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現在の時刻は午後5時。
空色から茜色へと移り変わる、そんな時間。
そんな時間に俺が今どこにいるかというと。

「あ、兵助ー、お茶くれ」
「ん」

律儀にペットボトルのキャップが外されたお茶のパッケージが、運転席と助手席の間から見えた。
「さんきゅ」と言いながら、運転席に座ったハチはそれを受け取る。
ここからはハチの顔は見えないけど、きっと兵助にしか見せないような笑顔なんだろう。
人付き合いが良いハチは、だいたいいつも笑顔で人と接しているが兵助に対するそれは少し違って見える。
まぁ、それに気付く人間も少ないんだろうから周りの奴らはそれに気付いてはいないだろうけど。

今俺がいるのは車の後部座席。さらに言うと運転席の後ろ。
大学一年の冬に買ったから、この車を買ってもうすぐ一年。
みんなで金を出し合って買った車は、中古でもそれなりに綺麗で乗り心地も良かった。
初めはみんな慎重に乗っていたはずなのに、気付くと後ろのバンパーはへこんでたし、左のサイドミラーには傷が付いていた。
小さい傷ならきっとまだまだあるだろう。
ついた傷は、バックで駐車場に入れるときに縁石に乗り上げた、とか細道で右ばっか注意してたら左こすった、とかそんなしょうもない理由。
この車はもうすでに傷だらけだ。
予定では大学卒業まで使い続けるつもりだからまだまだこいつには頑張ってもらわないといけない。
というか、頑張ってもらわないと困る。
都会だからと言っても、車はそれなりに重宝されるものなのだ。

「なぁ、ほんとどこ行くんだよ。そろそろ教えろ」

俺は行き先を知らない。
明日は朝から講義が入っていると言ったにも関わらず、無理やり連れ出されたのだ。
今俺の隣で眠っている雷蔵と一緒に。
雷蔵は車に乗ると眠くなるらしく、今日も車に乗り込んで30分くらいで眠り始めた。
いつものことだ。

「だから着いてからのお楽しみだって。そろそろ着くから」

赤信号なのをいいことに、ハチは後ろを振り向きながら答えた。
それに対して、前を見つめたままの兵助があと1時間はかかるんじゃないの?と言った言葉は無視するべきか、つっこむべきか。
どうせつっこんだところで答えてくれないのは目に見えてるから、スルーを選んだ俺は賢いと思う。

ハチの言葉にも兵助の言葉にも何も返さずに、ぼーっと窓の外を眺める。
一定のスピードにのって流れていく見慣れない景色。完全に茜色に染まった夕焼け。
こんだけ晴れてたら明日も晴れだな、なんてそんなどうでもいいようなことをつらつら考えていると、ラジオから流れてくるカントリー調の音楽にハチの歌声が重なった。
くせなのか、ハチは自分が知っている曲はもちろん、知らない曲でもテンションが上がるとよく聞き取れない言葉で歌を歌う。
といっても、ほとんど鼻歌に近いものではあるのだが。

「すいません、竹谷くんの声が大きくてラジオの音が聞こえないんですけどー」
「お前この前ラジオの音量上げろっていうから上げたら、上げたら上げたでうるさいっつってキレたじゃねぇか」
「それはそれ、これはこれ。つーかお前が歌うのやめたら問題解決」

文句を言いながら、ハチはラジオの音量を少し上げた。
鼻歌を止める気はないらしい。
絶対に本人には言ってやらないが、実はほんの少しだけ俺はハチのその鼻歌を気に入っている。
特別上手いわけでも、下手なわけでもないが、耳触りがいい。

しばらくすると、窓の外に海が見えてきた。
そういえば今年の夏は海に行かなかったことを思い出す。
なんだかんだで毎年海だプールだと夏を満喫していたものの、今年はみんなの予定が合わずに行けなかったのだ。
というか、みんなで予定を合わせてバイトやらなんやを休んだのにも関わらず、雷蔵が風邪をひいたり、兵助が急に大学の教授に呼び出されたりして遊びに行くことが叶わなかった。
どうせ来年も行くんだからいいか、と思ってはいたのだが、まさか。

