極楽鳥〜堕ちた小鳥が見る夢は〜 | ナノ



「嘘だ」
「嘘では無い」
「嘘…嘘だ!」
「嘘では、無いのだ」

 鯉伴様が、亡くなられた。

「うそ…うそだ…だって、昨日、逢った…オレ、昨日……」
「鴆…?」
「っ……う…あああああああっっっ!!!!!」
「鴆っ!!!」





 捩眼山の山頂に幾重の結界に護られた屋敷がある。
 奴良組幹部、牛鬼が率いる牛鬼組が住まう場だ。
 武闘派を語るだけあり一派には屈強な男達が多く、普段から鍛錬や試合等で腕を磨く事を重んじている。
 だが、今日は様子が違っていた。
 とある一室の前に集まった面々が中の様子を固唾を飲んで見守っている。
 不意に開いた障子から姿を見せた彼等の主に牛頭丸が駆け寄った。
「牛鬼様……鴆は…如何でしたか?」
「………未だ眠っているが、起きればまた…繰り返すやもしれぬな」
「っ……」
「もう嫌だよ…ボク、鴆を傷付けたく無い…」
 今にも泣き出しそうな馬頭丸に牛頭丸も同意の意を見せる。
「アイツ、弱い癖に見境無く攻撃しやがって…」



 つい今し方の出来事だった。
 牛鬼組の面々は全力では無いにしろ、それなりの力を持って鴆を取り押さえた。
 我を忘れ、力を解放した鴆を。
 "鴆"と云う種族は元服前の幼い身体には本来柔らかく美しい羽根しか無いのだが、鴆が持つそれは既に艶やかな毒々しさを兼ねていた。
 薄い背中から天目掛けて真直ぐに伸びた羽根。
 鴆を中心に舞い散った無数の羽根の切先が鋭利な牙を剥く。
 普段は愚直な程目映い光を灯す銀朱の瞳は虚ろに曇り何一つ映さない。
 喜怒哀楽に素直な表情は能面の様に色を失くし、儚いながらも鴆を彩っていた生は消え失せた。
 疾うに鴆の意志は感じられない。
 唯、鴆の、血の様に赤い口唇だけが、歪んだ孤を描いている。
 生を失くした鴆が鬼纏うは、死、だ。
 何よりも死に近い彼は、誰よりも死に愛されている。
 これは、生の灯火を燃やし尽くさんとする、死への誘惑。
 羽根は死神の鎌となり、誘われた者の首を欲しているのだ。
 その姿を初めて見た牛頭丸達は、思わず時を忘れた。
 鴆の毒羽根は誰彼構わず、至る所から狙いを定めているにも関わらず、武闘派と名高い彼等が戦いの最中に一切の戦意を忘れた。
 相手が見知った鴆だからと云う事もあるだろう。
 だが、彼等が、幾度の死線を乗り越えてきた百戦錬磨の男達が、まだ元服すら迎えていない幼子の美しさに魅惚れ、呑まれたのだ。
「惑いは我等の領分ぞ」
 唯一人、牛鬼だけがその場を見定めていた。
 鈍色の刃で鴆の羽根を切り裂いていく。
「目を覚ませ!あれは鴆だ!」
 牛鬼の声に弾かれた様に、牛頭丸も次いで声を張り上げた。
「馬頭!鴆の動きを止めろ!」
 己も刀を抜き、鴆の羽根を切り裂いていく。
「分かった!」
 馬頭丸の傀儡糸が鴆に向かって伸ばされる。
 意識の無い鴆、むしろ鴆では無い何かを操れるかは分からなかったが、今はやるしかないのだ。
 同様に傀儡糸を使える者は馬頭丸を、刀を使う者は牛頭丸を補佐しようと動き出す。
 馬頭丸の、確かに鴆を捕らえた無数の糸がピンと張り詰めた。
「く…っ、鴆はな、馬鹿真面目で、素直な子、なんだよ…さっさと、従ええぇっっ!!」
 瞬、部屋中に舞っていた羽根が柔らかく地に落ちる。
「よし!」
 その機を逃さず、牛頭丸が鴆との間合いを詰めた。
「待っ、牛頭!!」
 だが、ほぼ同時。
 張られた糸がぶつりと音を立て一斉に切れたのだ。
「なにっ、」
 牛頭丸の視界に映る鴆が、その銀朱を細めてにたりと嗤う。
 地に落ちたと思われた羽根が急速に浮かび上がり、その切先全てで牛頭丸を狙っていた。
「牛頭!鴆っっ!!」
 牛頭丸は目を見開き、耳の奥で馬頭丸の叫びを聞いた。





