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夕暮れ。
夕日も陰り、薄暗くなった部屋に一人。

「平和島、静雄」

ぽつりと、一人の男の名前を呟くと、思ったよりもそれは部屋に響いた。
座っている黒い革張りの椅子の背もたれに背を預けると、キィと鳴った音が、響いた声に重なった。
すでにスクリーンセーバー画面に切り替わっている目の前のパソコンから視線を外して、部屋の扉を見つめる。
すぐに、その扉は外から開かれた。
それと共に部屋に入ってくる男の影。

「てめぇは予知能力者かなんかか」
「まさか。この部屋に無言で入ってくる失礼な奴なんて限られるからね」

チッと舌打ちをした静雄は音を立てることなく、その長い脚を動かして、机を挟んだ俺の正面、そこで立ち止まった。
彼はその見た目、言動からは想像しづらいが、普段の何気ない所作は綺麗だ。

スラックスのポケットに入れていた手を出したかと思うと、その瞬間に投げつけられた物体。
俺の顔の横に飛んできたそれを右手で受けると、パシンと掌に固い金属の感触がした。

「どういうつもりだ?」
「なにが?」
「それ、どういうつもりだって聞いてんだよ」
「俺からしずちゃんへのプレゼント、って言っても信じてくれないよね?」
「ただの嫌がらせだろ」
「失礼だなぁ」

俺なりの愛情表現なんだけど、と言いながら手の内にあるシルバーの鍵を真上に放り投げると、それは重力に従ってまた俺の手の内へと返ってくる。
投げつけられた鍵は、3日前に静雄の家に置いてきたものだ。
寝ている静雄の横。その枕元に。

「で、何しに来たの?しずちゃん」

目の前の男にニコリと微笑んで問いかけると、サングラス越しに薄く見える静雄の目が一瞬揺れた。
足を組み直したら、またキィと椅子が鳴る。

「鍵を返しに来た?律儀だね。鍵なんて適当に捨てることだってできる。わざわざ嫌いだと公言してる男の家まで届けるなんて、しずちゃんいつからそんなに優しくなったの?あ、それとも俺に会いに来るための口実だった?」

そこまで一気に喋ったところで、振動。
静雄が手をついた机が揺れた。
そして近くなる距離。

「そうだって、言ったらどうする」
「っ、そんなこと言う行動じゃないでしょ、これ」

胸ぐらを捕んでいる状態で、そんなことを言うのかこの男は。
顔が、近い。

「会いたいなら、最初からそう言え。回りくどいやり方はすんな」
「誰も会いたいなんて言ってない」
「そうか。なら俺は帰る」

離れていく手。
解放されて酸素を取り入れたがる喉元。
外された視線。

気付くと、俺は静雄の腕を掴んでいた。
机越し、遠い距離。
やっとのことでなんとか掴んでいる状態。
振り払うことなど安易だろう力を、彼は拒否しなかった。

「…帰るんじゃないの?」
「俺とは会いたくないんじゃなかったのか」
「しずちゃんってさ、意地悪いよね」
「てめぇにだけは言われたくねぇな」

掴んでいた腕を自ら離し、浮かせていた腰を椅子に落ち着けた。
馬鹿らしい。
最初から、静雄は帰る気なんてないのだから。
その挑発に無意識に乗っかる俺も俺、なんだけど。

「ねぇ」
「あぁ?」

振り向いた静雄に両手を差し出す。
意味を分かりかねている静雄に向かい、ほら、と先を促すとがしがしと乱雑にその金色の頭を掻いた。
呆れたようなため息をひとつ零して俺を見据えた静雄は、仕方ないとばかりにつかつかと歩み寄って俺を担いだ。

「ちょっと、他に運び方あるんじゃないの」
「黙ってろ、荷物は大人しく乗っかってればいいんだよ」

荷物とか超失礼なんだけど、なんて言葉は衝撃に飲み込まれる。
ぼすん、と体がスプリングに沈んだ。
投げられたベッドの上、文句を言おうとした唇はすぐに動きを止めた。
というより、止められた、と言った方が正しい。
降ってくる唇に答えるように首に腕を回すと、静雄の口角が上がったのが分かる。

「で、鍵は受け取ってくれないわけ?」
「いらねぇ」
「せっかく作ったんだけど」
「だから分かりにくいんだよ。会いたくなったら会いにこい」
「しずちゃんのくせに、なんかむかつく」
「俺は逃げねぇし、てめぇも同じだろ。だから俺は今日ここに来た」

会いたくなったからここに来たのだと、そう告げる男に負けを認めて頷いた。
目の前のサングラスを外すと現れた瞳に、とくんと胸が鳴る。
それを隠すようにいつもよりも饒舌な彼の唇に触れたのに、鼓動は強く打つばかりで結局意味を成さなかった。
ここに、いる。
あとはもう与えられる全てに、身を委ねてしまえばいい。

この男を奪うのは俺だけ。
俺を奪うのも、彼だけだ。



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10.11.04



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