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徐々に暖かくなっていく気温に、春が近付いてきているのだと気付く。
今日は妙に浮かれた空気がここ、池袋に充満していた。
始めは不思議に思ったけれど、昼過ぎにもなれば嫌でも理解させられた。
今日は、来良学園の卒業式だ。
朝は式が行われていたのだろう。昼過ぎになると、着崩した制服を身に包んだ学生たちが街に溢れかえっていた。

ちっ、とひとつ舌打ちをして煙草に火を点ける。
嫌なことを思い出しちまった。
俺にとって母校にあたるあの学園に、いい思い出なんてありやしない。
全てが、最悪だった。
そう、なにもかもが。


卒業式終了後、俺が愛着もなにもない校内から出ようと校門に向けて歩きだした瞬間、あいつは俺の目の前に現れた。
にやりと、いつもの笑みをその端整な顔に貼付けて。

「てめぇ…っ!」
「やだなぁ、しずちゃん。せっかくのおめでたい日なんだからさ、そんな恐い顔しないでよ」

殴ろうとした俺を、臨也は簡単にひょいとかわす。
飄々としたその態度も、人の悪そうな笑みを浮かべるその顔も、何かと俺に突っかかってくるその性格も、俺は大嫌いだ。
此の世界の誰よりも嫌いだと断言できる。
絶対に殺す。こいつだけは俺が殺す。

睨みつけながら、隙を窺う。
何をする気だ。
こいつが俺に話しかけてきて、何もないわけがない。
今までの経験上、それは断言できる。

ふと臨也の視線がずれた。
間合いを詰めてもう一度殴ろうと近づく。
すると、するりと逆に臨也も俺の方へと近づいてきた。
不意打ちをくらった錯覚に陥る。
今まで、あいつは逃げて遠のくことはあっても近づいてくることなんてなかった。

「ね、しずちゃん。これあげるよ」

避けようと思えば避けられたはず。
それなのになぜ、臨也は今俺の胸元に収まっているんだ。
今なら思い切り殴ることができる。殺せるかもしれない。それなのになぜ動かない。
どくん、と大きく心臓が鳴った。

「知ってる?第二ボタンってさ、心臓に一番近い場所にあるんだよ。心が欲しい女子たちは、その第二ボタンを欲しがる。俺はしずちゃんに心なんてあげない。
命だってもちろんあげない。だからさ、これで我慢しといてよ」

一瞬首もとに感じた熱。そして痛み。
臨也は、どんっ、と俺の胸元を突き返した。
反動によって俺は後ろによろける。
臨也は笑って言った。

「またね、しずちゃん。そのポケットの中の、大事にしてよね」

なんだ、今何が起こった。感じた熱は、痛みはなんだ。大きく脈を打つ心臓はなんだ。
何が起こったのか理解できずに呆然とする。
そして湧いてくる殺意。

絶対に殺す。あいつだけは生かしておかねぇ。
直後に見えたのは、臨也の駆けだした背中。
ポケットの中身なんて知らない。
確かめるのは後でいい。あいつを殺してからでいい。
追いかけようと足に力を込めた。


ふぅ、と空に向かって煙を吐き出した。
青い空が一瞬白く染まる。
すぐに風に吹かれて視界は元の色に戻った。
穏やかだった空気に、気に食わない陰を感じた。
投げ捨てた煙草を踏み付ける。
そして振り向いて歩き出す。
今日もまたいつもの日常が始まった。
手始めに、一発殴らなければ気が済まない。
ポケットに手を突っ込む。
あの日の夜、そこに感じた冷たい小さな物体は、今はもうない。


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10.04.16



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