恋華火〜太陽の花〜 | ナノ



「リクオ君はどうする?」
「え?」
 唐突にそう聞かれ、リクオは眼鏡の奥の双眸を瞬かせた。
 心、此処に在らず。
 リクオは朝からそんな状態だった。
 学校なんて早く終われ、思う事は唯それだけ。
 なんせ明日から夏休みと云うのもあるが、何より今日は一ヶ月も前から待ちに待ち続けた約束の日だ。
「今日の花火大会。一緒に行けるよね?」
 そう、今夜は浮世絵町の花火大会。
「…って、え!?いや、ごめん、ボク用事が…」
「え、奴良君は来れないのかい?」
 カナや清継の存在に漸くここが放課後の教室だと理解したリクオは、話題の中心も一瞬で理解する。
 そして、嫌な予感しかしない自分の直感を否定するべく行動に出た。
「ずっと前から約束してたんだ。だから今日は行けない、ごめん!」
 そう言い切り、鞄を掴み、教室を飛び出す。
 僅かの間にこれをやって見せたリクオをカナ達は呆然と見送った。










「はぁ、危なかった…」
 勢いで走り続けたリクオが一息付いたのは、家の近くの公園だった。
 ブランコに滑り台にジャングルジム、それぐらいしか無い小さな公園だが、リクオにとっては思い出の多い場所だ。
 何よりも、鴆と初めて出逢った場所だ。
 実際はリクオが産まれたばかりの時に会っている。
 若菜曰わく、リクオったら鴆君の事離さなくて大変だったのよ、らしいのでこの独占欲と云う執着は筋金入りだなとリクオはすんなりと納得した。
 だが、生憎とそんな記憶が残っている訳が無い。
 だから、リクオが初めて鴆と出逢ったのは五歳の時だ。
 何時もの様に悪戯を仕掛けて、見事に引っ掛かってくれた氷麗達から逃げている時だった。
「あれ?じいちゃんと牛鬼…」
 リクオの目に留まったのは大好きな祖父と言葉は少ないが不器用な優しさをくれる男。
 何をしてるんだろう、と目を凝らしたリクオは、漸くそこに居るのが二人だけじゃ無い事に気付いた。
 牛鬼の背後にあるジャングルジムの下で牛頭丸と馬頭丸が上に向かって何か叫んでいる。
「おい、いい加減降りてこい」
「ほらもう、危ないからー」
 自然と、リクオの視線も上に向かう。
 そして、目を奪われた。
 ジャングルジムの頂上に座る彼の人に。
 風に靡く緑青色の羽織には見た事の無い羽根模様。
 細く真白過ぎる首筋を隠す様に伸ばされた青磁色の髪が柔らかく揺れ。
 薄紅に色付いた口唇は緩やかな弧を描いている。
 下にいる牛頭馬頭に、二人も上がって来いよ、なんて笑顔を見せていた彼の視線が不意に動いた。
 バチリと正にそんな音がしたとリクオは思う。
 呆然と立ち尽くすリクオを捉えた彼の銀朱が一つ大きくくるりと揺れて、瞬、表情を一切消した。
 視線を逸らす事無くリクオを真直ぐに射抜いた銀朱の双眸。
 ぞくり。
 その瞬間、全身を駆け抜けた衝撃に身体中が粟立った。
 恐怖では無い。
 苛立ちでも無い。
 これは、歓喜。


