極楽鳥〜啼いた小鳥が焦涸れる夢は〜 | ナノ



 鯉伴の葬儀は奴良組本家にてしめやかに行われた。
 牛鬼は牛頭丸、馬頭丸、そして鴆を連れ参列していた。
 これはあの後目覚めた鴆が謝罪と共に願った事だ。
 その表情はもう子供では無く、薬師一派の組長のそれだった。
 鴆が薬師一派を継ぐのは元服後だが、既に医者として一人前の力量を持つ彼は薬師一門から受け入れられていた。
 元来、薬師一派は"鴆"が中心の組だ。
 先代の息子として、"鴆"として、鴆には十分その器がある。
 何よりも鴆が薬師一派を継ぐ事を楽しみにしていた男がいた。
 鯉伴だ。
 鯉伴は何時だって鴆の成長を喜び見守ってきた。
 だからこそ。
 鴆が薬師一派組長として参列を望む事に、誰一人として反対出来なかった。










 真白な花で飾られた祭壇。
 つい先日、鴆の頭を撫でながら、また来るよ、と笑った顔がそこにある。
「……鯉、伴、様」
 己の頭を撫でる大きな手。
 心地好い指先の暖かさ。
 まるで子供の様に無邪気な笑顔。
 思い出すのはそればかり。
「鴆君」
 焼香を終えた鴆を呼び止めたのは若菜だった。
 何か言わなければと口を開くが、そこから洩れたのは空気ばかりで、結局、鴆は一礼するだけしか出来なかった。
「今日は来てくれて有り難う。あの人もきっと喜んでるわ」
 若菜の目元も赤く腫れていたが、気丈にも笑顔を見せる彼女を鴆は羨望した。
 若菜は強い。
 彼女は正しく死を受け入れたうえで認めている。
 しっかりと地を踏み締めて、自分の両足で立ち続けている。
 流石はあの鯉伴が選んだ伴侶と云う事だろう。
 それに比べて自分はどうだ。
 泣き喚き、八つ当たり、誰かに支えられないと立ってすらいられない。
 なんて、弱い。
 こんなに弱い自分だから、鯉伴は守ると言ったのだろうか。
 あんなにも優しい眼差しをくれたのだろうか。
 あんなにも暖かい指先をくれたのだろうか。
 手の掛かる、厄介な、殺す事しか出来ない雛鳥だから。
「……鴆君?大丈夫?」
 はっと思考を戻した鴆の目の前には己を心配そうに覗き込む若菜の顔。
「もし良かったら奥にリクオがいるから、話し相手になってくれないかしら?」
 ね、と微笑む若菜。
 言外に、少し休んでいけと言われているのだと気付く。
 こんな時ですら他人を慈しめる、なんて優しくて強い女性。
 貴女が鯉伴様の伴侶で良かった。
 確かにそう思っているのに、何故か鴆の一部がずきりと痛む。
「………じゃあ、少しだけ…」
 鴆は、その痛みを疲れのせいにして奥の間へと踵を返した。










「鴆くん!」
 鴆が部屋に入ると退屈そうに畳に寝転がっていたリクオが顔を綻ばせて駆け寄って来た。
「久し振りだな、リクオ」
「うん!」
 邪気の無いリクオの笑顔は今の鴆にはとても眩し過ぎた。
「今日は何があるの?」
 リクオはまだ六つになるかならないかだ。
「沢山、人がいるね」
 きっと、鯉伴が死んだ事など理解していないのだろう。
「みんな、黒い着物着て…あ、鴆くんもだね」
 そうだ、分かっている。
「そういえば、どこにいったんだろう?」
 鴆の一部が先程よりも酷い痛みを伴って疼き始めた。
「鴆くんも会いたいでしょう?」
 きつく握り締めた掌がじっとりと湿っていた。

(やめろ…やめろ言うな、やめろやめろ)

 今直ぐ瞳を閉じればいい。
 今直ぐ耳を塞げばいい。
 そう思うのに身体は全く動かない。





「父さん、どこにもいないんだ」





 いないんだ。(誰が?)

