白蛇商魂 | ナノ



 待ちに待った放課後。
 退屈な授業を遣り過ごし、今日は清継の都合で清十字団の集まりも無い。
 後はもう帰るだけだ。
 逸る気持ちを抑えながらリクオはHRが終わるのを今か今かと待っていた。
「はい、じゃあ今日はここまで。また明日」
 そして、担任が終了の挨拶をしたとほぼ同時に教室を飛び出した。
 廊下をダッシュし、下駄箱で靴を履き替えるまでは順調だった。
 念のため、明鏡止水は使っていない…はずだ。
 だが、そんなリクオも校門の手前で思いがけない待ち伏せに遭う。

「若頭!」

 その声は校門の傍に控え目に停められた、否、実際は目立って仕様が無い黒塗りのベンツからだった。
 最近知り合ったこの浮世絵中学校の土地神、白蛇の曾孫にあたる凛子の声だ。
「っ!凛子、悪いけど、今日はどうしても早く帰らなきゃいけないんだ!」
 後部座席の窓から顔を見せているであろう少女に振り向く事なくリクオは足を進める。
「え、でも、いいんですかぁ?若頭のお目当ては…」
 そんなリクオの背中に向かって凛子は何処か勿体ぶった様に言葉尻を遊ばせて声を掛ける。
 そして、何よりも早くそれに反応したのは当然リクオだった。
 まさか、そんな、いやいやいや。
 リクオの脳内でそんな否定ばかりが繰り返される。
 それでも、もしかして、万が一。
 ギイイとまるで錆び付いた歯車の様にリクオの身体が反転する。
「…凛、子?」
 開いた窓からニコやかに笑う凛子がゆっくりと身体をずらしたその奥に捉えた姿。
 それは見間違えるはずも無い、リクオが求めて止まない姿。
 血の気の少ない真白な肌に短く切り揃えられた青磁の髪。
 只、何時もなら真直ぐにリクオを見つめてくる意志の強い銀朱の双眸は今はしっかりと閉じられている。

「鴆くんっ!?」

 その名を呼ぶや否や、リクオは得意の俊足を活かし車の側まで走り寄った。
「鴆くん!どうしたの?大丈夫!?凛子に何かされたのっ!?」
「ちょ、どういう意味ですか!鴆様は眠ってるだけですっ!!」
 全開の車窓を更に抉じ開けんばかりの勢いで鴆の姿を上から下まで確認しているリクオに、凛子は若干呆れ気味にそれでも何処か嬉し気に二人を見、
「とりあえず、お家までお送りしますね」
 ニコリ、と清々しいまでの笑顔でリクオを車内に招き入れる事に成功した。





 三人を乗せた車は順調に走り出す。
 当然の様に鴆の隣に座ったリクオに、向かい合う様に座り直した凛子。
 流石は高級車とでも云うべきか、体に感じる振動はほとんど無く鴆が起きる事も無さそうだ。
 そんな鴆はと云うと、これまた珍しい程に熟睡していた。
 そしてリクオはその理由を知っている。
 先週、鴆と逢った時の事。
『リクオ。すまねえが、明日から急ぎの調合が入ってるんだ…暫く会えそうにねえ、連絡も…無理だろうな』
 鴆は確かにそう言った。
 聞けば、期間は十日程。
 リクオは我慢したのだ。
 鴆の負担にならない様に。
 夜の散歩も我慢した、電話だって我慢した。
 それに鴆は約束してくれたのだ。
『終わったら直ぐ会いに行くって…そうだ、お前がイイコで待ってたらなんか褒美でもやるよ』
 だからリクオは我慢した。
 鴆の言う褒美とリクオの考える褒美が同じかどうかはこの際置いておこう。
 とにかく、今日がその十日目なのだ。
 リクオにしてみれば、早く鴆に逢いたい一心だったのだが、ここにきて漸く鴆の事情に気付いたのだった。
 急ぎとは言っていたが、まさか寝る間も惜しむ程だったのか?
 否定したいが、眠る鴆の顔を見ればそれは肯定にしかならなかった。
 青白い肌にくっきりと浮かんでいる両目下のくま。
 よく見れば頬も少し痩けていて、ああもう、またご飯食べるの忘れたんだね、と冷静な部分が納得している。
 鴆は何かに集中したら部屋から出てこない事がよくあるのだ。
 番頭蛙に愚痴られたリクオが無理矢理ご飯を食べさせる事がここ最近では常だったのだから、リクオが居ない十日間など想像に容易かった。
 伸ばした指先で鴆の頬を撫でれば、僅かに感じる温もりに安堵の息を吐いた。
 そして、漸く凛子に向き合ったリクオは、
「で、これはどういう事か説明してくれる?」
 にこり、と笑ってもいない笑顔を顔に貼り付けた。





