けちけちもくの話 | ナノ



 ワシ、けちけちもく、て云う妖怪です。
 生き物の血を少しだけ吸ったりします。
 だから漢字で書くと『血血木』。
 でも、ある人が言ったんです。


「お前と会ったのも何かの縁だ。オレ、普段はあんまり外に興味持たねえし…お前とは何か結び付きがあるんだろうよ……あぁ、結結木、なんて洒落てんな」


 だから、ワシ『結結木』です。
 その人は、ワシがとても非道い事したのに、許してくれて、薬まで作ってくれます。
 しかも、住処を無くしたワシに、その人は言ってくれました。


「家に来るか?」


 ワシ、そんな事言われたの初めてでした。
 でも、命の恩人にこれ以上迷惑掛けられないから、ワシ、何度も断ろうとしたんです。


「そういやあ、裏手の山になかなか良い薬草が生えるんだが、最近は狸や鼬にやられてな…何かが居着いてくれりゃあ助かるんだが…」


 ………無理でした。
 だから、ワシ、今その山に住んでます。
 大事な薬草、狸達から守ってます。
 山間から見える景色を楽しみながら、毎日楽しく過ごしてます。
 緑に埋め尽くされた景色の中、麓には立派な家屋があります。
 ワシを救けてくれたその人が住む家です。
 その人はお医者様で、鴆サマ、と言います。
 ワシ、あの日から鴆サマに薬を作ってもらってます。
 月に一度、薬鴆堂に薬をもらいに行きます。
 きっと、薬代だって高いはずなのに、鴆サマは要らないって言うから。
 だから、ワシ、山で採った木の実や茸、鴆サマに持っていくんです。
 鴆サマが笑ってくれるから、ワシ、嬉しいです。
 ワシ、鴆サマが大好きです。










「鴆サマ、いますか?」
 夕暮れ時の薬鴆堂に響いた鈴を転がした様な少女の声にリクオは首を傾げた。
 確かにこの薬鴆堂には妖怪だけでなく人間も来る事がある。
 だがそれは昔ながらに山奥で狩猟を営む猟師だったり、或いはどこからか噂を聞きつけた個人で営む医者だったりだ。
 この様な少女の声は今まで聞いた事が無かった。
 なにより、その声の弾み具合に些か疑問を覚えたのだ。
「あぁ、折角来てくれたのに悪いんだが、今、鴆様は…」
 少女に対応する番頭蛙の声を聞きながら、リクオはそっと玄関先に続く襖を開けた。
「鴆くんには会えないよ」
 リクオの声に反応して、少女は顔を上げた。
 その拍子に緩く波打つ黒髪がしっとりと艶を含んで流れ、同じ漆黒の大きな瞳がくるりと揺れる。
 リクオよりも少し年上だろう少女は白いセーラー服を着て、その格好には不釣り合いとも思える籐で出来た籠を背負っている。
 だが、紛れも無い美少女。
「鴆サマ、いないのですか?」
 リクオと番頭蛙に何度か視線を彷徨わせた少女は明らかに消沈した顔で俯く。
 その表情にリクオは無意識眉を寄せていた。
「…君、鴆くんの知り合いなの?」
「リ、リクオ様!この子は、」
 僅かに低くなったリクオの声音に、番頭蛙の顔も青褪めていく。
「蛙には聞いてないよ。ねえ、君の名前は?」
 ニコリ、と頬笑むリクオだが、その背中に背負っている黒いものが見えない二人では無い。
「ワ、ワシ…その」
 少女は今にも泣き出しそうになっているし、番頭蛙に至ってはそっぽを向いて胃を押さえる始末。
 そんな時、まさに渦中の人の声が三人の耳に届いた。
「何かあったのか?」
 襖の奥からひょいと顔を覗かせた、奴良組薬師一派の頭領、番頭蛙曰く薬鴆堂の社長、リクオ曰くボクだけのナー…お医者様、である鴆の姿。
 風呂上がりなのか、普段は青白い肌が上気し薄紅に色付いて、青磁の髪は水分を含んで僅かに色を濃くしている。

