恋結び・一重 | ナノ



 静、

 と鎮まる其処に響くは僅かな音色。

 斜、

 と紙を撫でる墨筆の一本一本が重なり擦れ痕を残し。

 焦、

 と弾ける行燈油の馨しい香に誘われた愚かな羽虫がまた一つ。

 没、

 と燃え塵り空気に消える。










 柳田は其れを静かに見つめていた。
 切長の双眸に、整った薄い口唇に、ゆるりと弧月を浮かべて。
 柳田から聴いた"話"を描く鏡斎を。
 其の筆が奏でる音が已めるまで、

 慈、

 と静かに見つめていた。





「相変わらず、巧いもんだね」
 描いたばかりの作品に視線を注いでいた鏡斎は、一度のろりと気怠げに瞬きし声の主である柳田に向き直り、
「………………居たんだ」
 表情を変える事無く大きな溜息を零した。
「勿論居るよ。ボクが居たら迷惑かい?」
 そんな鏡斎の連れなさは何時もの事と気にする素振りも見せず、柳田はにこりと笑んでみせる。
「あ〜〜〜〜、迷惑だナ」
 そんな笑みに興味は無いのだとばかり、鏡斎は柳田から視線を外し目の前の和紙を見つめる。
 其処に先程描いた"話"はもう無く、真白な和紙が一枚。
 また新たな"話"を描いて欲しいと主張している。
「フフ。非道いな。ボクはこんなに鏡斎を好いているのに」

 鈴、

 と柳田の耳飾りが音を転がすと同時、背中に感じる温もりに鏡斎は再度深く溜息を吐いた。
「…………柳田サンは〜〜〜〜、邪魔ばかり、するからサア」
「心外だね。ボクが何時邪魔をしたの哉?」
 回された柳田の両腕に身体を囲われ閉じ込められた鏡斎はかたりと硯に筆を置きじろりと視線を後ろに流す。
「今、正に」
「でも、嫌いじゃないでしょう?」
 くつり、と喉奥を震わせて柳田は笑う。
 腕の中の温もりをより強く抱き締めて。
「鏡斎は、ボクにこうされるの、嫌いじゃないでしょう」
「嫌い………………じゃ、ナイかも、しれないねえ」
 ほんの少し、力の抜けた身体が柳田に身を預ける。
「ほら…」
「でも、邪魔されて迷惑なのは事実デスから」
 有らぬ場所へと伸びようとする腕をぺちりと叩き、鏡斎は本日何度目か分からない溜息を洩らした。
「こっから先は、次の"話"を聴いてカラ」
 "話"一つで一夜の刻を。
 それが、己を欲した柳田に鏡斎が出した条件。
 得意の話術で避わされるかと思ったその案は予想外に守られている。
 若干の不信感は有るものの、"話"を聴く代償として奪われるはずの苦痛は最上の快楽と成り代わった。
 描く事にしか興味の無い鏡斎が、筆を置くぐらいには柳田は優遇されているのだ。
「はいはい」
 僅かに口を尖らせて苦笑するも、柳田は鏡斎を離さない。
「ねえ、このままで話していい哉?」
「…………今日は、どんな"話"?」
 返事は無いが、腕の中で大人しくしている鏡斎自身が肯定の意を示している。
 そんな鏡斎を益々の力で抱き締めて、柳田は口端を緩めた。

「とびきり甘い恋の話」

 素直になれない鏡斎の精一杯の愛情表現。
 其れを違わず受け止めて、倍以上の其れを与えて。
 甘露な密夜に語るに相応しい、此は正にそんな。



 恋を結ぶ物語。










20110328.深結
「恋結び・一重」








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