戸を開ける前に、深く息を吸った。
【聖域】
家に入ると、慣れ親しんだ家の香りが心なしかいつもより強く感じられた。
台所に晶馬がいた。
「ただいま」
「おかえり」
「陽毬は?」
「もー寝たよ」
やれやれ、とでもいうように嘆息してみせた晶馬はふと瞬く。
「冠葉…なんか変な匂いがする」
そう言って晶馬は鼻先を冠葉の首筋に近づけると、眉根を顰めた。
「やっぱり。煙草と、男物のコロン…?」
まさか吸ってないよね?という疑いの目をむけてくる晶目の鼻を指先でつまむ。
「バーカ。喫煙席しか空いてなかったんだよ」
コロンについては、晶馬はそれ以上突っ込んでくることはなかった。
台所を通り抜け、上着をぬいで茶の間に座ろうとした瞬間冠葉は体に違和感を覚えた。
何かがべたりと這うような、ぬらりと肌をなめるような。
違和感は先ほどの情事を思い出させた。
目に痛い照明、歪む視界、くゆる紫煙と痛み。
意識的にそれらを追いやろうとした時、どこかで誰かが笑ったような気がした。
陽毬や晶馬といると、時折自分の汚い部分をすべて曝け出したい衝動に襲われる。
汚れた自分をひとつひとつ丁寧に並べたてて、見せてしまいたくなる。
(男に抱かれたと知ったら、晶馬は一体どんな顔をするのだろう)
この後ろ昏い悦びはなんなのだろう
この薄汚い優越感は、一体
まとわりつくコロンと煙草の匂いが一際増したように感じて、冠葉は一瞬目を眇めた。
「晶馬、」
「なに?」
「明日の朝、だし巻き卵食いたい」
匂いを振り払うように立ち上がった冠葉は、風呂場に向かうと何かを断ち切るように扉を閉めた。