土星ミラージュ


私が燐を見たのは、命の恩人を守る、そう宣言したすぐ後だった。メフィストさんが、それなら顔ぐらい覚えておいた方が良いでしょう、と言ったからだ。例の鍵を使いドアをくぐれば、薄暗い路地裏へ出た。いつの間にか犬になっていたメフィストさんに言われるまま道を進めば、南十字商店街という所だった。
産まれてこの方、あの大きすぎる敷地から出たことが無かった私は、キョロキョロと人の多い道を進む。メフィストさんは、迷う事無く道を行く。初めてきた町並みをもう少し見ていたかったが、迷子になっては元も子もない。人を避けながら、私は懸命にメフィストさんを追う。


「あそこに居ますよ。」


着いたのは、薄暗い高架橋の下だった。そこには数人の男子がにらみ合っている。どうやら、1対複数人のようだ。この中に居るのか。


「どの人?」

「1人の方ですよ。今私たちに背を向けている、黒髪の。」


次の瞬間、喧嘩が始まった。驚くことに、命の恩人はどんどん相手を倒していく。強い。話を聞くに、まだ力は覚醒していないらしかったが、それでも目を見張るほどに強かった。


「あれを見ても、まだ彼を守りたい、そう言いますか?」

「・・・言い、ます。私は、なんの取り得もないけれど・・・あの人に、恩返しをしたいです。」

「・・・そうですか。」


ほら彼が来ますよ、とメフィストさんが言う。顔を上げれば、一瞬だけ目が合う。その一瞬が、とても長く感じられた。青みがかったその瞳は、母の話に聞いていた青い炎をイメージさせる。とても綺麗だと、そう感じた。
その人は、ふっと視線をそらし、そのまま私の横を通り過ぎる。私を、母を助けてくれた人。やっと会えた、私が守るべき人。


「メフィストさん。あの人より強くなるには、どうしたら良いですか?」

「貴女は弱い。サタンの落胤と同等の、それ以上の力を持つ事は不可能に近い。」

「それじゃあ、どうしたら盾ぐらいにはなれますか?」

「・・・仕方の無い子だ。」


塾に行ってはどうでしょう?そのメフィストさんの言葉から、私は祓魔師を目指す事になった。悪魔を、サタンの落胤を守る祓魔師になるために。もう、世間では入学式が始まろうとしている少し前の日だった。


「おい、彗。彗?」

「・・・なに?」

「ほら、弁当。・・・なんか、今日はいつも以上にボーっとしてんな。何かあったのか?」


燐のその質問に、私は首を振って答える。燐はきっと、この事を覚えていない。でも私は、その日のことを一生忘れたりはしないだろう。


「悩み事か?」

「ううん。」

「ふーん、なら良いけどよ。」

「うん。」

「そういえば聞いてくれよ!今日も学校で雪男が女子に囲まれててよー。助けてって目で訴えてくるんだけど、ムカついたから走って逃げてやったんだ。そしたら雪男が、」

「燐は?」

「般若の顔・・・あ?俺?俺は、ねぇよ・・・そんなの・・・。」

「・・・そうなの?」

「そうなの!」

「・・・かっこいいのに。」


奥村先生の方が女子に人気があるのか、初めて知った。それなら燐だって同じように人気があっても良いように思う。喧嘩は強いし、料理は美味しい。青みがかった瞳だって、とても綺麗。それに、恐れられている青い炎は私たちを助けてくれた。これは極少数の人間しか知らないけれど。
いつか、燐の魅力に気付いてくれる子が現れたら良いのに。例えばそう、いつも燐の隣に座っている杜山さんはどうだろう。お似合いだと思う。そこまで考えて、何故か胸が締め付けられるような感覚がした。苦しい。


「・・・。」


この気持ちは、何。もしかして、と思い当たる言葉はあるが、それはダメだ。ありえない。ありえちゃいけない。違う、これは憧れだ。サタンは、サタンの落胤は、青い炎は、私の神様のようなものだ。私が、なんて、ダメだ。


「・・・な、なあ。」

「・・・え?」

「も、もう一回・・・。」

「・・・何を?」

「だからさ、その・・・さっきの。」

「さっきの?」

「だああ!なんでもねぇよ!」


燐は大きな声でそう言うと、頭をがしがしと掻きながら自分の席へと戻っていった。それと同時に、先生が教室に入る。私は気の迷いだという事にして、頭を切り替えた。
20110925
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