03
男の人に腕を引かれて連れて来られた先はたくさんの馬達が飼育されている馬小屋だった。
「ここなら誰も来ないだろう…」
「あ、あの…!えっと…!」
「ん?」
未だに男の人に掴まれたままの腕に動揺しながら彼に視線を向けると男の人は私の意図を読み取ったのか顔を赤らめ、「ご、ごめん!」と言って慌てて私の腕を放した。先程まで彼の大きな手で掴まれていた部分がやけに熱く感じた。
「あの、君はどうやってここに…?」
「っ…!」
「とても外部から侵入して来たようには思えなかった…突然現れたと言った方がしっくりくるような…」
困惑した表情で私を見つめる彼に私はビクリと身体を震わせ、ぎゅうっと自分の腕を掴んだ。私の頭の中は不安で埋めつくされていた。
「あの…」
「……」
「っ…わ、たし…」
本当のことを話したところで信じてもらえないのでは…?そんな考えばかりが私の頭の中を支配し、上手く言葉に出来ず、私は口を開いては閉じてを繰り返した。
この先、私はどうなるのだろう…?誰にも信じてもらえず、知らない土地で一人、死んでいくのだろうか…?
そう思った途端、恐怖心が私の中で膨れ上がり、瞳にじわりと涙が浮かんだ。
「大丈夫だよ」
「っ!」
「僕は君を信じるよ…だから、ありのままを話して?」
低く、落ち着いた彼の声に私は再びビクリと肩を震わした。俯いていた顔をそろりと上げ、身長の高い彼を見上げると男の人はふわりと優しい笑みを浮かべる。その優しい表情に目の奥が熱くなり、我慢し切れなかった涙が零れ落ちた。
「うっ…ッ…ごめ、なさ…」
「泣かないで…」
ポロポロと零れ落ちる涙をごしごしと腕で拭っていると男の人にやんわりと腕を掴まれる。そのまま男の人はそっと私を引き寄せると彼の逞しい胸板に私の顔を押し付けた。彼から伝わってくるぬくもりに私は瞳を閉じ、震える手で縋るように彼の服を握り締めた。
「僕の名前はベルトルト・フーバー。今年で16歳になる」
「えっ!?」
漸く落ち着きを取り戻した頃。二人で木箱に並んで腰掛けると隣に座る彼が唐突に話し出した。外人さんの様な名前ももちろんそうだが彼の年齢に私は驚きを隠せなかった。
え、同い年…!?年上かと思ってた…!
「どうかした?」
「あ、いや…!同い年、なんだなって思って…」
「えっ!?」
私がぽかんとして隣にいる彼を見ているとフーバーくんは首を傾げて「どうしたの?」と問い掛けてくる。私が素直に思ったことを口にすると今度はフーバーくんが驚きの声を上げた。「年下かと思ってた…」と呟く彼に何だかおかしくなって、私達は顔を見合わせて小さく笑い合った。
「あ、私、名前っていうの。あのね、フーバーくんに聞きたいことがあるんだけど…」
「ベルトルトでいいよ?同い年なんだし…」
「う、うん!ありがとう。あのね、ここはどういうところなの…?」
「ここはウォール・ローゼ南方に位置する訓練所だよ」
「うぉ…?うぉーる?訓練所…?」
ふにゃりと笑うベルトルトくんに恐る恐る問い掛けると彼の口から知らない単語が次々に出て来る。まさかとは思っていたが本当に自分が生まれ育った世界とは別の世界へ来てしまったのだと改めて実感させられ、私は再び涙目になった。
「名前、君は一体何処から来たの…?壁の外の人間ってわけではなさそうだし…」
「壁…?」
困惑した表情を見せるベルトルトくんが再び私の知らない言葉を口にする。頭に疑問符を浮かべる私をベルトルトくんは何処か緊張した面持ちで見つめていた。
「名前は、その…巨人を、知ってる…?」
「巨人…?大きい人のこと?それとも野球チーム?」