 はらり、舞う。
 視界を埋め尽くす、一面の羽根。
「無事か、牛頭丸」
 中心に立つはくたりとした鴆をその腕に抱いた牛鬼の姿。
「牛鬼、様…っ」
 そう言ったと同時、牛頭丸は頬に鈍い痛みを覚えた。
 どうやら鴆の羽根が掠めたらしいその傷はジクジクと痛みを伴い爛れていた。
 本来なら毒等持っていない元服前の"鴆"の羽根。
 だが、既に掠めただけで肉を腐らせる程の威力を持つ、鴆の毒。
「…大丈夫です」
 言葉とは裏腹に、牛頭丸は僅かに青褪めた。
 "鴆"という種族の、真の恐ろしさに。
「よかった…って、牛鬼様、鴆は!?」
 あの瞬間、鴆が牛頭丸だけに狙いを定めた瞬、牛鬼は動いた。
 鴆の背後からその首に手刀を落としたのだ。
「気を失っているだけだ…」
 牛鬼の腕で眠る鴆を覗き込み、牛頭馬頭は小さく安堵の息を吐いた。
 そして、己の未熟さを噛み締めた。
 本来ならば牛鬼組が梃子摺る必要も無い程の力量の差だ。
 だが、相手が悪過ぎた。
 牛鬼ですら、鴆のその余りにもか細く頼り無い後ろ姿に一瞬の迷いがあったのは事実だ。



 そして今、死んだ様に眠る鴆に負い目すら込み上げている。
「私が迂闊だったのだ。あれが…鴆が、鯉伴様にあれ程懸念していたとは…」
 確かに鴆は鯉伴によく懐いていた。
 父親の悪友とも云える鯉伴は、鴆が生まれた時から傍に居た存在だ。
 鴆は鯉伴に父親を重ねているのだと、牛鬼はそう思っていた。
「…オレもです。あいつは何時だって…死を、受け入れているのだと…」
 幼いながらも医者としての知識と技術を持つ鴆は既に何度か死に立ち会っている。
 父親の死ですら涙一つ見せずに鴆は受け入れた。
 だが、受け入れる事は出来ても納得はしていなかったのかもしれない。
 その積み重なった亀裂が鯉伴の死で決壊したのだ。
「それだけ、鴆にとって鯉伴様が…特別、だったんだ」
 息子の様に、弟の様に、何時も共に在った鴆の初めて知る感情。
 憧れだったのかもしれない、恋慕だったのかもしれない。

 だが、どんなに想っても、それはもう、叶わない。


 







 夜半過ぎ、鴆は静かに目を覚ました。
 何故か部屋の行燈には光が灯っており、鴆の視界に映る天井の木目は今やすっかり馴染んだ自室のものだと気付いた。
 ゆっくりと身体を起こせば、これまた何故か鴆が眠る布団の上に突っ伏す様に眠る牛頭丸と馬頭丸の姿。
 何故?と首を傾げながらもぼんやりと霞掛かった頭では何をしても無駄だと、鴆は考える事を放棄する。
 普段は兄貴肌な二人が穏やかに眠るその姿はとても幼く見えて、鴆は小さく笑いながら牛頭丸の肩からずれた毛布を掛け直そうと手を伸ばす。
 そして、気が付いた。
 牛頭丸の頬にくっきりと残る蚯蚓腫れ。
 その傷に、鴆は息を呑む。
 何故。
 何故、この傷が牛頭丸の頬にあるのだ。
 これは、"鴆"の、毒痕、だ。

 何故だ?(嫌だ、思い出したくない)

 なぜだ?(いやだいやだいやだいやだいやだ)





 鯉 伴 様 が 亡 く な ら れ た





「ああ」

 鯉伴様が。

「そうだ」

 亡くなられた。

「もう」

 亡くなられた。

「いない」

 あの人は、死んだ。

「死んだんだ…」

 オレを残して逝った。

 オレを置いて逝った。

 オレを独りにしたんだ。





『鴆、お前は俺が守ってやるよ』





 それは、叶わない想い。

 二度と、叶わない約束。





「…………………………………………うそつき」





 その銀朱から零れ落ちた一滴は布団に染み込み、そして、消えた。










20100914.深結
「極楽鳥〜堕ちた小鳥が見る夢は〜」








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