「おい」
「んー、今度はなんだよ三郎」
「まさかとは思うがな、というかそうであってほしくはないんだけど。今から行くとこってもしかしなくても海?」

ばれたか、と言って呑気に笑うハチに一瞬思考が停止する。

「お、前!今何月だと思ってんだよ!10月!いいか、もう夏でもなんでもなく、秋!お月見!ハロウィン!」
「なんだ三郎、お月見とハロウィンしたいわけ?」
「じゃあ何とかまた予定空けるかー」
「そういう話してんじゃねぇの!つーか兵助、お前行き先知ってたんなら止めろよ」

こちらを振り向いた兵助はなんで?という顔をしていた。
頭がいいくせに、どうしてこう常識がないというか天然というか。

「別に海に入ろうってわけじゃないだろ?とりあえず、今年海に行けなかった分みんなで海に行こうっていうだけの話じゃん」
「そうそう。せっかくなんだからさ、今年もどうにか海に行こうと思って。入れないのは残念だけど」
「入れるわけがないだろ」

小さくため息をつく。
やっぱり無理やりにでも行き先を聞き出せばよかったのだ、車に乗り込む前に。
まぁいいか、と思ったあの時の俺を今なら全力で止めたかもしれない。
これだけ大声で話していたからか、隣からうーんという唸り声が聞こえた。

「雷蔵、起きたか。つーか、起きてお前からも一言言ってやれよ。今から行くとこどこだか分かるか?海だぞ」
「んー、海…?そっか海かぁ…今年行ってないもんねぇ」
「だろ?やっぱ一年に一回は行っとかねぇとな!」

まさか雷蔵まで敵だったとは。
俺の味方はいないのか。
この場にいる常識人は俺だけなのか。
以前、とある先輩から言われた、「お前、自分が常識人だと思ってるのか。そんなわけないだろ」という言葉が一瞬頭を駆け巡ったが、そんなのは無視だ。

いかにもショックを受けました、というような顔で隣を見ると、雷蔵は両手を上にあげ、欠伸をしながら体を伸ばしていた。
こちらを気にするようなそぶりは何一つ見受けられない。
今度は大きく思いっきりため息をついた。

「何、三郎。海いやなの?」
「だって考えても見ろよ、雷蔵。もう10月だぞ?なんで海なんだよ」
「え、だって別に海に入るわけじゃないんでしょ?」

兵助と全く同じ返答が返ってきた。
そうか、やっぱり俺の周りは敵だらけだ。

それなのに、なぜだかちょっと楽しくなってきてしまった。
結局こいつらに絆されて流される自分。
そんな自分も悪くない、と思う俺はやっぱり先輩の言った通りなのかもしれない。
ちょっと癪に障ったので、目の前にある運転席のシートを一回ドン、と蹴りあげてやった。
うおっ、というハチの驚く声が聞こえたのでよしとしよう。
文句は聞いてやらない。

隣を見ると、雷蔵はにこやかな顔で窓の外を見ている。
それはもう楽しそうな表情で。
左前の助手席へと視線をずらす。
先ほどハチが飲んでいたお茶を、今度は兵助が飲んでいた。
いまさら間接キスだなんだと気にする関係ではない。
お茶を飲む兵助の横顔も、いつもよりもほんの少し緩んでいるように見える。
ここからは見えないハチの顔も、きっと笑顔なんだろう。
俺も雷蔵に倣って、窓に向き直った。
景色を見ようと思ったはずなのに、窓に映った自分の顔が飛び込んできた。
しかも、それが思っていたよりも緩んでいたことに少し気恥ずかしくなる。
会話がなくなった車内には、またハチの鼻歌が響く。
先ほど音量を上げたはずのラジオの音はやっぱりあまり聞こえなかった。


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以前、ブログで書いた5年ドライブ話。

09/10/05


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