視線を彷徨わせ、言い辛そうに呟くとベルトルトくんは私の反応を窺うようにこちらをじっと見つめる。きょとんとして私の知っている限りのことを話すと彼は目を見開き、心底驚いた表情で私を凝視した。
「ベルトルトくん…?」
「いや…うん…やっぱり名前は別の世界から来たと考えた方が良さそうだね…」
「?」
何も言わなくなってしまったベルトルトくんに不安に思って彼の名前を呼ぶとベルトルトくんは何かを確信したようにそうポツリと零した。ぐっと握られた拳に視線を落とすベルトルトくんの横顔は何処かホッとしているようにも見えた。
「…この世界には巨人というものが存在する。そいつらは姿形は僕達に似ているが、身体が大きくて…人間を、食べるんだ…」
「え…?」
ポツリと小さな声で話し出したベルトルトくんの言葉に私は目を見開いた。人が人を食べるという驚愕の事実に私は身体を震わし、言葉を失った。
「今から100年前、僕達の先祖が安全な領域を確保するために巨人には越えられない大きな壁を作ったんだ…そしてここはその壁の中…僕達は兵士を目指し、巨人と戦う術を得るための訓練を受けているんだ」
「そう、だったんだ…」
「ごめん、怖い思いをさせてしまったね…でも大丈夫。ここに巨人が来ることはないから…」
カタカタと小さく震える身体を押さえつけるように自分の腕で身体を抱きしめているとベルトルトくんが申し訳なさそうな表情を浮かべて私の頭を撫でる。私がふるふると首を横に振ると彼は優しく微笑み、「大丈夫だよ」とそう呟いた。
「そういえば、名前はどうやってここへ来たの…?」
「それが、この鏡を見てたら突然光り出して…」
「鏡…?」
ふとベルトルトくんが私がここへ来た経緯を訊ねてきたので私は首から下げていたコンパクトを彼に見せた。そこで私はハッとなり、勢いよくその場に立ち上がってコンパクト強く握り締めた。
「もしかしたら同じことをしたら帰れるかもしれない…!」
「え…?」
「確かあの時は月が鏡に映った時に光ったんだ!だから同じように鏡に月を映せば…!」
「あ、名前…!」
パッと顔を輝かせ、隣できょとんとして私を見上げているベルトルトくんにそう説明をした後、私は駆け足で扉へと向かった。
「え…雨…!?」
勢いよく扉を開けると先程までの天気が嘘のように外は雨が降っていた。当然目的である月は厚い雲に覆われて姿を隠している。
「そ、そんな〜!」
「名前…!」
帰れると、そう思っていたのに…淡い期待を打ち砕く目の前の現状に私は落胆の色を隠せず、へなへなとその場に座り込んだ。するとベルトルトくんが慌ててこちらに駆け寄って来る。
「ううっ…」
「名前…今は雨が止むのを待とう。止まない雨はないよ…」
「っ…う、ん…」
じわっと瞳に涙が浮かび、顔を俯かせているとベルトルトくんがそっと私の頭を撫でる。こくりと私が小さく頷くと彼はふっと優しい笑みを浮かべた。
「帰る時が来るまでここにいるといいよ。そうだ、お腹空いてない?もうすぐ夕飯の時間なんだ」
「でも…」
落ち込む私を宥めるようによしよしと頭を撫でるベルトルトくんに視線を向けた時、私のお腹がぎゅるるると盛大に音を立てた。あまりの恥ずかしさに顔を真っ赤に染めたまま固まっていると同じく固まっていたベルトルトくんが突如噴き出してけらけらと笑い始めた。
「っ〜!」
「ご、ごめ…!ふ、はは…!」
口元に手を当て、肩を震わして笑うベルトルトくんをキッと睨むと彼は謝りながらも笑いが収まらずにいる。一頻り笑った後、ベルトルトくんはそっと私の手を引いて立ち上がらせると再び私を木箱の上に座らせ、「ちょっと待っててね?」と言って馬小屋をあとにした。
