地球にて


燐と別れ、私はいつもの帰り道を行く。がさがさと舗装されていない道を歩くと、建っているのが不思議なくらいオンボロな家が現れる。私の家のこの様を見られたくなくて、私は毎回燐の『送る』という申し出を断っている。


「ただい、」


扉を開けたが、そこはいつも通りの薄暗い空間ではなかった。リビングのテーブルにはピンク色のクロスが敷かれ、紅茶やお菓子がこれでもかと並んでいる。ソファには、ヘンテコな格好をした悪魔・・・メフィストさんが我が物顔で座っていた。ある意味いつもの事だが、慣れない。


「おかえりなさい☆」


ウインク付きで言ったメフィストさんは、ポンとティーカップをもう一つ取り出し、ポットから紅茶を注ぐ。そして向かいへと置いた。私に、そこに座れということだ。しかし私はその意志を無視して、カバンだけを置き母の寝室へと向かう。


「寝ていますよ。」

「知ってますよ。」


寝室へ静かに入ると、母はメフィストさんの言うとおりぐっすりと眠っていた。私の母は、諸事情により夜が苦手で、一晩中起きている。そして、私が起きた頃に寝るのだ。所謂、昼夜逆転というやつである。それに加え、身体は余り丈夫ではなかった。
いつもと比べると、幾らか顔色が良い。傍らには、使われた食器が。珍しく、寝る前に食事をしたらしい。あまり食事をしようとしない母は多分、メフィストさんに言いくるめられて食べたのだろう。食器を持ち上げ、寝室をあとにする。
それにしても、メフィストさんの手料理なんてよく食べられるものだ。そういえば、母の手料理を食べたのは数少ないが、確かに味音痴の気はあった気がする。本当は美味しい物を食べてほしいが、食べないよりはマシだ。


「ご飯、ありがとうございました。」

「お気になさらず。宜しければ、まだ余ってますので晩御飯にでも・・・。」

「いえ、燐からお弁当を貰ったので。」

「それは残念。」


あまり残念そうでない顔で、メフィストさんはドイツ語を唱える。すると、キッチンにあった鍋たちは一瞬で綺麗になり、もとあった場所へ戻っていった。どんなに得体の知れない料理も、一瞬で消えてしまうのが凄い。
私はソファに座って、少し冷めた紅茶を飲む。色々なお菓子の中から、チョコレートマフィンを一つ手に取る。一口齧れば、それはいつも通り美味しい。料理も、なんだかよく分からない魔法で出せば良いのに。


「貴女はいつもチョコレートマフィンを食べますね。」

「・・・そうですか?」

「ええ。とても美味しそうに食べてます。」

「よく分かりますね。」

「それは、産まれた時から貴女を見ていますから。」


メフィストさんが目を細めて私を見る。私が今生きていられるのも、母が今生きていられるのも、全部この悪魔のお陰。悪魔が人を救うなんて、と過去に私はメフィストさんに質問をぶつけた事がある。どうして、ただの人間を救ったのかと。
すると返事はすぐに返って来た。面白そうだから、と。それから、私の色々な表情が見てみたい、と。後者はあまり叶えられていないが、それはそれで面白いとメフィストさんは笑った。


「ところで、塾はどうですか?」

「はあ・・・まあ・・・まあまあです。」

「そうですか☆」


恐らく、メフィストさんが聞きたいのはそういう事ではない。きっと、燐とはうまくやっているのか聞きたいのだろう。全部知ってるくせに。

何故助けてくれるのかを知った私は、それだけでは申し訳ないと、自ら条件を出した。命の恩人であり、メフィストさんが大事にしている人物・・・奥村燐を命がけで守る事。
サタンの落胤に命を救われ、その後も悪魔に人生を救われているなんて。なんだか私は早死にをするんじゃないかと心配になる。母より先に死にたくは無い。


「・・・燐とは、なんとか友達になれました。」

「お弁当を作ってもらう仲ですからね。安心しました。貴女は愛想がありませんから、どうなることかとヒヤヒヤしました。」

「・・・。」

「そんな所も可愛いですから、拗ねないで下さい☆」

「拗ねてないです。」


ただ、どこのお母さんだと思っただけで。


「どうやって仲良くなったんです?」

「どうって・・・なんか、燐が話しかけてきて・・・よく一緒に帰ったりして・・・。」


でも、私から話しかけたことは無くて。柄にも無く緊張してしまって、何を話して良いのか分からないのだ。感謝の意を述べたくても、彼には全く身に覚えの無い事で。サタンを倒そうとしている燐からしたら、その炎で救われましたと言われても、あまり良い気持ちではないだろう。
だからと言って、他の話題なんてものは思いつかない。日頃何をしているのかと訊かれれば・・・特に話が盛り上がりそうな返事が出来ない。母の看病ぐらいなものか。


「楽しいですか?」


メフィストさんが、不意にそんな質問をしてきた。燐が話しかけてくれるのは、嫌じゃない。燐がしてくれる話はとても面白くて、飽きない。私は短い返事しかしていないのに、燐はそれに満足したような顔をして、次の話をしてくれる。


「楽しいです。」


その時間がたまらなく好きだという事に気が付いた。


「クッ、ふふふ・・・。」


あーはっは、と大音量の笑い声が向かいから聞こえてきて、つい肩が跳ねる。メフィストさんは、容赦なく机をバンバンと叩き、ひぃひぃと喉をかすれさせながら腹を押さえている。
また、メフィストさんのツボに私の何かがはまったのだろう。急にこうやって笑い出すときは、大抵私が何かをやらかした時だ。一番記憶に残っているのは、幼い時にメフィストさんから貰った背中にチャックのあるワンピースを、反対に着た時だ。チャックが背中に来るとは思わないじゃないか。ちなみにその事件以来、私はワンピースを着ていない。


「貴女が、そんな顔をするようになるとは・・・ッ!」


メフィストさんは身を乗り出し、私の頭をぐりぐりと撫でる。そして、満足したように一つ息をつくと、鼻歌を歌いながらドアへと向かっていく。


「帰るんですか?」

「ええ。今日は来て良かったです。とても面白いものが見られました。」

「そうですか。」

「また、進展があれば来ますよ。」


それでは、とメフィストさんは上機嫌で帰っていった。進展があれば、という事はやっぱり何処かで見ているのだろうか。ありえない事ではないのが恐ろしい。まあ、それなりの節度を保っていれば、メフィストさんの機嫌を損ねる事は無いだろう。


「・・・さて。」


机の上に残された大量のお菓子たちをどうするか、私は考える事にした。
20110914
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