火星がゆく
「燐。」
滅多に呼ばれないヤツから名前を呼ばれると、もしかして俺のことじゃないんじゃないか、と思って辺りを見回してしまう。そんな事をしていたら、もう一度名前を呼ばれた。やっぱり俺のことだった。
俺を呼んだのは、相変わらず何でも見透かせそうな目をした彗だ。その手には、見慣れない大きめの袋がある。彗は俺から目を離して、確かめるようにその袋を見ると、もう一度俺を見上げてその袋を俺の腹に押し付けた。
「あげる。」
「お、おお?サンキュー・・・?」
腹に押し付けられた袋を持ち上げてみると、ふわっと甘い美味しそうな匂いがしてくる。こ、これはもしかして、手作りのお菓子とかいうもんなんじゃないのか?どうしようヤベェ、そういうものを貰うのは初めてだ。
「日頃の、お礼。」
「日頃?ああ、弁当の事か!?気にしなくてもいいのによー!」
そう言いながら、俺は彗の肩をバッシバッシ叩く。彗は大して痛そうな顔もせず、それを受け止めていてくれた。
少し顔を上げれば、志摩と目が合う。ふふん良いだろ、という気持ちを前面に押し出して袋を軽く持ち上げると、志摩は悔しそうな顔をした。
「こんなに沢山のお菓子なんて、何作ったんだよ?」
「?、作ってない。」
「は?」
「・・・出した。」
「・・・出した?」
「料理が壊滅的にまずい、あの人。」
出した、ってどういう事だよ。お土産にって事か?まあそれは良いとして、手作りじゃないのか・・・さっきまで浮かれていた俺が恥ずかしい。志摩を見てみたら、手で口元を押さえながら噴出すのを我慢していた。クッソ・・・!
袋を開けてみると、クッキーやらスコーンやら、果てはマフィンまで無造作に転がっている。俺はその中のクッキーを一枚取り出して、彗の口に挟んでやる。と、暫くしてサクサクと音を立てながら、クッキーは彗の口の中へ消えていった。もう一枚やると、同じように消えていく。面白ぇ。
「燐、と、天野さん・・・何してるの?」
「おう、しえみ。あー、彗が色々くれたんだ。一緒に食おうぜ。」
「良いの!?」
良いよな?と彗に言えば、頷きが返って来た。しえみはそれに、どもりながらもお礼を言うと、袋の中からマフィンを一つ出していく。俺もクッキーを幾つか摘んだ。
「美味しいっ!これ、天野さんが作ったの?」
「違う。・・・出された。」
「おやつに?」
「よく家に遊びに来るやつが、お土産に置いてったんだと。」
な?と彗に同意を求めると、少しの間フリーズした後にやっと頷いた。なんだ、その妙な間は。
「そういや、自炊するとか言ってたけどよ。何作ってんだ?」
「1人暮らしなの?」
「いや、お母さんと。料理は・・・玉子。」
「玉子を?」
「ご飯に・・・。」
「・・・オイ。」
「玉子かけご飯!美味しいよねぇ。」
「うん、美味しい。あと納豆の日もあるし、スーパーのお惣菜の日も・・・。」
「それは料理じゃねぇ!ご飯にかけてるだけじゃねぇか!・・・もしかして、ご飯もチンするやつじゃないだろうな・・・?」
「ご飯は炊ける。」
「そんなキリっとした顔で言われてもな!」
よく今まで生きてこれたな。骨とかすぐ折れちまうんじゃねぇの、と彗の腕を持てば、その細さを実感する。それからびっくりするぐらい白い。牛乳は飲んでる、と彗が呟いた。うるせぇお前はもっと日を浴びろ。
「私は、料理出来ないから・・・燐の事、凄いと思う。」
「なんも凄くねぇよ。」
「ううん、凄いよ。」
なんで料理だけでそんなに褒められなきゃならないんだ。じっと見られている事が恥ずかしくて、俺は彗の目を隠す。そして口にまた、今度は大きめのクッキーを挟んでやった。
「ふふ。」
「なんだよ、しえみ。」
「二人は本当に、仲良しなんだねぇ。」
そうだろ、とも言えないし、そんな事ねぇよ、とも言えなくて、俺も大きめのクッキーを口に入れる。それでもしえみは、にこにこと笑いながら俺たちを見ていた。
20110916