「鴆くん!」
「鴆サマ!」
「鴆様っ!」

 思わぬ三人の迫力に数歩後退るも、鴆は少女の顔で視線を止めた。
「結結木じゃねえか。今日はどうした?薬はまだあったろう?」
 リクオの横を通り過ぎ、少女、けちけちもくの前まで歩み寄った鴆はすっかりと医者の表情に変わっていた。
「あの、ワシ、鴆サマに早く知らせたくて」
「ん、何をだ?」
 身体の異変等では無いと分かった鴆はほうと一息吐き、次いで首を傾げてその銀朱でけちけちもくを見つめた。
「あの、これ、咲いてたです」
 そう言いながら、けちけちもくが籠の中から取り出したのは一房の黄色い花。
「これ…瘡王じゃねえか」
 それは鴆が気にしていた薬草だ。
 今年はいつもより開花が遅く、摘みに行くタイミングを計りかねていたのだ。
「鴆サマ、ずっと気にしてたから、ワシ、さっき見つけて、いっぱい咲いてたです」
「そうか、漸く咲いたか…結結木、教えてくれてありがとうな!」
 満面の笑みを浮かべた鴆に頭を撫でられ、けちけちもくも嬉しそうに破顔した。





 鴆とけちけちもくがほのぼのとした雰囲気を醸し出す一方で先程とは比較にならないどす黒さを撒き散らす男が一人。
「…おい。けちけちもくって、前に鴆くんを襲った奴だよな」
 姿形は変わっていないが、その迫力は妖怪のリクオに匹敵する程の畏れが溢れ出している。
 何時の間に、何処から取り出したのかその手に持つは、リクオの愛刀、祢々切丸。
「ヒッ!?リ、リクオ様、それはダメです!鴆様まで斬るおつもりですかっ!!」
「ボクが鴆くんを傷付ける訳無いじゃない。ちゃんとアイツだけ狙って殺るに、」
「リクオ」
「なあに、鴆くん!」
 にこり、と心から笑む姿はまさに神業。
 祢々切丸もきちんと隠したリクオの早業に番頭蛙は開いた口を閉じもせず深い溜息を吐き、後は勝手にどうぞとばかりに奥に姿を消した。
 否、早々に避難したと言った方が正しいかもしれない。
「明日、一緒に山に行かねえか?」
 そんな番頭蛙に気付いているのかいないのか、けちけちもくから渡された薬草を大事そうに手にした鴆は先程から曇る事無く笑顔を振り撒いている。
「その薬草を摘みに行くの?」
 そんな鴆にリクオの顔も思わずニヤける。
「あぁ。結結木が教えてくれたんだ」
 だが、その名前は頂けない。
「けちけちもく……」
 ちらりと視線を向けた先、リクオの視線を受けた瞬間、びくりと肩を竦めるけちけちもく。
「こら、リクオ!もう結結木との事は納得しただろ」
 確かに。
 鴆がけちけちもくに襲われた日、リクオはその話を聞かされて随分と肝を冷やした。
 そして、リクオにとってはほんの少しのお仕置きで鴆を許したのも事実。
 だが、実際にけちけちもくに会うのは今日が初めてなのだ。
 例え、鴆の無鉄砲な行動は許せても、鴆を傷付けた張本人が許せるはずが無い。
 しかも、今は鴆にあからさまな好意を寄せている、この妖怪を。
「…うん、そうだった。君は、鴆くんのお陰で生かされてるんだったね」
 ぞくり。
 鴆の背中が粟立った。
 リクオは笑っている。
 だが、その焦茶色の瞳に宿すのは、間違え様の無い殺気。
「鴆くんが君を許してなかったら、君はとっくに此処には居ないんだから」
 けちけちもくに対する、隠そうともしない殺気。
「あ…ぁ、あ…ワシ…」
 鴆ですら身震いする畏れにも似たそれを直に向けられたけちけちもくはがくがくと今にも崩れ落ちそうな程震えている。
「リクオッ!!」
 そんな二人の間に飛び込んだのは、勿論鴆だ。
 その背にけちけちもくを庇い、リクオと向かい合う。
「あの件はもう終わったんだ。オレは生きてる。結結木もオレの役に立ってくれてる」
 幾分か軟らかくなった焦茶の双眸が鴆を捕らえる。
「ボクはね、可能性は一つだって残しておきたくないんだよ」
 不意に伸ばされたリクオの指先が鴆の頬を一撫でする。
 うっとりと細められた瞳に映し込んだ鴆の姿に口許はゆるりと弧月を描く。