*
木箱の上で膝を抱えて小さくなり、ぼんやりとしながらベルトルトくんの帰りを待っていると彼はパンとコップ、それと毛布を抱えて戻って来た。
「良かったらこれ食べて?」
「ありがとう…!」
「その、食糧難でこれくらいしかないんだけど…」
私の目の前にしゃがみ込んだベルトルトくんからパンとコップを受け取ると彼は申し訳なさそうにポツリと零す。私は彼の言葉を聞き、ピタッと動きを止めた。
「ベルトルトくんは食べたの…?」
「え?ああ、うん…スープ食べてきたけど…?」
「スープの方が良かったかな?」と焦った表情を浮かべる彼に私はふるふると首を横に振り、手に持っていたパンを千切り、彼に半分差し出した。
「半分こしよう?スープだけじゃお腹空いちゃうよ?」
「え?いや、でも名前もお腹空いてるでしょ?さっきもお腹鳴って」
「そこは忘れて!!」
オロオロしながら私とパンを交互に見つめ、困った表情を浮かべるベルトルトくんの言葉に顔が熱くなり、慌てて遮ると彼はすぐに口を噤んだ。
「ベルトルトくんも一緒に食べよう?そうだ!私、お菓子持ってるんだ!」
「お菓子…?」
きょとんとして私を見つめるベルトルトくんにパンを持ってもらい、コップを木箱の上に置いた私はショッピングモールで買った袋の中から可愛く包装された箱を取り出した。丁寧にラッピングを開くと中には一つずつ袋に包まれているチョコレートが姿を見せた。
「はい、あげる!」
「いいの…?」
「うん!」
私の手のひらにちょこんと乗っている包みを見てベルトルトくんはキラキラと瞳を輝かす。彼に「どうぞ」と言って差し出すとベルトルトくんの瞳がより一層輝いた。
「一緒に食べよう?ベルトルトくんが一緒に食べてくれた方が私も嬉しいよ」
目の前にいるベルトルトくんにふにゃりと笑みを零すと彼は目を見開いた。ポンポンと私の隣を叩いて彼に座るように促すとベルトルトくんはふわりと笑みを浮かべて私の隣に腰掛けた。
「チョコレートって美味しいね」
「でしょー?」
二人で手を合わせて「いただきます」と呟いた私達はパンとチョコレートを口に運んだ。もぐもぐと口を動かしてチョコレートの甘さに感動したようにポツリと零すベルトルトくんは何だか小さな子供のようで、私は彼の可愛らしさにくすくすと笑みを零した。
「名前」
「ん?」
「名前が帰るまで僕が名前のことを護るよ」
「っ…!」
ふと真剣な表情を見せるベルトルトくんに私も動きを止めて彼に顔を向けるとベルトルトくんの綺麗な瞳と視線が交わる。途端心臓がドキリと大きな音を立てて高鳴った。
「必ず僕が元の世界に帰る方法を見つけ出すから…それまでここにいるといいよ」
「ベルトルトくん…」
「僕じゃ頼りないかもしれないけど…」
真剣な表情から一変、ベルトルトくんは後頭部に手を当て、眉をハの字にさせる。困った顔で笑う彼に私はふるふると首を横に振った。
「そんなことないよ!ベルトルトくんが一緒にいてくれるとすごく心強いもん!」
「っ…!」
握り拳を作り、彼に詰め寄るとベルトルトくんは驚いた表情で私を見つめる。「ありがとう」と私がお礼の言葉を口にするとベルトルトくんは優しい表情で微笑んだ。
この世界に来て
一番最初に知り合った彼は
とても優しく…温かい人だった─
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一番最初に知り合った彼は
とても優しく…温かい人だった─