 奪われた。


 身体の奥底が震えている。


 囚われた。


 身体の奥底が奮えている。


 あれが欲しい。





 あ れ は オ レ の も の だ 。





 灼熱の血が、身体中を振るわせた。










「初恋、なんだよなぁ…」
 あの日の鴆と同じ様にジャングルジムの頂上に座ったリクオが空を見上げて独りごちる。
「リクオ?」
「え!?うわ、わ、ああああっ!!」
 突然掛けられたその声に自分の座っている場所すら忘れて立ち上がったリクオ。
 絶対に聞き間違える事は無いと自負出来る程、その声に焦がれているのだ。
 何よりもまず近付きたいと反応した身体は、当然、足を踏み外す。
「リクオッ!?」
 ガダダダッ、と普通は有り得ないような音を立てながら重力に逆らえない身体は地面に落ちた。
「リクオ!おい、大丈夫か!?」
 慌てたのは声を掛けた張本人だ。
 普段からそんなに良くない顔色を更に青くしてリクオに駆け寄れば。
「鴆くん!走ったりしちゃダメでしょ!!」
 ガバリと身体を起こしたリクオが発した第一声。
「え、あぁ、悪い、つい…でもオレよりもリクオの方が、」
「ボクは大丈夫!ほら、丈夫なのが取り柄だからね!」
 鴆の言葉を遮ったリクオが笑ってみせる。
 正直、身体中のあちこちが痛くて余り大丈夫では無いのだが、我慢出来ない程では無い。
 それよりも、リクオからしてみれば鴆の方が危ういのだ。
 何が切欠になるか分からない発作だからこそ、少しでもリスクは無い方が良い。
「………はあ。リクオ、オレの仕事がなんだか分かるか?」
「え、勿論。鴆くんは奴良組お抱えの薬師で薬鴆堂のお医者さん」
「そう、オレは医者だ。医者の前で嘘なんか吐くな」
 ペシン、とリクオの右腕に出来た擦り傷を敢えて叩く。
「イ、ッターーーーッ!!!ちょ、ひどいよ鴆くん!」
「自業自得だ、バカモノ。ほら、さっさと帰って手当てするぞ」
 辛辣な言葉とは裏腹に笑顔で差し出される手。
「鴆くんがしてくれるの?」
 その手を嬉しく思う反面、これだから困る、とリクオは内心で舌を打つ。
 リクオの想い人は思わせぶりが過ぎるのだ。
 その優しさはまるで飴と鞭ではないか。
 一度触れると深みに嵌って抜け出せなくなる。
 無意識にこんな事を誰にでもしているのかと思うだけで、どうしようも無く胸が軋む。
「なんだ、他の奴がいいのか?」
 平然とそんな事を言う鴆に苛立ちすら覚えてしまう。
「鴆くんがいい!鴆くん以外に看て欲しくなんかない!」
 鴆だけに見ていて欲しい。
「良かった」
 え?と顔を上げたリクオの視界一杯に飛び込んできたそれ。
「嫌だなんて言いやがったらぶん殴ってたとこだ」
 ニイと満足気に笑みを浮かべる鴆の姿。
「それって…」
 鴆も、リクオと同じなのだ。
「さ、早く帰るぞ!」
 リクオに差し出していた手を引いた鴆が立ち上がる。
「皆に黙って出て来ちまったからな。騒ぎになる前に帰らねえと」
 口早にそう言い踵を返した鴆の頬が赤いのは夕日のせいだけでは無さそうだ。
 勿論、リクオがそれを見逃すはずも無く。
 嬉しさにニヤけていく顔を止められるはずも無い。
「鴆くん!」
 その名を呼べば、必ず立ち止まり振り向いてくれる。
 まだ少し赤い頬で、それでも鴆はリクオを待っている。
 そんな鴆が可愛くて堪らない。
 さぞ締まりの無い顔をしているだろうが、そんな事どうでも良い。
「鴆くん」
 夕日を背にリクオを待つ鴆に向かい駆け出した。
 追い付くと同時にリクオは笑顔でその手を取る。
 先程、繋ぎ損ねた指と指。
「ちゃんとボクを看てよ?」
 真夏だと云うのにひんやりとしたその指先を確と握り締め笑顔を向ける。
「ボク、鴆くんにしか治せない病気なんだから」
 首を傾げたままリクオを見つめる銀朱の双眸が一息置いて見開かれた。
「え、と、その、なんだ…」
 硝子玉の様にくるくると揺れ動くそれにリクオの笑みは深まるばかり。
「鴆くん、大好きだよ」
 リクオの言葉に今度こそ耳まで赤くした鴆。
 それでも、繋いだ手から伝わる温もりは消える事無く。
 むしろ絡んだ指先が離れたく無いと力を強めた。





 二人で歩く帰り道。

 伸びた影が後ろで寄り添う。

 橙の空に見つけた一番星。

 もうすぐ夜が深くなる。

 ざわりと身体が浮かれだす。










20100821.深結
「恋華火〜太陽の花〜」








- ナノ -