スターター


ファーストコンタクトは、『あ、なんかこいつ苦手だ』というものだった。大体の人が受け入れ易く、良いなあと思えるような笑顔が、私には受け付けないようだった。その実、周りの女子はその笑顔に胸打たれ、きゃあきゃあと騒ぎ立てているのが殆ど。先生からの評判も悪くない。無反応だったり、またかと呆れ顔をしている人も少なからず居るが、大体女バレの皆様だ。やっぱり、見ている時間が長ければ長いほど、色々なところが見えてくるのだろう。私にはそれが、ファーストコンタクトでなんとなしに分かってしまっただけで。

しかし、それだけで及川の事を嫌いになったりする訳ではない。元より接点が少ないのだ。自分から歩み寄らなければきっと、クラスメイトの女子の一人という立ち位置で卒業を迎えるはずだ。


「こんにちは、いやこんばんはかな。」

「・・・。」

「苗字名前ちゃんだよね?同じクラスの。」

「・・・。」

「あれ?無視?無視?」

「・・・ドモ。」


そう思っていたらフラグを立ててしまったらしい。正門の片側に身を預けながら人を待っていれば、現れたのは思いもよらない人物・・・及川徹だった。やっぱりあの、ちょっと苦手な笑顔を携えて私に声をかけてくるではないか。何事だ。
いつもは数人の女子が及川くん及川くん、先輩先輩、と砂糖に集るアリのように居るのだが、時間も時間だったのでそのような取り巻きがいない。すっかり日が暮れた、夜といっても相違ない時間のことだった。


「珍しいね、今日女バレの方に居たでしょ。」

「・・・よく、見てるんだね。」

「そりゃ名前ちゃんだったから。」

「ぅへえ。」

「ん?今うへえって言った?」

「聞き違いじゃない?へえって言ったよ。」


何故女バレの方に居たのか・・・遡れば、及川に苦手意識を持った日のこと。私が一人、それについて考えてしょっぱい顔をしていたのを見られてしまったのだろう。クラスメイトの女バレの子が話しかけてくれたのだ。正直に私が思っていたことを話せば、分からんでもない、と頷いてくれた彼女は、あれよという間に仲良しの友達になっていた。
バレー部程力を入れていない部活ではあったけれど、3年として少し頑張りたいと思って居残ることにした私は、結果帰り道が一人になってしまう事が判明。そこで、彼女に一緒に帰ろうと提案したのである。それでも女バレよりも早く切り上がってしまうので、体育館の二階部分にお邪魔して、野次を飛ばしてみたりなんだりしていたのだ。まさかその様子を見ていたのは。練習に集中しろ。


「名前ちゃんは誰待ってるの?」

「馴れ馴れしい。あ、間違えたえーと、いきなり名前呼びかよ。」

「えー、イヤ?」

「うん。」


早く来ないかなあの子、と思いながら時計を見る。が、そんなに時間は経っちゃいなかった。女子だし、パッと着替えてチャッと出てくる訳にはいかないだろう。及川も、その辺は誰よりも気を遣いそうなのになあ。と思った矢先に、風に乗って制汗剤の爽やかな匂いが香る。


「俺、名前ちゃんの事好きなのに。」

「はあ?糞くらえだわ。」


思ったよりドスのきいた声が出てしまった。いやそれよりもまず、糞くらえって。無いわ。その返事は無いわ。いやいやそもそも、及川はいきなり何でそんな事言うんだ?とりあえず目に付いた女子を片っ端から食ってくような輩だったのか?ああ、それなら面と向かって言おう。糞くらえ。
そこで初めて、ようやく及川の顔をみやれば、目を丸くさせて口をぽかんと開けて、間抜けな顔して驚いているようだった。それから少しずつ崩れていって、クツクツと肩を震わせて笑い始める。そりゃあ、突然の告白に糞くらえと返したのは、ちょっと面白いかもしれないけれど、そこまで笑うことでもないだろうに。本人の前で。


「はー・・・。名前ちゃん、俺の前だとあんまり笑わないから、ちょっとからかってみようと思っただけなのに・・・あー、俺が笑わされちゃった。」

「おいお前、今自分がどんだけ最低な発言してるのか分かってんのか。」

「よし、決めた。」

「聞いてんのか。」

「絶対、俺のものにする。」


覚悟しててね、そう言って及川は、それだけを言って颯爽と去ってくれればそれでいいのに、余計な事に私の額にキスなんぞをして去っていった。一段と濃くなった制汗剤の匂いの方が気になってしまって、どんな感触だったのかとかそんなものは全くもって残らなかったけれど、そっちの方が有難い。


「おうえっ。」


この一夏、シトラス系の制汗剤は苦手になりそうだけど。


「名前ちゃん!」

「あ、名前ちゃん。」

「名前ちゃーん。」


分からん。全くヤツが分からん。そりゃあ、以前よりはずっと話しかけてくる回数が多くなった。ところ構わず話しかけられたりするもんだとばかり思っていたが、そうではなく、必ず及川ファンが居ないところで、お陰さまで今のところ、少女漫画にありそうな陰湿な女子は現れていない。もう、あの出来事が十分少女漫画だった事には目を瞑りたい。私の発言は、全くヒロインになりえないものだったのだから。
ファンというものは何処にでもいるもので、日中は全く話しかけられないなんて事もしばしばある。でも必ず一度、この夜の正門では一緒になるのだ。いつも、誰よりも早く此処にやって来て、友人が来れば帰る。それの繰り返しだった。


