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「痛い・・・」

じくじくと地味な痛みを訴える右手の甲に出来た小さな怪我は、俺に不快感を伴わせた。
中指の付け根あたりにできた切り傷。
これは、先ほどの昼休みに閻魔とともに松尾先生の部屋(と勝手に俺たちが呼んでいる校舎はずれにある小さな研究室)の中に鎮座している、段ボールで作られたメカマツオ号とやらで遊んでいる時にできた傷だ。
ちなみに、俺の怪我よりも大怪我を負ったのはメカマツオたちのほうではある。
松尾先生は今頃あの部屋の惨状に泣きそうになっているのかもしれない。
いや、泣いていそうだ。

それにしても。
紙で切ると痛いと言うが、段ボールで切っても痛いらしい。
大して血が出ることもなかったが、その切り傷の周りは赤く腫れてしまっていた。
しかも、傷の出来た場所が悪かったらしい。
さらに利き手。
机の中から教科書を取り出すとき、ロッカーを開けるとき、荷物をとるときなど、思いがけず何かとぶつかるのだ。
その度にずきりと痛むそこは、一向に赤みが引くことはなかった。

痛いとぎゃあぎゃあと騒いでみたところで、周囲の反応は目に見えている。
はいはい、と冷めたような目で見られるのがオチだ。
保健室に行ったところで、簡単に消毒液をぶっかけられて終わりだろう。
しかも確実に痛い。消毒液なんて痛いに決まっている。
そう思うと保健室に行くのも億劫で、放置していたのだが。
結果、いろんなところにぶつけられた傷ははじめにできた切り傷よりも悪化しているように感じられた。

小さくため息をついて、次の授業の教科書を机から取り出す。
またずきりと傷が痛み、顔をしかめた瞬間。

「あ、いた!太子!」

廊下側の廊下から顔を覗かせた妹子に名前を呼ばれた。
俺の席は廊下側。
ようするに、真横に妹子の顔。

「いい加減、僕の英和辞書返してくださいよ」
「君はいい加減、俺を先輩と呼びなさいよ」

二つ上の学年である俺を、この後輩は呼び捨てで呼ぶ。
それがいやな訳ではないけれど。
そろそろ取りにくるだろうと思っていた辞書を机から取り出した。
今度はどこにも傷をぶつけることはなく、痛みを感じることはなかった。
思わずふぅ、と小さく息を吐く。
そして立ち上がることもせずに、窓からはい、と辞書を手渡すと、妹子はそれを当たり前のように受け取って、その手の中に収めた。

「なんで僕があんたなんかを先輩と呼ばないといけないんですか。いやですよ、敬ってる訳でもないし」
「またまた、そんなこと言って。妹子、俺のこと大好きなくせに」
「辞書の角で頭殴られたいですか」
「それは勘弁してください」

思わず頭を下げて懇願すると、妹子はなぜだか楽しそうに笑った。
彼は、気づいているのだろうか。
敬っていないと言いながら、先輩とは呼ばないといいながら、敬語で喋っていることに。
そこが彼の可愛らしいところだと、俺は常々思っている。

あ、という声が重なると同時に、もう耳に馴染んだ学校独特のチャイムが響きわたった。
がやがやとうるさいままの教室の中に、廊下から生徒たちが続々と入ってきているのが視界の端に映る。

「じゃあ、今度から貸したものはすぐに返してくださいよ!子供じゃないんだから」
「はいはーい。気をつけるよ」

絶対嘘だよな、などとぶつぶつ呟きながら俺から目線をはずした妹子が一歩踏み出した。
彼の教室は一階下にある。
ここからすぐに移動しても2,3分はかかるだろう。
先生がもう来ていなければいいけれど。

「そうだ」

妹子が方向転換したのを確認し、教室の中へと視線をやった矢先にもう一度少し高めの彼の声が鼓膜に響く。
自身の教室に向かったはずの妹子は、先ほどと同じ場所に立っていた。

「これ、あげます。ちなみにこれ貸しなんで、ちゃんと借りは返してくださいね、太子」

それじゃ、と言って駆けだした妹子の背中を思わず窓から身を乗り出して見送った。
俺の掌の中には、絆創膏。

今日の放課後、カレーくらい奢ってやろうか。
嫌そうな顔をした妹子を想像して思わず吹き出した。


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10.05.07


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