隠れ鬼 | ナノ



 人里離れた山間にひっそりと、だが立派な門構えを携えた古風な屋敷がある。
 椿垣根の向こうに見えるは藤の棚に紅葉の木、更に奥では百合の蕾が揺れている。
 四季折々に彩られた情景が簡単に目に浮かぶ。
 正に悠久の美を閉じ込めた箱庭の様な屋敷の看板に掛かる文字は薬鴆堂。
 そう、此処は鴆が率いる薬師一派のお膝元。





「鴆様ー!」
 薬鴆堂に今日も今日とて心配性な番頭蛙の声がこだまする。
「本当に御一人で行かれる気ですか?トサカ丸殿に戻ってきて…否、やはりわたしめが御一緒に…」
 玄関先で右往左往する番頭蛙を苦笑しながら眺めていた鴆だが、このままでは埒が開かないと声を掛ける。
「おいおい。ちょっと裏山まで行くだけだ。トサカ丸が帰ったのだって随分前だぞ。お前は心配が過ぎんだよ」
「ですが、」
「あぁ、夕餉までには帰ってくるから留守頼むな」
 にこりと笑顔を浮かべ己の肩を叩く鴆に頼まれたとあれば答えは一つだ。
「勿論です!薬鴆堂はわたしめがしっかりと…って、鴆様!?」
 どん、と胸を張った番頭蛙が次に見たものは。
「じゃあ行ってくる!」
 椿垣根の向こう側。
「ぜーんーさーまーっ!!」
 満足気に手を振る鴆の翻した羽織だけだった。





 あれから既に数刻。
 夕餉の時間を当に過ぎた薬鴆堂では、番頭蛙が緑の顔を真青に変え屋敷内を走り回っていた。
 否、番頭蛙だけでは無い。
 普段は薬の調合に掛かりっきりの面子まで、言ってしまえば薬師一門総出だ。
「何の騒ぎ?」
「騒ぎどころじゃありません!一大事ですよ!鴆様が、」
「鴆くんがどうしたの」
 その声に、周りの空気が凍り付いた、様な気がした。
「リ、リリリリクオ様っ!?」
 嫌な予感しかしない番頭蛙が顔を上げた先。
 予想通り、鴆の義兄弟であり懸念して止まない相手、奴良組三代目の姿。
「鴆くんが、どうしたのかな」
 再度、同じ言葉を繰り返すリクオの細められた焦茶の瞳が寒々と光り、番頭蛙を見下ろしていた。
「いえ、その…」
「蛙。ボク、意外と気が短かいんだ」
 目を離すと直ぐ何処かに飛んでいってしまう毒鳥に関しては…と。
 言葉少なくも、雄弁に語るその視線が突き刺されば、番頭蛙はあっさりと白旗を揚げた。
「鴆様が裏山から、多分結結木の所だと思うんですが、まだ戻って来られないのです。なので今から捜索隊をと思っておりました…が、リクオ様がいらしてくれたのなら話は早い」
 否、むしろ白旗では無くのぼり旗だ。
「ご存じだとは思いますが、裏山はそこまで広くありませんので、鴆様をどうか宜しくお願いします」
 御大将自ら行けと背中を押しているのだ。
「…お前、なかなか食えない奴だね」
「鴆様が無事なら煮るなり焼くなりお好きにされて構いませんよ。只、蛙なんぞ食べて腹を下したとあっては鴆様がどう思われますか…」
「ああもう分かったから一々鴆くんを引き合いに出さないでよ。どのみち彼を見つけるのはボクの仕事だ」
 昔から、と何処か誇らしげな声音で笑み、リクオはその腕に抱えていた包みを番頭蛙に渡す。
「これ、帰って来たら鴆くんと食べるから。準備しててくれる?」
「はあ…」
 ずしりと重みのある包みを抱え、番頭蛙がリクオを見上げた。
 刹那。
「摘み食いなんてすんじゃあねえぞ」
 にいと口端を持ち上げて笑った紅玉が、ゆらり、と水面の揺らぎの様に姿を消した。