 もう、いない。(何故?)

 鯉伴様が。(いない?)

 ああ、そうだ。(理解っていたはずだろ)

 もう、鯉伴様は、何処にも、いないんだ。





「リクオ…鯉伴様には、もう逢えない」
 自分を見上げるリクオを見下ろす鴆。
「鴆くん、どうしたの?気分悪いの?」
 こんな時にまで鴆の心配をする姿は若菜そっくりだ。
「鴆くん…大丈夫だよ。鴆くんはボクが守ってあげるから」
 屈託無い無邪気な笑顔と共に告げられる甘い誘惑。
「だから、泣かないで?」
「え…」
 その時、初めて鴆は己が泣いている事に気付いた。
「鴆くん…泣かないで」
 鴆の頬に触れる小さな手。
 だが、それは、とても暖かく鴆を包んだ。
 それはまるで…。


(違う、違う!違う!違うっ!!)


 涙で滲んだ鴆の瞳が捉えたのは、澄んだ焦茶の双眸に映り込む己の姿。
 血の気の失せた肌の色。
 腫れた目蓋と色濃い隈が余計に銀朱をギラつかせている。
 それこそ死人の様な己の姿に、鴆の口許に浮かんだ嘲笑。

「……なんで、死ねないんだろうなあ」

(残して、置いて)

「いつも、死は、一人だ」

(供に、逝けない)

「与えるだけ与えておいて…オレを置いて逝く」

(オレを、空っぽにするくせに)

「もう何も…残っちゃいない」

(なんで、オレは、生きている)

「鴆くん!!」
 突然の衝撃は鴆の身体をグラリと傾かせる。
 それこそ正に体当たりで鴆に抱き付いたリクオを支え切れず、二人はとさりと畳の上に倒れ込んだ。
 リクオが何の抵抗もしない身体に跨りその顔を覗き込めば、涙を止める事を放置した両目から溢れる雫が鴆の頬を濡らしていた。
 その銀朱の瞳はリクオを捉える事すらせず、唯、虚ろに空を見上げている。
「鴆くん…鴆くん、お願いだから、ボクを見て」
 再度頬に触れる暖かな指先。
 鴆の涙を拭い、頬を覆う、リクオの暖かな両手。
 不意に鴆の双眸が見開かれ、そしてそれは何処かうっとりと細められてリクオを捉えた。
「鴆く…っ」
 ほうと息を吐き掛けたリクオの言葉は、次いだ鴆の恍惚とした声に凍り付く。

「鯉伴様…」

 さも愛惜しく、甘やかに響いた、その名前。
「っ、、ちがう…ボク…リクオ、だよ…」
 ずきり、とリクオの身体を貫いた、何か。
 ぞくり、とリクオの身体を駆け抜けた、何か。





「ボクじゃ、ダメなの?」

  『俺がいるだろ』





「ボクが、いるから」

  『鴆には、俺がついててやるよ』





「嗚呼…」
 鴆のひんやりとした指先が、頬を覆うリクオのそれに絡んでいく。
「鴆く、ん…」
 頭は、身体は、危険信号を発している。
 だけど、リクオは動けない。
 その銀朱から目が離せない。
「……鴆」
 ゆっくりと冷えていく。
 指先から心臓まで。
 それはまるで毒の様に。
 ゆっくりと、ゆっくりと。
 リクオの身体を蝕んでいく。

「鯉伴、様…鯉伴様…ああ、ああ、やっぱり、生きてた…」

 淡くも美しい頬笑みを湛えた鴆が見つめているのは、リクオだった。





 早鐘の様な心臓が、どくり、と大きく悲鳴をあげた。










20100924.深結
「極楽鳥〜啼いた小鳥が焦涸れる夢は〜」








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