「忘れるなよ、鴆。お前は、オレの為に生きてんだ」



 ざわり、艶やかに伸びた髪が靡いていく。
 その目が瞬いた瞬。
 焦茶色だったそれが紅玉の輝きを放つ。
「リ…クオ」
 リクオが纏う妖艶な畏れに鴆は恍惚と見惚れる。
 その隙に鴆を片腕に抱き込んだリクオが、再度視線をけちけちもくへと流した。
「…けちけちもく」
「は、はいぃぃ!」
 名前を呼ばれただけなのに、けちけちもくは思わず姿勢を正してしまう。
 それ程に、空気が張り詰めている。
「コイツの血は美味かったろう?」
 ニタリと歪んだ口許が、リクオの狂気を伝えていた。
「あ、あの、ワシ、ごめ、」
 必死に謝罪を伝えようとするけちけちもくの声を、

「二度は無い」

 リクオは絶対零度の視線と共に遮った。










 ………の、だが。










「リークーオーーッ!!!!」
「うぉ、ちょっ、鴆!?」
 突然、舞い散る、羽根、羽根、羽根。
 リクオの腕の中で、そりゃあもう盛大に、毒羽根を散らせた鴆。
 勿論、致死量では無い事ぐらい分かりきっているが、流石のリクオも、これには逃げの一手だ。
「お前はいつから弱い者虐めする様な奴になったんだ!」
「弱い…って、お前を殺そうとした奴だぞ!?」
「止むを得ずだっ!!酌量の余地ぐら、」
 不自然な沈黙は瞬。
 ひゅ、と、鴆が息を飲むと同時、その喉が嫌な音を鳴らし空気を吐き出し始めた。
「鴆っっ!!!」
 咄嗟に支えようとしたリクオを鴆の白い手が遮る。
 もう片方の手で止まらない咳に蓋をするかの様にその口許を覆い隠した鴆だが、その銀朱の瞳はリクオを捕らえていた。
 大丈夫だとその銀朱が伝えてくる。
「…ったく。興奮すっからだ」
 はあ、と小さく安堵の息を吐いたリクオの手が、ゆっくりと鴆の背中を撫でる。
 暖かい手が上下する度、鴆の呼吸も落ち着いていく。
「……悪ぃ、リクオ」
 咳が止まった途端、僅かに引き攣る己の声音を気にもせず鴆は言葉を続けた。
「でもな、コイツ、本当に、頑張ってるんだ」
 視線を向けた先には、鴆を不安気に見つめるけちけちもくの姿。
 その表情に嘘は無い事ぐらい、リクオにも分かる。
 鴆を想う者同士、分かり過ぎるぐらいだ。
「許せ、とは言わねえが…もう少しだけ、見守っちゃあくれねえか?」
 銀朱の双眸が真直ぐにリクオを見つめる。
 それはまるで疑う事を知らない子供の様に。
 リクオを信じきった無垢な眼差し。
「……だめ…か?」
 何も応えないリクオに、鴆の瞳に陰が差す。
 不安に揺れる銀朱は、それでもリクオだけを捕らえ、リクオの言葉を待っている。
 きっと、ここでリクオが本気で否定したら鴆はそれに反しない。
 自らけちけちもくを殺す事だって否めない。
 鴆の忠誠は絶対だ。
 普段は何かと困らせてくれるが、鴆はリクオが真に決めた事なら決して否定しない。
 例え己の心を痛めても。
 以前、まだ幼かったリクオが総大将なんか継がないと言った時も、鴆は笑って言ったのだ。


