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*大学生設定

お盆には一度帰ってこいと両親に言われた、とそう言って千歳が熊本にある実家に帰っていったのは5日前。
二人で暮らしているこの狭いアパートも、あのでかい男がいなければどことなく広く感じてしまうのだから不思議だ。
中学高校と同じアパートで暮らしていた千歳は、大学入学をきっかけにそれよりもいくらか広いアパートへと引っ越した。
俺と一緒に暮らすためだ。
千歳は中学を卒業しても高校を卒業しても実家に帰ることはなかった。
俺と離れたくない、そう言ってくれる千歳に甘え、そして安心していた。
ずっと隣にいてくれるということが、当たり前な日常になっている。

千歳がこんなにも長い時間、俺の元に帰ってこないのはいつぶりだろうか。
今までも夏休みや冬休みなどの長期休みには実家に帰っていた千歳だが、いつも3日前後で帰ってきていた。
さすがに実家に帰るのにその日数は短すぎるだろうと言っても、実家に帰っても大してやることはないし、いつものようにふらふらしているだけなら一緒だと、そう言って笑っていた。
けれど今回は、初盆なのだという。
きっと親戚の人が多く集まっているのだろう。
さすがに千歳もそれでは帰ってこれないだろうし、それに文句を言うつもりもない。
ただ、少し寂しいと感じているだけで。


風呂上がりにぼうっとテレビを見ていると、携帯が着信を告げた。
こんな時間に誰だろうと発信元の名前を見ると、今頭の中心にいた人物の名前。
思わず口が綻んだ。
そしてすぐに通話ボタンを押す。

「もしもし、千歳?」
『蔵、今なんしとう?』

久しぶりに声を聞いた。
たった5日、されど5日。
長いなぁ、と思った。

「今風呂出たとこ。千歳こそ、実家満喫しとる?」
『満喫も何もなか。親戚の人らに質問責めばい』
「質問?何の?」
『恋人はおるんか、どんな子や、って。とにかく誰にも負けんくらいの美人で性格も言うことなし言うたら、大変なことに』
「阿呆か」

本当のことやけんね、そう言ってくつくつと電話の向こうで笑う声が愛おしい。
顔が見たいなと思う。
そんな可愛らしいことなんて言えやしないけれど。

『な、蔵。ベランダ出れる?』
「ベランダ?なんでまた」
『ええけんええけん』

千歳の言うとおり、ベランダに出る。
むわっと、夏独特の湿気を含んだ熱気を全身に受けて思わず顔をしかめた。
風呂上がりでさっぱりとしたところだったのに。
それを示すかのように、ぽたりと前髪から水滴が落ちて頬を流れた。
それを右手で拭いながら、千歳に問いかける。

「なんでまたベランダなん?」
『今日は流星群がみれるて、親戚のおっちゃんが言うとったと』

あぁ、それで。
納得して、空を見上げた。
ここは住宅街の一角。
開けた場所ではないし、田舎のように空気が澄んでいるわけでもない。
主役である星はいくつかちらほらと見えるくらいだった。

「あんま、見えへんなぁ」
『あー、明るいっちゃね、そこは』

素直に見えないことを伝えると、そういえばそうだ、とでも言うような返事が返ってきた。
熊本では、綺麗な星空が広がっているのだろうか。
どれくらい流れ星が見れるのだろう。

「そっちは?綺麗に見えてるん?」
『そうっちゃねぇ。今俺んおるとこはあんま見えん』
「なんや、そっちも見えへんのやんか」

もしかしたら、という希望を持って空を見上げているけれど、やはり流星群が見えそうな気配はない。
もったいないなぁ、と思うがこればかりはどうしようもない。

ふと、会話が途切れていることに気づいた。
せっかく千歳から電話してきてくれたのに、そう思って何か話題を探そうとしたところで、カンカンカンとアパートの階段を登る音が聞こえてきた。
誰か同じアパートに住む住人が帰ってきたのだろう。
あの足音が千歳だったらいいのに。
今すぐ俺の元に「ただいま」と言って帰ってきてくれたらいいのに。
そう思ってしまったら、どうしようもなくてつい声に出してしまっていた。
さっきは、そんな可愛らしいことなんて言えないって思ったところだったのに。