「……ふうん。今日、たまたま、薬鴆堂に用事があって、そしたらたまたま、鴆くんが出掛けるとこだったから送ってあげてる、と」
 聞いた話を大分端折ったリクオの解析だが、凛子は訂正する事無く頷いた。
「ええ、本当、偶然」
 軽く両手を合わせコロコロと笑う凛子。
「ウフフ………」
「アハハ………」
 段々と重くなる車内の空気を破ったのは、
「ぅ、ん………りく、お?」
 漸く目を覚ました、むしろよくこの重圧の中眠れていたものだ、鴆だった。
 まだ夢の世界から抜けきれていないのか、ぼんやりとリクオを見つめた侭、何度も瞬く銀朱の瞳。
「起きたの?鴆くん」
 その子供の様な鴆の仕草に心臓が盛大に騒ぎ出す。
 それでも、そんな内心を微塵も感じさせず、リクオは人懐こい笑顔を浮かべてみせた。
「………おはよう?」
 まだまだ眠たげな目蓋は今にも閉じてしまいそうだ。
 普段は寝起きの悪くない鴆が此処まで寝呆けるのも珍しい。
 やはり、それだけ疲れているのだろう。
「まだ、眠ってて?」
 リクオの指先が触れた鴆の頬から、じんわりと広がる温もり。
 眠っていた為か、何時もより僅かに暖かい、だがそれでもリクオより冷たい頬を優しく撫でる。
「着いたら、ちゃんと起こすから、ね」
 ゆっくりと撫でる動きを繰り返すリクオの指先に、無意識だろう鴆も頬を擦り寄せる。
 まるで猫の様な鴆の甘えた仕草にリクオの頬は緩むのを止められない。
「ほら、鴆くん…」
 ぐいと肩を引けば鴆の身体は簡単にリクオに凭れ掛かる。
「僕が傍に在るから」
 リクオの口から紡がれる甘い声。
 それは普段の優しさを多分に含み、尚且つ見え隠れする男としての独占欲。
 その声に安堵する様に、鴆の目蓋は完全に幕を下ろした。





「………さて、凛子」
 細められたリクオの双眸が、気付けば紅玉に変わっている。
「急ぎの調合とか言ってたが…テメエの仕業だな」
「えっ!?」
「何考えてやがる…」
「そんな、別に、何も、」
「事の次第によっちゃあ……斬るぞ」
 沸々と伝わる緊張感が冗談では無い事を伝えてくる。
「っ、う…あ……ごめんなさいっ!!!確かに薬の依頼をしたのは私です!でもそれは本当に必要で…無理しないでって言っても平気だからって…今日、薬を取りに行ったら鴆様こんな顔色だし、なのに若頭に会いに行くとか仰るから…だから、」
「無理矢理連れて来た、か」
 次いだリクオの言葉に凛子は素直に頷いた。
「…ったく。相変わらず無茶ばかりしやがる、馬鹿鳥が」
 深い溜息と共に吐き出される辛辣な言葉とは裏腹に、リクオの紅玉はゆっくりと細められ薄く形の良い口唇は緩やかに弧を描く。
 同時、静かに車が動きを止めた。
 スモークガラス越しの景色は見慣れた奴良組の門構え。
「次は無茶させんじゃねえぞ」
 気付けばリクオの姿は車内に無く、その腕に鴆を抱き凛子に背を向けていた。
「あ、若頭!あんまり鴆様に無茶したらだめですよ!」
 その声にリクオはピタリと歩みを止め、本日二度目の油の切れた歯車となる。
 だが、ゆっくりと振り向いたリクオの表情には焦り等無く、
「悪いが、オレは出来ねえ約束はしない主義だ」
 にい、と持ち上げた両口端は悪戯っ子そのものだった。





 後日。
 一部の妖怪の間で話題の奴良組裏通信に鴆の寝顔やらそんな鴆を姫抱きにするリクオやら、兎に角間違い無くあの日の一部始終が特集され、凛子の素晴らしい盗さ…商魂がお披露目される事になるのだが、それはまた別のお話。










20110202.深結
「白蛇商魂」








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