『そうだな…お前がお前らしく生きられるならそれも良い』


 その時から、鴆はリクオの前に姿を見せなくなった。
 総大将に呼び出されたあの日まで。
 リクオの子供じみた自尊心を護る為、リクオのくだらない虚勢を護る為に。
 鴆は一度、己の心を殺したのだ。
 それは決して取り戻せない。
「…………仕方ねえな。もう暫くは様子見にしてやるよ」
 そして、それはリクオの傷だ。
 深く抉られ、決して塞がる事は無い。
 それは決して癒えはしない。
「応。流石はリクオだ」
 笑顔で頭を撫でるそれは甚だ子供扱いだが、リクオは鴆の好きにさせていた。
 触れる肌の冷たさに気付くまで。
「…おい。お前、もっかい風呂行ってこい」
「は?イヤ、さっき入ったし…」
「冷えきってんだよ!いいから行ってこい!!なんならまた風呂に入りたくなる様な事してやろうか?此処で」
「お、おう、行ってくる!」
 リクオの冗談混じりの…否、本気の脅迫に圧され、鴆は言われるが侭に回れ右だ。
「今日はわざわざありがとな、結結木。気を付けて帰れよ」
 振り向きざま、けちけちもくに向けられた笑みを。
「ああ、鴆」
「ん?」
「オレも直ぐ行くから良い子で待ってな」
「っっ、誰が待つか、バカモノッ!!!」
 盛大に邪魔する事でリクオは気を紛らせた。





 さて。
 残されたのは当然二人。
「あ、あの、ワシ、帰ります」
 明らかに脅えているけちけちもくはリクオを見る事すらせず、俯いた侭踵を返した。
「おい」
「ははははいぃぃ……い?」
 反射的に振り向いてしまったけちけちもくだが、視界に捉えたリクオの姿にほんの少しだけ首を傾げた。
 先程までの畏れを解いたリクオは、その顔に目一杯嫌悪の色を浮かべているものの、何処か拗ねた子供の様な目でけちけちもくを見下ろしていた。
「アレは絶対やらねえぞ」
 否、目一杯拗ねているのだ。
「………アナタ、鴆サマの事大好きなんですね」
「応。毒羽根一本までオレのもんだ。誰にもやる気はねえ」
 先程、鴆が散らせた淡い羽根を手にしたリクオが真直ぐにけちけちもくと向き合った。
 そんなリクオの潔い即答にけちけちもくも思わず苦笑を洩らす。
「ワシも鴆サマ好き。鴆サマの傍にいたい。でも、アナタの好きとはちょっと違う」
 けちけちもくは漸くリクオの本音に気付けた気がした。
 まるで子供の独占欲だが、それはとても純粋で真剣な感情だ。
「だから、ワシ、鴆サマを護るアナタも好き。怖いけど、鴆サマが選んだのはアナタだから」
 だからこそ、けちけちもくはリクオを好きになれると思った。
「………明日はしっかり案内頼むぜ、結結木」
 にい、と口端を吊り上げたリクオの表情は何時もの自信に溢れたそれで。
「あ………ワシ、頑張る!」
 けちけちもくはもう怖いとは思わなかった。










 ワシ、けちけちもく、て云う妖怪です。
 薬鴆堂の裏山に住んでます。
 山間から見る景色はとてもキレイで、穏やかな毎日を過ごしています。
 時々、鴆サマが遊びに来てくれます。
 ワシに薬草の事とか、色々教えてくれます。
 ワシ、一生懸命覚えます。
 鴆サマが誉めてくれるから。
 鴆サマが笑ってくれるから。
 ワシ、楽しくて、嬉しくて。
 もっと、もっと頑張って勉強します。
 時々の時々、鴆サマと一緒にリクオさんが来ます。
 リクオさんは、ぬらぐみのわかがしら、らしいんですが、ワシ、よく分かりません。
 ワシが分かるのは、リクオさんは鴆サマが選んだ唯一という事です。
 ワシ、鴆サマがリクオさんと一緒だと嬉しいです。
 だって、リクオさんの傍に在る鴆サマは、ワシが見た事ない顔で笑うから。
 とても、幸せそうに笑うから。

 ワシ、鴆サマとリクオさんが大好きです。










20100906.深結
「けちけちもくの話」








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