寝苦しくて目が覚めた。



隣を見ればドタチンがすーすーと眠っていた。
ずっと俺を看病していたんだろう。
俺の額に乗ったタオルはまだ冷たい。


日が昇っているけど、外は静かだ。
きっとさっき起きたときからまだ二時間くらいしかたってないんだろうななんて適当に頭の中で予想して、意味もなく息を吐いた。


頭が痛い。


痛いくせに俺はドタチンを起こさないようにゆっくり起き上がって、ベッドから降りる。




「………ごめんね、ドタチン」






小さくそう呟いて部屋から出ると、ソファーの上に脱ぎ捨てられていた黒い上着を掴んで、袖を通す。
ふらふらと身体から力が抜けるけれど、なんとか体勢を立て直して玄関に向かった。

見つかったら絶対止められるからドタチンが起きる前にと、足早に。



















日が昇ったばかりの新宿駅は、始発から1時間もたっていないのに、通勤の会社員や学生の姿が多く見え始めていた。


電車の中で、倒れそうになる身体を必死に奮い立たせて、ようやく着いた池袋駅構内で一度立ち止まる。

人ごみから一歩外れて壁にもたれかかる俺の異質さに行き交う人々は時折目を向けるけれど、この時間は通勤途中だ、誰も立ち止まって声をかけたりはしない。
俺もそれを望んでいるから、丁度いいわけであるが。




「……はぁ、はぁ、…、…」




こんなところで立ち止まっている時間がもったいない。
一刻もはやく、

そう、思って




駅を飛び出して、

人がまばらな通りを抜けて、

誰もいない路地を通って、




走って、走って




走って、走って走って走って







雨は音もなく降り始めた。
走ったせいで体温はもっとあがっているはずなのに肩はひんやりと冷たい。
ぞくりと震えた背筋に、足がもつれかかるけれど
よく知った彼のいるアパートを目指して走る俺にとっては、
そんなことどうでもよくて


どれだけ走ったろう。

麻痺した頭ではそんなこともわからずに、俺はひたすら走って、ひたすら前を見て、ようやく見えはじめた彼のアパートに安堵した俺は、誰に笑うわけではないのに、ふと1人苦笑して。


シズちゃん、

シズちゃん、今



今会いに行くよ



君が気持ち悪いと言ったって、
くたばれと悪態を吐いたって、
うぜえと罵られたって、
バカじゃねえかとあしらわれたって、

なんだって、


もういい。




会いたい、会いたい、

とにかく一刻も早く君に会いたい。




やっと会える。


そうどこか安堵したとき、突然走っていた足ががくんと崩れる。
膝の力が抜け、為す術もなくぱしゃりと濡れた地面に叩きつけられた。


頬が冷たい。


荒い呼吸音が妙に大きく近く響いている。
ああ、やばい。
下手したら死ぬのかもとかどこか他人事みたいに思って、俺は目を閉じた。
今死んだらきっと無念で幽霊にでもなるかもしれないなんて、ちょっとばかげた絵空事も考えて。


もう指の先すら動かせない。

だるくて、痛くて、
もう起き上がれない。

ああ、あとほんの少しだったのに。
もう目の前まできたのに。
もう目の前に、彼はいるのに。



そんなことを考えているうちに気が遠くなった。
混濁した暗闇に落ちるようにぐらりと意識を失った。



























*










「んっ………」






目を開けた。

視界はまだ暗い。

口がふさがっていて息が苦しい。
というかそのせいで目が覚めたのだ。
そんな状況にあっても頭が回らない。




「っ、は……」


「ん、ぁ………、シズ、ちゃん……?」


「…あ……」





数センチ離れたところにシズちゃんの顔。
交わる吐息に、ますます脳が麻痺していく。



「………なんで、シズちゃんが…」


重い瞼を必死でこじ開けながら擦れた声でそう尋ねれば、シズちゃんがため息まじりに言う。




「…はあ?そんなのこっちのセリフだ」



「……え…?」


「俺は明け方、喉乾いたから飲み物買いにコンビニに行ったんだ。その帰りに家の前で手前がぶっ倒れてやがったんだろうが」









シズちゃんは不機嫌そうに言う。




「手前がどこでのたれ死のうが俺には関係ねえ。むしろ歓迎だ。だけどこのアパートの前だけはよせ。ここを破壊したくねえんだよ」


そう言うシズちゃんは頭を掻いて俺を睨んだ。
なんだ、助けてくれたわけじゃなかったのか。
そう思うと、悲しくもなったが、それが彼らしいのかもしれないとその悲しみに釣り合うくらいは納得した。