「な、千歳」
『ん?どげんしたと?』
「会いたい」

電話の向こうで、千歳が息を呑んだのがわかった。
普段そんなことを言う俺ではないから、きっと戸惑っているのだろう。
そもそも、九州にある熊本と大阪の距離は遠い。
今すぐ会いたいだなんて、そんなこと到底無理だ。
現実的に考えても、きっともう飛行機も新幹線も動いている時間ではない。
それなのに。

「千歳に会いたい」

5日、だ。
たった5日でこんなにも彼が恋しくなるなんて。
きっと自分には遠距離恋愛なんて向いていないんだろうな、とどこか人事のように頭の片隅で考えた。

『蔵』

機械を通した千歳の声が、耳元で響く。
本当はそんな機械じみた声が聞きたいわけじゃないのに。

『玄関、開けてくれんね』

は?と思わず間抜けた声が出た。
玄関。なぜ。

『蔵』

もう一度、名前を呼ばれてはっとした。
先ほど聞いた足音は、どこで止まっただろう。
もしかして。

ベランダから急いで玄関までを走る。
もしかしたら下の階の人に響くかもとか、肩にかけていたタオルが肩から滑り落ちたことも、そんなこと気にしている余裕なんてなかった。
携帯は途中で放り投げた。
もうそれは意味をなさない。
だって彼はそこにいる。

裸足で玄関に降りて、がちゃりと鍵を開ける。
開いた玄関の扉の先、会いたくて会いたくて仕方なかった人がそこにいた。
背伸びをして彼の首に腕を回す。
千歳は俺が裸足なことに気づいたのか、片腕で簡単に俺を少しだけ持ち上げた。
そのまま、開けっ放しの玄関のドアを後ろ手で閉める。
ばたん、と聞き慣れた音が響いた。

「蔵、今日はいつも以上にむぞらしか」
「…なんで?」

ん?と千歳が首を傾けた。
今更突然抱きついたことが恥ずかしくなって、俺は顔を上げられない。
首筋にぎゅっと額を押しつけて返事を待つ。
しばらく質問の意味を考えていた千歳が、今度は両腕で俺を抱き上げて言った。
俺を抱き上げる手と反対に持っていた荷物は、いつのまにか玄関の床の上だ。

「流星群、蔵と見たかったけんね。急いで帰ってきたばい」

千歳は俺を抱き上げたまま歩きだした。
急なことで体勢を崩しかけて思わずぎゅっとしがみつく。
それに比例するように、千歳が俺を抱く腕も強くなった。

狭いアパートの中。
いくらも進まないうちに、俺はベッドの上へ放り投げられた。
いや、放り投げるというには語弊があるかもしれない。
だってとても優しい仕草だったから。
覆いかぶさるようにして俺の髪をそっと撫でる千歳を見上げる。

「お前、流星群はええんか」
「んー。こっちじゃ見えんとだろ?」
「俺と流星群見たかったんとちゃうん」
「口実ばい。本当は蔵が見たかったと」
「俺にベランダ出ろ、言うたくせに」
「普通にしとったら、蔵は気付くやろ?サプライズばい」

驚いた?とにこりと微笑まれてしまえば、もう何も言えなかった。
苦し紛れにでも、阿呆と一言呟こうと思ったのにそれすら目の前の男に飲み込まれてしまえば、もう俺に打つ手はない。
どちらにしろ、久しぶりに感じる愛しい熱に翻弄されるほかないのだ。
その前にこれだけは。
キスの合間にそっと告げる。

「千歳、おかえり」

俺の真上。
目を細めて、千歳はただいまと囁いた。


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10.08.20



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