついたように声を上げる。

「これから雨が降るそうですから、気をつけて帰ってくださいね」
「ああ、そうする」
そう頷いて、ニコルと別れた。






*



雪の季節がもうじき終わる。否、すでに終わっているのかもしれない。寒いのは相変わらずだが……、俺は、最近見なくなった雪を確かめるように空を仰いだ。
微かに吹き寄せる風が頬を掠め、瞑目して身震いをする。寒いのは存外苦手だ。

その時、額にぽつりと小さな水滴が落ちてきて、手のひらでそれを確かめる。するとその手の甲にもう1滴落ちてきて、ニコルの言葉を思い出した。

空をよく見ると、先ほどまでは幾分か明るかった空を雲が覆おうとしている。
「降られる前に移動だな」と俺は一人ごちて走り出した。





幸いというか大学から自宅マンションは近かった。
そのために一人ここへ引っ越してきたのだから当然といえば当然なのだが、どうやらそこへ着くよりも雨足の方が早かったらしい。


玄関に辿り着く頃には、全身びしょ濡れになって濡れ鼠もいいところになっていた。



「……はぁ」

ため息をついて自宅のあるマンションの8階へ向かう。
靴に入り込んだ雨が歩くたびに微かな水音を立て、その感触がとてつもなく不快だった。

鍵を探して立ち止まったところで、ふと空を見上げる。すでに空からは大粒の雨が降り出し、視界が雨のせいでぼんやりとしていた。


「雨水……か」





どうして、こうも季節ごとの言葉を思い出すのか。
胸が現実にはない精神的な痛みを訴えて、俺は顔をしかめる。

言葉は美しいと、こんなにも意味があるものだと言ったのは、誰だったのか。


屋根を、地面を叩く雨音はこんなにも大きく煩いというのに、乱されることなく甦る、幼き日に別れた愛しい人。



未だそれに縛られ動けないでいる自分。



「いっそ、この雨ごと記憶も流してくれたなら、悲しくなんてなかっただろうに」



その悲しみを嘆いてみても、今はもう、涙も流れなくなった。




END

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サイトを始めたきっかけとなる小説の続きものです。
季節の言葉シリーズとでもいいましょうか。日本語は美しい言葉がたくさんあるということが伝えたくて書きはじめたものなんですが…欠片でも伝われば幸いです^^
ちなみにそのきっかけのものはデータが吹っ飛んでしまったので、新しく書く予定です。

※雨水[うすい]……空から降る雪が、雨に変わる季節のこと。2月終わり頃を指しています。


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