 時は少し遡り。
 そんな騒ぎを巻き起こした張本人である鴆はと云うと。
「おーい、結結木ー」
 番頭蛙の予想通り、けちけちもくを探して山の中を歩き回っていた。
「何時もならこの辺にいるんだがな…結結木やーい」
 自分のこだまを聞きながら、鴆はゆっくりと山の奥に足を踏み入れ、そして。
「おいおいおい…………何処だよ、此処」
 お約束に違わず立派な迷子となっていたのだ。
「ええと…」
 番頭蛙を筆頭に一門に叩き込まれた迷子の鉄則その一、迷ったと思ったら其処から動かない!を実践しながら、鴆は辺りを見回し深い溜息を吐く。
 木、木、木。
 見渡す限り緑で一杯だ。
 困った事に鳥一羽、動物一匹見当たらない。
「これじゃあニと三は無理か」
 ちなみに、そのニ、周りの目印を探す!その三、近くに居る鳥又は小妖怪(又は奴良組傘下の妖怪)を探す!である。
「さて、どうしたもんかね」
 鬱蒼と茂った木々のせいで空の色もあやふやだ。
 時間的には黄昏刻…否、疾うに宵の口を過ぎた頃かもしれない。
 陽の届かない薄暗い森の中。
 それでも、それ程困っていない声音は、此処が自分が良く知る裏山でさほど広くない事が要因だろう。
 鴆はこの辺りで最も大きな木のうろに座りこれからの事を考える。
 暫くすれば番頭蛙が探しに来るだろう。
 申し訳無いとは思うが、その後に待つ説教の事を考えたら釣りが来るはずだ。
 だからそれまで、大人しく此処でじっと待っていればいい。
 まるで隠れ鬼だ。
 そう、じぃっと。
 息を潜めて、気配を消して。
「って、それじゃあ見つけてもらえねえか…」
 己の考えに失笑するも、どこか懐かし気に鴆の銀朱が細まる。

 "ボクが見つけるから"

 まだ幼い頃、同様に幼いリクオと何も考えず遊んでいられた頃。
 遊ぶと云っても人間の玩具なんて物は無く精々百鬼花札が関の山。
 後は庭に咲いた草花講座、下僕に仕掛ける些細な悪戯。
 思えば、あの頃からリクオは鴆の身体を人一倍気にしていた。
 子供なら当たり前であろう行為を、リクオは決して鴆を走らせる様な事をさせなかった。
 そして、一番遊んだのが二人きりの隠れ鬼。
 鬼は何時だってリクオだった。
「鴆くん、見ーつけた!」
「あーまたかよ…それより、リクオ、いい加減オレにも鬼させろよ」
「んー…もしボクが鴆くんを見つけられなかったら、その時は代わってあげるよ」
 結局、鴆が鬼をする機会は訪れる事はなかったのだが。

 色鮮やかに残る記憶に鴆の口許が緩む。
 この記憶は鴆の総てだ。
 嬉しい事、悲しい事、全てが鴆を形成する礎になっている。
 そして、この記憶があるからこそ、鴆は"鴆"としての定めを全う出来ると信じている。
 この記憶を伴に、逝ける自分は幸せだと。
 これは自嘲では無い。
 心からの、鴆の救いだ。