シズちゃんは、家の前に転がってた粗大ゴミを一時的に部屋に移動させただけ。
今更それを利用しようとなんてしないように、
彼は俺にたいしてなんの価値も見いだしてはいないのだ。


結局俺はシズちゃんにとって、ゴミ同然で…





でも、


なら何故











「さっき………なんで、俺にキス、してたの?」


「…………」



シズちゃんは、ああ゙?と向けた顔を一瞬で強張らせて、動きを止めた。
布団に寝かされた俺の脇に座ったまま、シズちゃんのその顔がかあああっと紅く染まるのを、俺は見てしまって。
驚きから何も言えずにいるとシズちゃんが呻くように言う。



「……して、ねえ」


「してたじゃん…」


「してねえつってんだろーが!!」


「してたよ」


「してっ………あ゙ぁ、くそっ」






ぐしゃぐしゃと苛立たし気に頭を掻くとシズちゃんは、お前こそこんなに熱があるのになんであんなところにいたんだと半ば脅すように低い声にどすをきかせて呟いた。






「………会いたかったから」


「は?」


「シズちゃんに、会いたかったから」


「……ば、ばかじゃねえの?」


「うん、そうかもね」




こんなに長く話していたのは、本当に久しぶりで、むしろ初めてかもしれなくて。



シズちゃんは俺を見た。
追い返そうとしているわけでもなく、ただ口では


「手前にあんなとこで死なれたら処理に困っただけだ」
と、呟いていて、どれが本音なのかもわからずにただ痛む頭に苛まれていた。



「シズちゃん、」


「あ?」


「最後に1つ聞かせてよ」


「最後ってなんだよ」


「………俺たちって、どういう関係だったの?」




シズちゃんは一瞬はっとしたように俺を見た。
でもすぐに、またそれかと怪訝そうな顔をするから、俺は代わりに笑ってやった。
もう、よかった。
関係とか、もやもやしているのが嫌なわけで、ただけりをつけたいだけだから、どんな関係だとシズちゃんが思っていても、構わなかった。




「……だから、どうって言われても…」


「………シズちゃん、俺…もういいんだ。関係とか、本当はどうでもいい。ただ、これだけ聞いて。俺は、そういうごちゃごちゃ関係なしに、」
















「シズちゃんが好きだよ」


















シズちゃんは、今度こそ本気で固まった。
ぽかんと俺をみるその顔があまりに間抜けで、思わず笑う。



「シズちゃんがさ、セフレだと思ってても、関係とか付けられないくらい俺のことどうでもいいと思ってても、身体だけ目当てだったとしてもさ、俺は、あんたが好きなんだ」


「………な、…に…」


「しっかりしてよ」


「………そんなの、こっちのセリフだっつーの」


「………はい?」




固まったシズちゃんの口からでたそんな言葉に、俺も固まる。
何言ってんだこいつは。
どれに同意してんだよと言い返せば、



「セフレどうのこうのって……俺のことを遊びだと思ってるのは手前のほうだろ?」


「な、何言ってんの?そんなわけないじゃん!そりゃ最初は遊びだったけどさ!………途中から、本気になっちゃった…。暗黙の了解、やぶっちゃって悪いとは思ってるけど」


「暗黙の了解?なんだそりゃ?」


「は?だから、本気で好きになったらだめって……」


「……俺だって最初は遊びだった。手前が俺で遊んでんのもわかってた。だから途中でマジになったときに、お前は遊びなのにって思って…。俺だけそう思ってるのもムカつくから態度にでねえように…しようと、」



なんだそれ。


そんなの、俺が思ってたこととまるっきり……




――――………しばらく、何も言えそうになかった。








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