「ほんとに、及川は名前の事諦めないね。」

「ほっときゃその内飽きるだろうと思ってたんだけどねー。」

「でも、マジっぽくない?」

「あ?」

「最近、ファンへの対応がさらっとしてるっていうか・・・。教室にいる時も、手を振るぐらいで終わってるし。今までは気まぐれで廊下まで行ってたんだけど。」

「ふーん。」

「・・・名前はちっとも靡かないし。ちょっと及川カワイソウ。」

「糞くらえと言った女に、そこまで執着するのも驚きだけどね。」

「確かに。まあでも、振り回される及川って見たことないから面白い。もうちょっとそのままで良いよ、名前は。」


もうちょっとそのままと言うが、別に私はこの態度を改めるつもりはない。及川は相変わらず私の苦手な笑顔を貼っつけてやってくるし、シトラスの匂いだし。たまにお菓子くれる時は、良いヤツだなあって思うけど。


「あ、私もうこの時間居ないから。」


私がこう言った時の及川の顔は、私が糞くらえって言った時よりも面白い顔をしていた。この化けの皮が剥がれた感が、面白い。いつもの能面はどこへやら、及川は眉を八の字にさせて私の肩を掴む。


「な、なんで?どうして?俺、そんなにウザかった?あれ・・・可笑しいな、そんなに嫌がってはないなって思ってたんだけど・・・。」

「あ?違う違う。単純に、私の部活が一段落したってだけ。もう残る必要は無くなるっていうか、活動そのものが終わったの。」

「・・・引退。」

「そう。」

「そっか・・・びっくりした。」


及川は、照れ隠しにへらりと笑って、そうか引退か、等と繰り返しながら頭を掻いている。
びっくりしたのはこっちだ。この、30分にも満たない時間が無くなるだけで、あんなに必死こいた顔するなんて。そんなに。


「そんなに私と話をしたいの?」

「え?・・・そりゃ、そうだよ。好きな人とはいつだって話をしたいよ。でもほら、人の目があると、困るのは名前ちゃんだし。」

「・・・。」

「あ、ときめいた?ときめいた?」

「そういうのがあるからお前はダメなんだ。」

「ええ!?・・・そういうのがなかったら、今ときめいてたって事?」

「あ、私岩泉から、及川に関する悪口のレパートリーを教えてもらってさあ。」

「岩ちゃん何教えてんの!?てか仲良いね嫉妬しちゃう!」


おちゃらけた雰囲気は、及川が静かになる事で急に何処かへ行ってしまった。友人が来るまでの時間が、少しずつ無くなっていく。私は別に、今生の別れではないと思っているので至って普段通りだが、及川はそうでないらしい。いつも以上にソワソワしている。


「ホントに、今日まで・・・?」

「だって、もうやる事やったし。」

「女バレの応援してくとか。俺の応援してくとか。」

「女バレはともかく、なんで及川を。」

「いいじゃーん!俺もヤジ入れられたい!名前ちゃんに!」

「クソ川集中しろー。」

「ここで!?てか教わった悪口言うのヤメテ!」

「ははは。」


また及川が驚いた顔をしている。今のどこに驚くような要素があったのか分からない。首を傾げると、今度はにんまりと嬉しそうな顔になる。


「笑った!名前ちゃん笑ってくれた!」

「え?あ、そお。」

「反応うっす!でも良いよ!やった、名前ちゃんが俺といる時に笑ってくれた!」

「・・・そんなに喜ばれると、なんか照れるわー。」

「え、照れ顔!?・・・いつもと同じに見える・・・。」

「いやまあ、口だけだし。」

「期待したのに!」


そう言えば、及川は私といる時はコロコロと表情を変える。逆に私は、及川の前では笑いもしないらしいので、真逆だ。それもそれで、ちょっと面白い。


「私、及川の笑顔が苦手だ。」

「・・・んん!?」

「さっきの方が、大分マシ。」

「ま、マシ!?好きじゃなくて?」

「はあ?何言ってんのコイツ。」

「辛辣!」

「あー、まあ、あれだ。」

「?」

「気が向いたらバレー部にヤジ飛ばしに行っても良いと思うから、その肥溜めに突き飛ばしたくなるような笑顔を止める練習しといて。」

「酷い言われよう・・・。」

「そしたら、好きになるかもね。」


思惑通り、友人がやって来た。おせーぞー、なんて言いながら及川の隣を離れて友人の元へ近付く。ごめんごめん、なんて友人は笑うが、きっと反省なんかしていない。この子はこの子で、及川と私の話す時間を設けようと遅く遅く準備を済ませているのを、私は知っている。当番制だった鍵の管理を、彼女は自ら進んでやっているそうだから。


「じゃあ、また明日。」


すれ違いざま、及川に声をかけたが返事は返ってこなかった。俯いて顔を抑えて、私の知らなかった顔色をしていた。

グッドスターター
20140527
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