化猫被りと兄馬鹿と | ナノ
私達が、どちらかと云えば周りに馴染み難い事ぐらい重々承知している。
昔から黒兄は堅物で融通が利かないし、私は愛想を振り撒くぐらいなら死んだ方がマシだと思うから。
可愛げの全く無い私達。
唯、トサ兄だけは違っていて。
本当に私達は同じ三つ子なのかと疑問に思う程、トサ兄は表情も感情もとても豊か。
何時だって泣いて怒って笑ってる。
私達と違う柔らかな蒲公英色の髪を太陽の様に輝かせて。
澄んだ翡翠の瞳を揺らぐ水面の様に煌めかせて。
何時だって、トサ兄は闇夜に浮かぶ綺羅星の様に私達を照らしている。
周りの子もトサ兄には気軽に話し掛けていた。
だけどトサ兄はそんな子達より私達と一緒に居る。
子供の頃に一度だけ、馬鹿な質問をした事があった。
私達と居て楽しいの?他の子と遊びに行かないの?と。
あの時の、トサ兄の顔を私は一生忘れない。
キラキラした翡翠色の瞳を目一杯見開いて、何が起こったのか分からないとでも云うかの様に小首を傾げて。
そして、次の瞬間。
歪んだ翡翠を大粒の雨が濡らしていた。
「え…な、なんで泣くのよっ!?」
後にも先にも、あんなに取り乱したのは初めてだと思う。
だけど、
「オレだけ仲間外れにすんな!ささ美のばかぁ!!」
私以上に取り乱すトサ兄に呆然とした。
だって、トサ兄が、あんなに必死に、哀しそうに、なによりも辛そうに、怒るのは初めてだったから。
「オレ、だけこんなだから…鴉ぽくないし、だから、黒兄もささ美も、オレ、いやなんだろ?」
え…ちょっと、トサ兄は、何を言ってるの?
「でも、オレも、鴉だし、同じだから、っ、」
ちょ、そんな、当たり前じゃない。
なに、その可愛らしい勘違い。
「だから、好きじゃなくてもいいから、嫌いになんな!」
「大好きよっ!!!!」
好き過ぎてどうしようかと思ってるのよ!?
黒兄なんてギリギリの崖っぷちまで追い詰められてるのよ!
「だから好きって……え?」
驚いた弾みに涙を止めた翡翠を何度も瞬かせながら私を見つめるトサ兄。
「トサ兄を嫌う訳ないわ。むしろ私達の方がトサ兄には邪魔じゃないの?」
嗚呼、そうよ。
私が本当に聞きたかったのは。
「そんな事言うな!オレが好きな人達を邪魔なんて言うな!」
トサ兄のこの言葉。
「自分の事ぐらいなんて言ってもいいじゃない?」
相変わらず可愛くない自分。
だけど、これが私。
「ダメだってば!オレは好きなの!ささ美も黒兄も大好きだから悪口言うな!」
何気にトサ兄も無茶苦茶言ってるって分かってる?
だけど、これがトサ兄なのよね。
「じゃあ、私達、両想いね」
冗談混じりにそう言えば、
「応!」
ニイ、と無邪気に破顔したトサ兄。
その眩し過ぎる笑顔を身構える間も無く真正面から受けてしまい耳まで赤くなった…のは見なかった事にしてちょうだい。
この後、ことの顛末を知った黒兄が、
「トサカ丸!兄ちゃんも大好きだぞ!お前を嫌うだなんて鴉が白鳥になるぐらい有り得ないからなっ!だから"黒兄大好き!"って言っ」
「黒兄、ウザイわよ」
本当、益々過保護な弟馬鹿になってたわ。
私も大概兄馬鹿だけどね。
だって、私達は何時だって三位一体。
トサ兄と同じくらい、それ以上に、トサ兄が大好きなのよ。
だから。
「ちょっと顔貸して頂けるかしら、化猫組頭領さん」
この展開には異議ありなのよ。
「あれ、ささ美さんじゃないですか。飲むにゃあまだちぃと早い時間ですぜ?」
今も昔もヘラヘラとした人の好い顔で愛想を振り撒く良太猫。
「飲むならトサ兄と家で飲むわよ。そんな事より…どういうつもり?」
「……何がですかい?」
だけど、この愛想の塊みたいな男が、実はなかなかに曲者だって気付いてるのはほんの僅か。
「トサ兄の事よ。アンタ、あれだけ苛めておいて今更何よ」
人間時の若と同じぐらい。
「苛めるとか心外っすよ。ワシの一途な愛情表現だってのに」
コイツは、でかすぎる化猫を被ってる。
「まあ、トサ兄を慰めるのは楽しかったけど、」
瞬、射る様な視線が刺さるのに気付かないふりをして言葉を続ける。
「アンタがその気なら、もう子供の悪戯じゃあ赦さないわよ」
昔から、コイツはトサ兄に対してだけ幼稚な悪戯を繰り返していた。
それは全く悪意の無いもので、当事者のトサ兄には悪いけど思わず頬を緩めてしまう様な可愛い悪戯だったから。
私達は気付かなかった。
その悪戯が戯れに変わっていった事に。
泣かされると分かっていながらも、トサ兄がコイツの傍に在る理由に。
多分、トサ兄も自分の気持ちに気付いてなかったと思うわ。
今だって本当に分かっているのか怪しいものよ。
それぐらい巧妙に、気が遠くなる様な時間を賭けて、コイツはトサ兄の中に居場所を作った。
私達とは違う、唯一人の為の居場所。
「私達は、トサ兄を傷付けるものは例え誰であろうと徹底的に排除するわ」
「おや、奇遇っすね。ワシもですよ」
相変わらずヘラヘラした顔。
だけど、眼だけはこれっぽっちも笑っていない。
「トサカ丸を泣かして良いのはワシだけですからねえ」
本能を剥き出しにした獣のそれがギラリと光り細められた。
「調子に乗って嫌われれば良いのに」
本当、心から願うわ。
「ま、嫌うなら疾うに嫌われてるっすよ。なんせ好き嫌いの激しさは御兄妹譲りですから」
…嗚呼、最低。
この自信家の鼻をへし折ってやりたいわ。
「けど…何時まで経ってもあの子の一等はあんた達だ。全く癪に障りやすぜ」
え?
