この手が掴むその先に | ナノ
嗚呼、間違いない。
「よお」
これは、夢、だ。
目の前で一升瓶片手に酒を煽るボク―1/4のボク―は、にいと口端を上げて笑みを作った。
ったく、なんで呑気に挨拶なんかしてくるんだろう。
それにあまり飲まないでほしいんだよな…朝から酒の匂いさせてる中学生とか最悪だから。
「今、冬休みだろ。それに正月ぐらい羽目外したって構やしねえよ、優等生」
度が過ぎるって言ってるんだよ。
「そうか?まあ、美味い酒はついなぁ」
言った側から杯傾ける様な奴に言われてもね。
「くく…お前も呑める様になりゃあ分かるさ」
別にそんなに分かりたいものでもないよ。
でも、
「アイツは喜ぶだろうがな」
…分かってるよ、そんなこと。
「分かる?『人間』のお前がか?笑わせんな」
ボクだってそれぐらい分かるよ!
「いいや。お前はアイツを傷付けるだけだろ」
なっ!?
ボクはそんなこと、
「しない」
ずいと目前に突き付けられた杯。
「なんてどの口で言うつもりだ」
なみなみと注がれた酒に映るのは『妖怪』のボク。
「オレは、忘れてねえ」
獣の様に獰猛な眼差しは、射抜く総てを殺してしまいそうな鋭さを秘めていた。
そして、それが真直ぐに見据えているのは、ボク。
「お前の仕出かした過ちを、オレは絶対に赦さねえ」
…分かってる、分かってるさ!!
あの時、ボクがどれだけ彼を傷付けたかなんて、ボクが一番分かってるんだ!!
ボクが弱いばっかりに、ボクはやってはいけない事をした。
ボクだって忘れてない!
今だってずっと後悔してるんだっ!!
「ハッ、所詮『人間』のお前はその程度だろうよ」
なに…。
「後悔ってのはな、諦めた奴が使う逃げ道だ。お前は今も逃げてんだよ」
ボクはもう逃げたりしない!
三代目を継ぐのはボクの意思だ!!!
「それはそれは。随分と殊勝なこった」
再び傾けた杯を飲み干して、続いた言葉にボクは鈍器で殴られた様な、そんな衝撃を受けた。
「オレはてっきり親父の仇に託つけてアイツの同情でも引きてえのかと思ったぜ」
っ……ふざけんな。
「ふざけてんのはテメエだろ?前に言ったはずだ。妖怪の事はオレに任せろと…なのになんで勝手にアイツを幹部から外した?要らなくなったらお払い箱か!?またアイツを捨てんのかっ!!」
違う!違う!!違うっ!!
彼はボクに従う存在じゃないんだ!
彼にはボクの隣を歩いて欲しいから!!
「だから?捨てて拾って、今度はアイツの羽根を手折るのか」
そうじゃないっ!!!
ボクは…唯、彼に傍に在て欲しいだけなんだ。
「ほう…」
かたり、と置かれた杯。
空になったはずの朱色に何時の間にか注がれた無色に浮かぶ『それ』が僅かに波紋を打った。
「アイツは死ぬぞ」
独りきりじゃあ逝かせない。
「組はどうする」
例え誰に泣かれ様と、恨まれ様と、彼の在なくなった世界に興味は無い。
決めたんだ。
この身魂総てを懸けて、彼と伴に生きるって。
「その覚悟は」
そんなの、疾の昔から。
「「アレの総てを、毒羽根一枚たりとも、もう二度と手離さない」」
杯に注がれたそれを煽る様に飲み干した。
喉を滑る熱い固まりを全て胃へと流し込んだ後に残った羽根一枚。
掴んだそれを見せつける。
ボクはもう揺るがない。
「忘れんな…アイツがお前を赦そうと、オレだけは絶対に赦さねえ」
分かってる。
だって君は…。
「ボク自身なんだから」
気付けば視界には見慣れた天井。
そして、何時だって求めて止まない愛しい人。
ボクの浅ましい想いを認めて受け留めてくれた、素晴らしい人。
ボクが起きた事に気付いてないのか、普段はなかなか見せてくれない穏やかな笑みを浮かべている。
指先に感じる温もり。
彼の、ボクよりも少しだけ低い体温が心地好い。
「…贅沢者だな、オレは」
聞こえた小さな囀りにボクは言葉では言い表せない喜びに震えた。
彼がボクを必要としてくれている。
繋いで絡めたこの指先が離れない様に力を籠めて、
「それはボクだと思うけど」
ボクの声に一瞬だけ目を見開いた彼が反射的に離そうとした手をしっかり握り締める。
「もう手に入らないと思ってた君を捕まえたうえ、君がこんなにもボクを想ってくれるなんて夢みたいだ」
もう容赦はしない。
その美しい羽根で残酷にも何処かへ飛んで逝ってしまわない様に。
ボクは君を雁字に搦める。
「バカモノ…この身体もこの魂も、疾うの昔からお前のもんだ」
君もそれを望んでくれた。
嗚呼、嗚呼、なんて幸せなんだろう。
腕の中で恍惚とボクを見つめる銀朱の双眸。
そこに映るは一人の獣。
君にすっかり囚われた、雄々しくも愚かな獣。
「是以上無い程に贅沢者だね、ボクは」
これからずっと。
君と、生きて逝く日まで。
この手は、結して、離さない。
20110209.深結
「この手が掴むその先に」
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