掴まれた手首はぎり、と音を立てた。
健全な痛覚は率直な痛みをそのまま脳に伝える。
痛、い。
痛いよと見上げた彼は、刺すような視線を俺に向けた。射ぬかれて、そのまま殺されるような、どんな銃より、どんな刃物より鋭い、その視線。
恐怖はしない。
振り払いもしない。だってそれは、意味をなさないから。
「放して」
「嫌だ」
こういうときばかり、彼は自分の意志を押し通そうとする。
腹が立つのは、歯向かわれたからか、それとも。
わからないけれど、シズちゃんは目を細めた俺を鼻で笑った。
ゴミを見るような目だと思う。いや、ゴミのほうがマシだろう。
俺は人と思われてない。
一際ぎしりと手首が軋んだ。
ちょっと、血が回らないから放してほしい。
腐ったらどうしてくれる。
シズちゃんは俺から目をそらす。
そらして、ふっと笑った。
笑った、というか、笑みがこぼれたというか。
もっと、よくない感じのする笑みだった。
「どうせ」
「…………」
「どうせ嘘のくせに」
「……ああ、嘘だよ」
「それも、嘘だろ」
「シズちゃ「手前は、全部、嘘だ」
怒ってる訳じゃないから、余計に居心地悪い。
嘘だよ、シズちゃんが好きだなんて。
当たり前じゃん。だって嫌いだもん。
嘘だよ、シズちゃんが嫌いだなんて。
嘘だよ、嘘………その、はずで。
嫌い、でも、好き。
俺もわからないんだよ。
だから、シズちゃんがそんな風に傷付いた顔をしても、俺は何も言えない。
反論も、同情もできない。
だって、俺が何か言えば嘘になる。
「嫌い」
「………」
「……好き」
「……………臨也」
「…………」
「嘘つくな」
視線が戻る。
交わった視線は、ちりちりと火傷のように痛む、それ。
目を見開いたまま固まった俺を、シズちゃんは笑う。貶すように笑う。
嘘、
嘘、か
俺の言ってることは、嘘か?
シズちゃんが言うように、これは嘘か?
全部、嘘、なのか?
好きだ、嘘じゃない。
嫌いだ、嘘じゃない。
でも、どっちも嘘だ。どっちもでたらめだ。
嘘を吐いた俺は嘘吐きのレッテルを貼られた。
嘘吐きな俺は、嘘を吐いたと嘘を吐く。
シズちゃんは、許してくれないだろう。
嘘が嫌いなシズちゃんは、俺なんかの存在を許してくれないだろう。
「嘘じゃない」
「………………」
「嘘じゃない」
「………………」
「嘘じゃない!!」
「………嘘だ」
ああ、おかしいな。
あんたを愛してる。なのにどうしてうまく伝わらない。
こんなちっぽけな想いの丈すら、一体どうして言葉にならない。
どうして、嘘になる?
嘘じゃないのに。
いや、でも、嘘なのかもしれない。
わからない、自分でも。
待ってくれよ、あと少し。自分の本当の気持ちを見つけるまででいいのに。
今じゃなきゃ駄目なのか?
ああ、違う。
もう遅かった。
時間がかかりすぎたのだ。
手間取りすぎたのだ。
だからシズちゃんは俺に裏切られたと思ってしまったんだ。
俺のせいだ。
全部、俺の。
俺が吐いた小さな嘘が、シズちゃんを壊してしまった。
いや、壊れたのは俺のほうなのかもしれない。
「嘘、だったんだ」
「…………」
「嫌いだなんて、嘘だった」
「………じゃあなんで、そう言った?」
「…………わからない」
「俺は、好きだったのに」
「………シズちゃん」
「信じてやったのに」
もう言い返せない。言い返すすべがない。
もう戻れないのだ。
お互いが自分のことを愛していると過信していたあの日には。
失われたわけだ。同情も、信頼も、愛情も。
俺が嘘を吐いたから。
どうして俺は嘘を吐いたのだろう。
わからない。本当に、理解できない。
ああ、でももう全部遅かった。
終わってしまうのだ。
全部。欲した、全部が。
「…………シズちゃん、」
「……俺は、好きだ」
「俺もだよ」
「…もう、嘘吐くな」
孤独なこの獣の心に癒えない傷を残したのはこの俺だ。
きっともう、俺の言葉を信じることはないのだろう。
愛してないと嘘を吐いた、俺の言葉など
もう一生。
心が軋む音と同じような
ぎしりというかたい音が
まだ掴まれたままの俺の手首から
悲鳴のように響いた。
――――――――
大事なものを失った臨也