「見つけたぞ、この馬鹿鳥」



 不意に、座る鴆に影を落としたのは、今、此処に在るはずの無い存在。
 直ぐに理解出来ずに、鴆は呆然と影の主を見上げた。
 艶やかな漆黒と綺羅やかな白銀に彩られた髪を背中で揺らし、薄く形の良い口唇を弧月に曲げ、煌々と輝く対の紅玉で鴆を見つめているのは。
「リ、クオ」
 鴆が認めた、唯一の主。
「応よ」
 にい、と笑んだリクオの顔はあの頃と変わらない子供の様で、それでも確かに見せる男としての片鱗を知っている。
「リクオ」
 その髪が意外と固く指先を擽る事も、その口唇が柔らかく呼吸を奪う事も、その紅玉が残酷に尖る事も、かと思えば、多分な色を絡めて嬉しそうに細まる事も。
 鴆は、知っている。
「ほら、かくれんぼは終わりだぜ」
 鴆に差し出される、手。
 この手を取ると、信じて疑わない真直ぐな眼差し。
 この手を、この瞳を、この男を、鴆は誰よりも知っている。
「また、見つかっちまったな」
 にやりと笑んだ鴆がリクオの手に手を重ねた。
 と、同時。
 ぐい、と身体ごと引き寄せられ、気付く間もなく鴆はリクオに抱き締められていた。
「見つけるさ」
 頬を寄せたまま、リクオは続ける。
「お前だけは逃がさねえ」
 耳元を擽る甘い吐息に心臓がどくりと脈打つが、鴆はリクオにされるがまま、その身を預けた。
「…ったく。我儘な大将だな」
「今更だろう」
「嗚呼、今更だ」
 くく、と喉奥を震わせて笑い合う二人を包む漆黒が緩やかに深まっていく。





「そういやあ、結結木はどうした?トサカ丸と一緒に頑張ったらしいじゃねえか。何貰ったんだ?」
「そうなんだよ!この辺にゃなかなか生えない薬草を貰ったんだ。全く驚かされたぜ」
 リクオに問われた途端、鴆の顔が嬉しそうに気色ばんだ。
「良かったじゃねえか」
 予想していたらしいリクオは苦笑しながら次を促す。
「ああ。それで礼を言いに来たんだが、アイツ何処行ったんだかなあ」
「…師弟揃って迷子かよ。まあいい、さっさと見つけて帰るぞ」
「あ?」
「弟子、息子ときたら次は旦那の番だろうが。たっぷりと祝ってやるからよ」
 その言葉通り、直ぐにけちけちもく(薬草探しで疲れていたのか、山頂近くで眠っていた)を見つけ出したリクオからの祝福は揃いに揃えた鴆の好きな酒と肴。
 そして、リクオだけが与えられる濃密で至福な時間。
 決して忘れられ無い、鴆の根底に深く刻み込まれる、新たな記憶。
 一秒でも、逃さずに。
 そう思う鴆の意志とは裏腹に遠くなる意識の片隅でリクオの声が静かに響く。
「相変わらず、目離すとすぅぐ何処かに飛んでっちまうんだな、お前は」
 重くなっていく目蓋を何度も瞬かせる鴆にリクオは口端を緩め、その青磁色の髪に指を伸ばした。
「まあ、何処に行こうが構やしねえよ」
 くしゃりと手のひらを擽る感触を楽しんだリクオは、次いで指先を下へと滑らせる。
 髪から、頬に。
 少しだけ色付いた頬に触れる温もりが。
 頬から、口唇に。
 薄らと開いた口唇をなぞる温もりが。
 鴆を更なる眠りの淵へと連れて行く。
「お前が何処に逝こうと、」
 そして、眠りに落ちる瞬。
 夢現の世界の狭間で、温もりに包まれた鴆に降り注ぐ艶やかな声を。





「オレが見つけてやるよ」





 鴆は、確かに聴いていた。















『鴆くん、見ーつけた!』
『あーまたかよ…それより、リクオ、いい加減オレにも鬼させろよ』
『んー…もしボクが鴆くんを見つけられなかったら、その時は代わってあげるよ』
『本当だな』
『うん。でも、無理だと思うな』
『あ?』
『だってボク分かるんだ!』
『何がだよ?』
『鴆くんのいる場所!なんとなくだけどここかなって、鴆くんは皆と空気が違うんだ』
『空気?…って、それズルじゃねえか!』
『アハハハ。鴆くんが迷子になったらボクが見つけてあげるからね』
『そりゃどうも』
『絶対に見つけるからね!』


 だからずっと隠れていてよ。

 誰にも見つからないように。

 だって、君は。



 鬼(ボク)が隠した宝物。










20110812.深結
「隠れ鬼」


もういいかい?
もうこれが最後だよ。
だって散々待ったんだ。
隠した君を見つけたら。
今度は結して離さない。
ねえ、もういいよね?





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