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「鬼男くんの将来の夢って何?」

執務時間中、僕の上司である閻魔大王は気だるそうに机に頬杖をついてそう尋ねた。
その態度とは裏腹に、彼の瞳は興味津々にこちらを見つめている。
その視線を無視して、僕はテーブルの上の書類から顔を上げようとはしなかった。
目を合わせてしまえば、きっと彼の餌食になってしまう。
そうなることはすでに体験済みだ。
今までも幾度となく、大王のいたずらや遊び、いわゆる暇つぶしに付き合わされてきた僕の経験が、目を合わせてはだめだと言っている。

「そんなこと言ってないで手を動かしてください。今日も残業する気ですか。僕は手伝いませんからね」
「えー、またまたそんなこと言って。優しい鬼男くんはちゃんといつも付き合ってくれるじゃないか」
「あんたが仕上げた書類に目を通さないと不備だらけなんです。いい加減、書類くらい一人で仕上げれるようになってくれないと困ります」
「いいんだよ。鬼男くんがいるんだから」

一瞬、言葉を失った。
そして思わず、書類に書き込もうとしていた文字を間違えるところだった。
大王が、本当は何もかも一人でこなせる能力を持っていることを僕は知っている。
だらだらと過ごして仕事をしない、仕事をしても間違いばかりの書類を作成する、天国と地獄を逆に言い渡してしまって散々な目に遭うこともある。
それでも、大王は強い人なんだろうと僕は信じている。
でなければ、この役職は勤まらないだろうとも思う。
目の離せない此の人の隣で仕事をしていると、強くそう感じることができる。


僕が黙っているのをいいことに、大王は話を再開させた。

「人間は、必ず夢というものを持っているんだ」

ぎぃ、と大王の座る椅子が鳴る。
未だ目をそちらに向けていない僕には、今大王がどんな体勢をとっているのかは分からない。
きっと体重をかける場所を変えたのだろう。
椅子の鳴いた音からそう結論付ける。
僕は言葉を発しなかった。書類からも目を離さなかったし、大王と目も合わさなかった。
けれど、持っていた筆をことりと置いた。
それに満足したのか、合図だと思ったのかは分からないが、大王はまた話し始めた。

「将来、何年か後、自分はこういう職業に就きたい。様々なところに遊びに行きたい。幸せな家庭を築きたい。
しかもそこには多くのものが付随する。できるだけたくさんの給料を貰いたい。なるべく楽な仕事がいい。美人な奥さんがいい。格好いい旦那さんがいい。
人間は、欲望という醜い言葉を、夢という綺麗な言葉を使って言い換えているんだよ」

滑稽だと思わないかい?
そう言った大王の声は、楽しむわけではなく、悲しんでいるわけでもなく、ただ単純に不思議そうに音を言葉に乗せているだけのようだ。

「夢とは欲望だ。なぜ綺麗な言葉に言い換える必要がある。そしてそれが叶う保証もなく、ただ己の欲望を吐き出しているにすぎない。それなのに人は夢を語るとき、必ず笑うんだ」

今、大王はどんな表情をしているのだろう。ふとそう思ったけれど、顔を上げることはしなかった。
僕の視線は未だ書類に向けられているけれど、そこに書かれている文字列は、もはや僕の脳には届かない。
目を合わせなくても、結局僕は大王に勝てないのかもしれない。

「大王。僕の夢は何かって言いましたよね」
「うん。聞いたよ」
「特にありません」

はっきりとそう言いきった僕は、そこでやっと大王の顔を見た。
意固地になって見なかったその顔は、見飽きるほど見た顔だというのに少し新鮮だ。

丸く目を見開いた大王は、その直後に肩を震わせて笑いだした。
僕は何か面白いことを言っただろうか。

「君は本当おもしろいね。本当にないの?」
「ないもんはないです。とりあえず今のところ」

へぇ、と大王が呟いた。
目を細めた大王は僕を見つめたままだったから、僕も彼から視線を外すことはしなかった。
もう一度、ぎしと椅子が鳴った。

「僕は今のところしっかりと働く場所は提供されているし、まぁ上司が選べなかったのは不本意ですが」
「こらこら」
「給料面も特に困ったことはありませんし、まだ結婚しようとも思ってません」
「鬼男くんって、変な子だねぇ」
「あんたには言われたくないです」

大王は一瞬どこか遠くを見た後、優しげにふっと笑った。
一体此の人は何を想って、何を感じているのだろう。
ふと大人な表情を垣間見る時、僕はいつもそう思う。
僕よりも長い年月を生き、全てを背負って立つ彼を、僕はただただ見つめることしかできないけれど。
それで彼が笑ってくれるのならば、それはそれでいいのかもしれない。


「あぁ、大王。夢、ありました」

え、何々?と興味津々に身を乗り出してきた大王に言い放つ。
その姿はまるで色んなことに興味を示す子どものようでなんとなく不思議な感じがした。
先程の大人な表情はどこに消え去ったのだろう。
そんな二面性を持つ人に僕は言う。

「大王がさっさと書類を仕上げることです」

にっこりと笑ってそう言った僕に対し、がくりと、うなだれた大王の首が、聞くんじゃなかったと言っているようで思わず吹き出しそうになる。
一言、付け加えてあげよう。

「早く仕事が終わったら、飲みに行きましょうね」
もちろん、大王のおごりで。


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10.04.24



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