402

光は今、風邪をひいて寝込んでいるらしい。
らしい、というのは、今日彼が学校を休んで実際に俺が本人に会っていないから。
テニス部の部長である、同じクラスの白石から聞いた話だ。
今日の朝練には参加できない、と朝早くにメールが送られてきたのだという。
俺の元には、今日はまだ一通もメールは来ていない。
もちろん電話もかかってこない。
一応、光とは恋人という関係、だ。
何度かデートしたし、それなりに恋人っぽいこともした、と思う。
それなのに、恋人には連絡のひとつもないなんて。

「おい、謙也、謙也?」
「うおっ、びっくりしたやん白石。何?」
「何てお前、もうホームルーム終わったで。ぼうっとしすぎやろ」
「あー、すまん。ほな、部活行こか」

がたっと椅子を鳴らして立ち上がった俺を、前の席に座っている白石が呆れたように見つめた。

「ほんまにぼうっとしすぎやわ、謙也。今日の放課後練習は休みや。オサムちゃんの出張に合わせて、コート整備するって朝練のときに言うたやろ」
「あ…」

なんとなく恥ずかしくなって、誤魔化すようにがしがしと頭をかいた。
そして今度は音も立てずに、すとんと座る。
あー・・・と気の抜けた声を出して机に突っ伏した俺の頭を白石がぽんぽんと撫でた。

「まぁ、何が原因かなんて分かっとる。つーわけで、これをお前に託すわ」

かさ、と音を立てた“これ”を確認しようと顔を上げる。
そこにあったのは何枚かの紙束だった。

「なん、これ」
「財前のプリント。今日配られた宿題やら資料やら。担任の先生から預かってきてん」
「なんで」
「なんでて、お前財前の様子気になるんやろ?それ持ってお見舞い行って来たらええ。どうせ謙也のことや。なんか理由でもつけんと行かへんやろ」

そう言ってにっこりと笑った白石に後押しされ、俺はそのまま教室を出た。
というか、押し出された。
うじうじしてないでさっさと行け、ということなんだろう。
彼は顔に似合わず、案外男らしかったりもする。
千歳のことになったら、それはまた別の話だけれど。

* * *

何度か光と歩いた彼の家までの道のりを今日は一人で歩く。
この道を一人で歩くのは初めてだからだろうか。
なぜだか少し落ちつかない、ような気がして仕方がない。
景色は普段と何一つ変わらないのに、いつもと違う道のようだ。

光の家の前。ひとつ深呼吸をしてチャイムを押した。
ぴんぽーん、と間延びした音が響く。
機械越しに聞こえた声は、光の義理の姉の声だった。

『謙也くんやん。光にお見舞い?ありがとなぁ。今玄関開けるな』
「あ、はい。ありがとうございます」

玄関から顔をのぞかせた彼女は、笑顔で俺を手招きした。
それに従って家の中に入る。
光の部屋は分かるよな、と聞かれ頷いた。
その拍子にかさりと音を立てたビニール袋に気付いたのか、お義姉さんは笑った。

「光も喜ぶわ。ぜんざい、買ってきてくれたんやろ?」
「お見通し、ですか」

ふふ、と笑われて少し居心地が悪い。
私はリビングにおるから何かあれば言って、とそう告げて彼女はリビングの扉を閉めた。
光の部屋は2階に上がった先の突き当たり。
俺はリビングの扉が閉まったのを目で確認してから、まっすぐにそこへと向かった。

「光?」

とんとん、と一応小さくノックをしてから名前を呼ぶ。
しばらく経っても返事が返ってこない。
寝ているのか、そう思ったけれどここまで来て光に会わないまま帰るのも切ない。
部屋の扉の木目を見つめながらどうしようかと考える。
光が寝ているのなら、寝ていてもいい。一目だけでも様子を見て帰ろう。

そっと扉を開くと見えたベッドの中には、シーツにくるまったままこちらを向いて寝転んでいる光の姿。
生意気そうな目がちらりとこちらを見たかと思うと、光は分かりやすくため息をついた。

「なんや、起きとるんやん。返事せぇや。しかもそのため息。せっかく恋人が見舞いに来てやったんやからもうちょい嬉しそうにしたらどうや」

ベッドに近づいて、しゃがみこんで顔を覗き込む。
いつもよりも赤い頬に、気だるそうな表情。
どきりとしたなんてことは、光には一生黙っておこうと思った。
それにしても、いつもなら文句のひとつやふたつでも言ってくるこの後輩が今日はやけに静かだ。

「光?」

不思議に思い、はて、と首をひねる。呼びかけても声を発しようとしない。
ふるふる、と首を振る様を見てさらに不思議に思ったが、ふと気付く。

「お前、声」

今度はこくり、と頷く。
風邪が喉にきているのか、声を出すことができないのだということに気付いた。

「なんやお前、喋らんかったら…」

可愛いのに、という言葉は飲み込んだ。
目の前の病人は明らかにこちらを睨んでいる。
光は可愛いと言われることを嫌う。
俺には毎日のように言ってくるくせに。
年下というのを気にしている、のだと思う。
そんなに気にすることではないと常々思っているが、本人がひどくそれを気にしているのでそう言ったところで光の問題解決にはならないのだろう。
変なところで子どもっぽいのだ。

熱は、食欲は、薬は、と単語を並べるとそれに対して首を横に振ったり縦に振ったり。
湧きあがる笑いをかみしめるのに精いっぱいだった。
こんなに可愛い光を見たのは初めてかもしれない。
いつも大人びた表情で、しかも俺の前ではさらに大人っぽく自分を見せる彼だからこそ新鮮だ。

「これ、預かってきたプリントな。あとぜんざい。お前好きやろ。食べたいときに食べ」

ここに置いとくで、と部屋の中央に置かれた丸テーブルの上にそれらをまとめて置いた。
ベッド横に戻り、そっと光の黒い髪を梳く。
前髪越しに感じた額の熱さに、思わず驚いた。

「光、お前熱ない言うたやろ。めっちゃおでこ熱いやん!」

じっと見つめてくる目をこちらも見つめ返す。
どうせ、心配するほどのもんやないとでも言いたいのだろう。

「俺はお前の恋人や。心配する権利くらいある。ええか、今日はしっかり食べて薬飲んで寝るんやで。無茶だけはせんこと」

ぴっと人差し指を突き付けてそう言った俺を目を丸くして見上げる光に笑いかける。
よしよし、と子どもにするように頭を撫でても今日は何一つ文句を言わない光につい頬が緩む。
光自身も風邪をひいて弱っているからか、目を閉じて大人しくそれを受け入れていた。


「ほな、俺は帰る。あんまりここにおって光の風邪悪化させてもあかんし」

しばらくお互いに何も言葉を交わすことなく時間が過ぎた。
どれくらいここにいたのか分からないが、窓の外からかぁとカラスの鳴く声が聞こえてはっとした。
近くに放っておいた鞄を手に取り立ち上がると、シーツから伸びた光の手に手首を掴まれた。
光の口が動く。

す、き、や。

間違いでなければ、光はそう言った。
今、きっと俺の顔は光異常に赤くなっているだろう。
それくらい頬が熱い。

「不意打ちすぎるやろ、あほ」

掴まれていた手が解放されたと同時にその手で顔を覆った。
その瞬間、意地悪くふっと笑う光の表情がちらりと目に入って更に頬に熱が集まる。
どうしようもなく、彼が愛しいと思った。


**********

10.05.28


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -