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夏に近付くにつれて、どんどんと陽が長くなっていくのを感じていた。
部活後の自主練習も、太陽が沈まないため時間の確認が取りづらく、気付くと午後8時なんてことも頻繁にあった。
その度に、誰かに注意を受けたり呆れられたりすることもよくあること。
同じレギュラーメンバーか、家族のなかの誰か。

自主練習の最中、カゴの中からボールを取り出そうとしてすでにカゴの中が空になっていることに気づく。
そんなに打ち込んだ覚えはないが、それも時間感覚と同じく、集中していると気付かないものだ。
額から流れる汗を拭おうと、ラケットを持ってない右腕で前髪をかきあげてみたけれど、右腕も汗をかいているのでほとんど意味はなかった。

一度大きく息を吸い込んで、目を閉じた。
そっと静かに息を吐き出しながら思う。
今年こそは、と。
勝ちたい。なんとしてでも。
これがラストチャンス。

ぎゅっと、ラケットを握りしめた。
もう手に馴染んでしまったグリップに、安心した。

さぁ、ボールを片づけて今日は帰ろう、そう思って体勢を変えようとした瞬間、がしゃん、とフェンスが大きな音を立てた。
残っているのは自分一人なはず、そう思っていただけに驚いて振り返ると、一瞬だけ、オレンジ色に輝いているものが見えた。
逆光になっていてシルエットしか分からないけれど、瞬時に謙也だということが分かる。
だてにもう何年も一緒にいるわけではない。
謙也の金色の髪が夕日に照らされてオレンジ色に見えたのだということが分かった。

「謙也・・・?帰ったんやなかったん?」

近づいてくる影に呼びかける。
返事はない。表情も見えない。
こちらも黙ってじっと見つめていると、近付いてくるにつれて徐々に表情が見えてきた。
思った通りその影は謙也だったけれど、表情は少し怒っているようにも見えた。

目の前で歩みを止めた謙也は優しく、それでも力強く俺の左手首を握った。
金太郎の前では武器にもなるその左腕の包帯は、練習のせいだろう、ほどけそうに緩んでいた。

「また、こんななるまで練習してからに。俺との約束はどこにいってしもたんかなぁ、白石くん?」

う、と言葉に詰まる。
しどろもどろに謙也への言い訳を考えている自分を千歳あたりが見たら驚くかもしれない。

「すまん・・・」

結局なにも言い訳が見つかることもなく、素直に謝った。
これだけコートに散らばったボールに、すでに沈みかけた夕陽、そしてほどけそうな包帯。
これを見られてしまった以上、言い訳が通じるとは思わない。
しゃあないなぁ、と謙也は笑う。
そして握っていた俺の左腕を少し高く上げ、ラケットを取り上げてからそっと包帯を巻き直してくれている様子を俺は黙って眺めていた。

「もうあれから一年やなぁ。あっという間やわ」

謙也は俺を見ることなく、そう言った。
一年前に見た記憶の中の景色と、ちょうど今見ている風景とが交差した。


***


二年で部長に抜擢された。
そのプレッシャーは大きかったし、それを克服しようと一年のときよりも何倍も練習を重ねた。
秀でて才能を持っているわけではなかったし、自分自身の力でどうにかするしかなかった。
全体練習後も一人残って練習の毎日。
練習自体がしんどいわけじゃなかった。苦しくもなかった。
ただ、プレッシャーだけが圧し掛かる。重たかった。

練習を重ねるごとに、左手の肉刺は増え、堅くなり、時には皮が剥けて真っ赤に腫れた。
それでもラケットを握りつづける俺に、謙也は言ったのだ。

『いい加減にしぃや。なんでお前一人が全部背負う気やねん。周りも見んと突っ走って。頑張るんはええ、でも限度はある。それ以上怪我してみ、元も子もないやろ』

驚いて呆然としていた俺に対し、謙也は一人怒ったように、そしてどこか悔しそうに、阿呆と呟く。
そして何かを思いついたのかハッとして、ちょっと待っとき、そう言って俺に背中を向けて駆けだした。
未だその場から動けない俺は、謙也の言った言葉を頭の中で繰り返し、必死に意味を理解しようとしていた。

謙也はすぐに包帯片手に戻ってきた。
何をするのかと思って黙っていると、俺の左手を戸惑いなく握り、持ってきた包帯をそっと巻き始めた。

『ええか、この包帯はストッパーや。練習するなとは言わへん。けど、この包帯がほどけたらタイムリミット。それ以上の練習は禁止や。しかもほら、肉刺に絆創膏貼るよりええやん?』

あ、しゃあないから部活の合同練習とか試合とかはノーカウントな、そう言って笑った謙也に、やっとのことでこくりと頷いた。

それ以来、プレッシャーが全てなくなったわけじゃなかった。
それでも、左手の包帯を見ると心が軽くなった。
一人じゃないんだと、そう思えた。
そう思って周りを見渡すと、謙也が、仲間たちがいた。
あぁ、謙也が言っていたのはこういう事だったのかと、理解した。


***


ぽん、と左手の甲を叩かれて我に返る。
ほどけかけていた包帯は、綺麗に巻きなおされていた。

「ほら、さっさとボール片付けて帰るで」

あ、たこ焼き食って帰るかー、それともこんだけ暑いしやっぱアイスかなー。
遠くに聞こえる謙也の声を聞きながら、ぼうっと左手を見つめる。
あの時と同じ真っ白な包帯。
ぎゅっと左手を握りしめ、ありがとうと、声に出さずに呟いた。
その言葉はまだ取っておく。
まだ、言う時じゃない。


「これで全部」

ほい、と謙也が優しく放り投げるように投げたボールはぽん、とカゴの一番上に乗っかった。
溢れそうになるほどボールがいっぱい入ったカゴの取っ手の左右を謙也とひとつずつ持って歩き出す。
なんだか一年の頃にやったことがあるなぁと意識の端っこで思った。
くい、と引っ張られて立ち止まる。
謙也が立ち止まったので、それと同時にカゴによって引っ張られたのだ。

「頼りにしてんで、部長」

にっと笑って俺の目を覗き込んだ謙也に、任しとき、と強気に笑い返した。
もう何も怖くはない。

みんなで、夢の場所に立とう。
騒がしい未来が、待ってる。



**********

10.07.17

この後、部室に戻ったら実は全員まだ残っててみんなでわいわいしながら帰る四天って可愛いと思う。
騒がしさの中に見えるほっとする優しさって素敵。


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