「今日は家族で鍋だそうっすね…鍋なら絶対ウチのが美味いってぇのに」
!!!!
そういえば、朝、黒兄がそんな事を言ってた気がするわ。
「まあ、近いうちには無断外泊も粗だと思うっすけど、あ、あんまり叱らないでやってくださいよ」
「今すぐ鉄槌を下されたいようね」
この猫風情が調子に乗りまくって…。
思わず鞭に手が伸び掛けた私の耳に突然届いた聞き慣れた声。
「良太猫ー。三郎猫が呼ん…て、あれ、ささ美?」
店の奥から顔を出したのは、今、正に話題の人。
「トサ兄?どうしたの、それ…」
だけど、その格好はいつもの袖無羽織に野袴姿では無く。
「今、店の手伝いしててな。着物が汚れたら駄目だからって良太猫が貸してくれたんだ」
目の前で顔をニヤケさせている良太猫と同じ様な着流しに縞模様の羽織姿。
どうしてトサ兄が手伝いなんかしてるのか?とか。
どうして他の給仕と同じ恰好じゃ無いのか?とか。
聞きたい事は山程あるのに…。
山の様にあるというのに…。
「なあなあ、これ似合ってるか?」
そんな昔から変わらない無邪気な笑顔を向けられたら。
「えぇ、すっごく似合ってるわ!!」
もう本音しか言えないじゃないっ!!!
「へへッ。普段こんな格好しないからなんか照れるな」
少しだけ目を細めて恥ずかしそうに笑うトサ兄に思わず頬が熱くなる。
…この場に黒兄がいなくて本当に良かったわ。
あの人、今のトサ兄を直視してたら緩みきってる頭のネジが吹っ飛ぶわね。
「ん?どうした、良太猫?」
その声に此処にも頭のネジが吹っ飛んだ奴がいた事を思い出し慌てて視線を送れば、トサ兄から顔を背けて僅かに前屈みな猫…野郎。
「い、いやあ、なんでもないっすよっ!思わぬ収穫にちょいと尻尾が逆立っちゃいまして…」
「あらあ、そんな節操の無い尻尾なら今直ぐ私が斬ってあげるわ」
一体何処の尻尾やら、この発情猫め。
「え、ちょ、ささ美?良太猫?」
あぁもう、そんな何も分かって無いのはトサ兄だけよ。
純粋培養に育てたのは私達だけど、もう少し危機感を持たせなくちゃいけないわね。
「トサ兄。折角だし一緒に帰りましょう?そのお手伝いは何時までするの?」
そうと決まればこんな場所、さっさとおさらばしなくては。
「あ、うん。別に決まってねえけど…ただ…」
チラリと隣の良太猫を気にするトサ兄。
「もう十分っすよ。今日は嬉しかったっす」
「…………本当か?」
不安げな視線。
その姿にチクリと胸が痛くなる。
その視線は私達だけに向けられるものだと思ってた。
「ワシは嘘は吐かないっす」
さっきまでとは全然違う穏やかな笑み。
なんだ、コイツ、こんな顔も出来るんじゃない。
「うん…あ、良太猫、これ…」
トサ兄にしては珍しく遠慮がちに差し出された小さな包み。
「あの、な、その…たまにでいいから…いや、気が向いたら…別に付けなくてもいいから、だから、これやるっ!」
傍目から見ても分かり易くトサ兄は耳まで赤くしてその包みを良太猫に押し付けた。
「誕生日、おめでと!!!」
私は勿論、良太猫ですら茫然とその変化を見つめていて。
「じゃ、じゃあ、オレ、着替えてくるな!」
普段の何倍もの素早い仕種で店の奥に消えたトサ兄に声すら掛けられなかった。
「………………っ、トサカ丸ー!!」
カサリと乾いた音を立て開かれた包みの中を見た瞬間、良太猫の顔が目一杯破顔した。
そしてトサ兄を追って店内に駆け込む良太猫。
その手には、今、良太猫が頭に巻いている様な手拭いがしかと握られていた。
先程のトサ兄の言葉を思い出す。
『たまにでいいから…いや、気が向いたら…別に付けなくてもいいから』
これが意味する事の重大さ。
チラと見えたその柄は、漆黒の羽根だった。
いつも一緒に居たはずなのに、少しずつ、少しずつ、そんな時間が減っていく。
それが当たり前なんだと思うけど。
だけど、やっぱり。
「簡単に渡す訳にはいかないのよ」
その巨大な化猫を引っ剥がすぐらいの事はさせてもらうわ。
覚悟なさい!
20101123.深結
「化猫被りと兄馬鹿と」
←